第192箱感想(最終回)


お久しぶりです、お久しぶりです。
21巻読んだ衝動で思い出し書きってわけではないですが、とりあえず最終回感想でも…(前日記が4月て…)。



第191箱の最後で述べたように様々不服には思いますが、ここまで好きなキャラの成長を描いて下さったのです、ここまで好きなキャラ物語に出会えたのです、創って下さった先生方にお礼を言うのが先でしょうかね。
西尾維新先生、暁月あきら先生、ありがとうございました。お疲れさまでした。


この目高箱の終わり方は捉え方次第なんですね。
私は、とりあえず毎週毎週、いつ終わるんだよ…死者冒涜するのもいい加減に…と苛む必要がなくなってどうであれひとつの形に収まりホッとしてます。

しかし正直、ありがとう、と、ふざけるな、が混ざってます。球磨川と安心院さんがBADENDしか思いつきません。
あの終わり方は、異常や過負荷や特別やそれぞれ抱えて普通とは程遠い人間達が、それぞれの課題を乗り越え普通の人間として生きることが出来ましたー!と現代の若人に光あるメッセージのようなものに見方によってはありますが。
ほんとふざけないでほしい。そりゃあ大人になれば、青春時代に汗水血みどろ泣き崩れた話なんて馬鹿げた滑稽話として酒のつまみになるだろうよ!満たされて失うものもある、のは分かるが、なんなの。私の先週の懸念が丸当たったようじゃないですか。
素晴らしい物語を読み終わり本を閉じた後のあの空虚感、ネズミ国から帰って予定帳見て現実見たあの脱力感、居心地いい夢から覚めてしまったあの嫌悪感等々。そんな、思春期なんて、青春なんて、所詮夢物語だぜ、若気の至りだ、なんて今まで21巻までの物語がまるで「なかったように」言われるもんだから…遺憾甚だしい。

そしてなにより球磨川と安心院さん。二人以外のスキルスタイルが消えたことで平和に安穏に普通に暮らせるようになったことは、生き様そのものが過負荷でありスキルスタイルそのものが生き様であった球磨川と安心院さん全否定じゃないでしょうか…!!!あの魔法のような過負荷を球磨川がなくすか分からないにせよ、幾つ歳をとってもスキルを失わないどころか増えていった安心院さんは一人ぼっちじゃないですか………。
いえ、めだか達との出会いで「そいつは出来ない相談だぜ」と言えるようになった安心院さんなので、多少なりとも変わられるかもしれませんが。そこがはぐらかされてしまったので不服に思います…もしかすると9月4日発売のファンブックで「10年後球磨川と安心院」なんて表して下さると救われるのですが…どうなのでしょう…。




例えばですね…
if球磨川スキル消失。

「ああ、知っていたさ、そうとも、僕は始まる知っていた。僕を友人だとほざいた、僕の大好きなめだかちゃんも、僕が贔屓してやまなかった気もしない次世代主人公人吉くんも、なんとこの安心院さんから一本取った不知火ちゃんも、あの頃が嘘のようだったね、と大人になっていくことは知っていたさ。僕がみんなから離れたんじゃなくて、みんなが僕から離れたのさ。何が足りないんだろう。何が満たされないんだろう。どうして僕は、3兆4021億9382万2321年生きて当の昔に大人になる時間を経過してしまったというのに、7932兆1354億4152万3225個の異常性と4925兆9165億2611万0642個の過負荷、合わせて一京2858兆0519億6763万3867個のスキルを失わないんだろうね。あっはっは。
球磨川くんも滑稽なことだねぇ。君の過負荷は失ってただの人間になり上がったというのに僕についてくるとは。これまた如何に。君が君である証明は何もないんだ。破壊臣阿久根くんじゃないけど、君は傷心証明何も持っていない。過負荷な生き様が君だった。生まれ変わった君は死んだも同然だけど、それがどうして僕の隣にいるんだい?同情してるのかい?同情してほしいのかい?ん?傷抉ってあげよっか?」
『…安心院さんも分かってるくせにタチ悪いなぁ…好きな子と一緒にいたいことに理由が必要かい?』


な、ひっそりと傷抉り合う二人が目に見えるんですけど…。
一緒に楽しく老いてほしいわ…皆の安心院さんだもの…。
どなたかが最終回に仰っていたしかし「めだ箱はごっこ遊びだった」が面白い…とは思いました。最終回で嘆く人もあれば喜ぶ人もあれ。つまり、あとの不足分は自由にしていいよ、と原作から手渡されたわけです。
なので、私なりの精一杯HAPPY ENDな妄想をする。元主従10年後な妄想もする。原作が打ち出した姿以外のキャラの可能性を切り開く。

ということで、
俺達の戦いはこれからだ!(二次創作な意味で)

に尽きますはいです。






と。最終回なのでもう一言。
私、なんやかんや言ってもめだ箱原作好きには変わりありませんが、それ同等もしくはそれ以上にめだ箱の二次創作が大好きなんです。

少し始まりを話させて下さいな。聞いた方もいるかも。
私は割と最近(といってもWJ漆黒宴辺り)めだ箱界に足を踏み入れた身でして。めだかボックスの原作を読み始めた当初、こんなに理路整然とされた完全なる物語があったのかと愕然とした覚えがありました。
登場人物の言動全てに理由があり、机上の空論とは言いますが正に紙面の空論のように実に実体験のないつじつま合わせなかけあいにも見えますが賢く理路整然と計算づされたように素晴らしく創られた物語にそれはそれは感動しましたね。

…しかし、じっくり読み解くと意外に矛盾点や未解決所やツッコミ所が満載に思えて…。様々な取り方が出来る現象を、巧みな言葉遣いで見事に表してしまった故に限定されてしまい、首を絞めている感が否めなくもないかもしれないというように思いました。最終回迎えた今日ですら感じるのですから。

しかしその点、二次創作という場所は、あるキャラ(もしくはあるキャラとキャラの関係性等)について根掘り葉掘りする。語られぬこの事件での心情・言動、未だ見ぬキャラの可能性…それを考え見定めることが出来ます。これこそが二次創作の特権だったのか…!!!と目覚めたものでした。そう言った矛盾点や未解決所を考察・妄想するという点において、めだ箱で二次創作を目論む可能性があるんだ…と、第三者ながらに目から鱗の思いでいました。

今まで(といっても腐歴自体4、5年の浅い者ですが)二次創作でBLで、好きな男の子同士を掛け合わせて好き放題楽しむものだとばかり思ってまして…(あ、いえ、基本今も私の頭の中そうですけど。好き勝手されて楽しんで二次創作されてる作品も大好きです!)
昔居座った場所でもそういった二次創作の素晴らしさは感じていた所ですが、それを再確認したのが、このめだ箱だったんですよね−…。



なので、最終回を迎えたにあたり、そうやって価値をいただいたサイト様方に御礼を申し上げてきました。ようやく。(最終回の感想が今頃になった本当の理由はこれ。)ほんと一方的な自己満な御礼の言い草でしたけど…。出会えたことが本当に嬉しいですね。二次創作なんて一瞬ですから。感謝に尽きません。


はい。それで自身も少しでも二次創作で表したいと思い、立ち上げたのがこのサイトとなります。うん。殆ど更新してないけどね。でも今も頭ん中高貴ちゃんでいっぱいですよ。
今日の高貴ちゃんは…というか球磨阿久は事後球磨阿久で。高校2年と3年復縁後。
朝起きた阿久根が、まだ眠っている球磨川見てやさしく微笑むわけですよ。軽く頭に触れ髪を撫でるわけですよ。その幸せそうな微笑みったら…!!!ダンダンッ!まるで時が止まったかのような穏やかで静かな時間が流れるわけですよ。阿久根は「…球磨川さん…」なんて幸せを噛み締めるんですよ。球磨川さんに幸せです、なんて言ったら厭味言われそうですけど確かに満たされてるものがあることをしみじみ感じるわけですよ。はい。シャワー浴びに行くか、と静かに立ち去りますと、もそり。実は球磨川珍しく起きてました。髪触られた所から。あまりに柔らかい雰囲気を阿久根が纏っているように思えたので、あまのじゃくにぶち壊すことすら躊躇い一緒に静寂を甘噛みしたわけですね。阿久根が去って思い直したのか急に恥ずかしくなって「…馬鹿高貴…」みたいな。ダンダンッ!元主従!素晴らしい!元主従!元主従ってリア充だった……!

まあBLテンプレな内容ですが、これを文章力巧みに使って1本書けよ、って話ですよね。はい文章力ありません。私何も考えなしに打つと本当阿呆っぽい言葉遣い(苦笑
ただつまり言いたいのは、もう球磨川と阿久根、二人そこに一緒にいるだけでいい。それだけ!共にいるだけでいい!それだけでもう私が幸せですはい。




最終回感想どこ行ったな感想でしたが、とりあえず私の萌の探求はまだまだ続くと思います。サイト立ち上げ当初泣いていた私の脳内高貴ちゃんは正直未だ泣いていますし、あれとあれとあれを書くまでは………(私には具体的に、次これ書く!と宣言すると書けないジンクスがある)………ギリギリ…人の数だけ元主従物語はあるよ!





とりあえず。
未だ7月まで忙しいので書き表す時間を取る戦いに勤しみつつ。
9月4日発売ファンブックと9月発売最終巻22巻を楽しみにしつつ。
めだ箱原作と二次創作に感謝しつつ。
失礼します。

2013/06/09 08:06
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