目の前の光景に思わず持っていた荷物を落としてしまった。ぐしゃり。どうやら荷物は床に着地したらしい。しかし落した荷物の状態など考える余裕はない。実際のところ頭の中は真っ白。思考停止状態だ。
きっと誰だってこうなる。こうなるに違いない。買い物から帰ってきて部屋に入ったら、ソファーに寝転がる恋人に知らない女が跨っていた。なんて。ほんの少しの時間だったのに、その間に何をやっているの。


「何よ、アナタ」

「…いやいや、アナタこそ」


私の存在に気付いたらしい女は彼に跨ったまま首だけをこちらに向けギロリと睨みをきかせる。薄紫色の綺麗な長い髪で眼鏡をかけた女。ついでに言うとスタイルが良い。巨乳だし。
何よ、アナタ。なんて、それは私のセリフじゃないのか。しかし初めての事態に私の思考は追い付かないらしい。ただ目の前の二人を凝視し女の言葉を待つ私。情けないったらありゃしない。
「誰なのよ銀さぁん」と私に発した声とは違った甘ったるい声で彼に問いかける女。問いかけられた彼はその問いに答えない。私を見つめたまま固まっている。まさかこんなに早く私が帰ってくるなんて思わなかった、と驚いているんだろうか。


「もう!ちょっとアンタ!私と銀さんはこれからイイコトするの。出てって頂戴」

「いっ…!」


問いに答えない彼に痺れを切らしたのか、女は声を荒げて一層鋭く私を睨む。
イイコトってなによ!出ていくのはアナタの方よ!と言いたかった。言いたかったのに、何も言えずに部屋を飛び出した私はなんて情けないんだろう。

部屋を飛び出して、ただがむしゃらに走りながら考える。イイコトっていうのはうっふんあっはんな営みの事なんだろうか。あの状態からして。
はっきり言って、私と彼は付き合ってからキス止まりである。うっふんあっはんな営みなんてした事がない。私だってそれなりにそういった事に興味はある。だから、どうしてキス以上に発展しないのだろう。私には欲情する程の色気がないのだろうか。と悩んだ事もあった。だけど、それだけが全てじゃない。彼からは十分愛を感じているし、彼なりに、教育上よろしくない、とか色々思うところがあるのかもしれない。と思っていた。そう、思っていたのに。
彼はただの男だった。私の恋人ではあるが一男性。私には欲情しない訳だ。あんな美人で巨乳なお相手が居るんだから。
だったらどうして私の恋人なの?どうして私と付き合ったの?あの人が居て、どうして私と付き合っているの?


「おいっ!待てよっ!」

「ちょっ…!」


いきなり腕を引かれてバランスを崩しそうになったが、なんとか踏ん張った。ハァハァと肩で息をしながら振り返れば、私の腕を掴んだまま私と同じように肩で息をしている彼が居た。
「お前、案外足はぇーのな」と息を整えながら呟いた彼に苛立ちを覚える。何を呑気な。


「い、イイコト、するんじゃ、なかったの?」

「ハッ、しねーよ。誰があんな奴と」

「…嘘吐き。何があんな奴、よ!あの人とえっちしてるから私とはえっちしなかったんっ!!」

「ちょぉぉぉぉお!!女の子がそんな事大声で言っちゃいけませんっ!!」


私が全てを言い切る前にバッ!と素早い動きで彼は私の口を手で塞いで、キョロキョロと辺りを見渡した。どこのお父さんだ。あまりの焦りっぷりに何だか笑えてくる。
そして彼は何故か私の口を塞いだ状態のまま「良いか?よく聞けよ?あれは、ただの変態ストーカー女だ」と言って、あの女の人について真剣に説明を始めた。
私達が出会う前からの知り合いではあるがそれ以上の関係ではない。やましい関係などでは決してない。家に忍び込まれてさっきみたいに迫られたり、プリンに納豆をかけられたり、迷惑以外の何物でもない。と。
言い終えて、彼はやっと口から手を離してくれた。


「そんな人居るなら居るって言ってくれてたら良かったのに」

「変な心配かけたくねぇだろ」

「帰ってきた私を見て銀ちゃん固まってるし、知らなかったんだから疑うに決まってる」

「あー…お前が帰ってくる前に追い払おうと思ってたのによー、その前に帰ってきちまうんだもんなー。会わせたくなかったからよ。どうしようかと思ってな」

「どうして会わせたくなかったの?」

「ありゃぁ、お前の目には毒な訳。変態だから」


良く分からないけど「ふーん」と言っておいた。彼の様子からしてこの話は真実のようだから、また同じ場面に遭遇した時は逃げ出さないで追い払ってやろう、胸を張って私は彼女です!と言おう。と密かに決意した。
「じゃーこれで終了。帰るぞ」と歩き出した彼に続いて私も歩き出す。終了、は良いんだけど、どうしても聞きたい事が一つある。さっき言い切れなかったあの質問。彼が慌てるのは目に見えているけどこの際だから言ってしまおう。


「ねぇ銀ちゃん。私ね、銀ちゃんがあの人とえっちしてるから私とはしなくても良かったんだとさっき思っちゃったんだけど」

「ちょっ!お前!そういう事は女の子がっ」

「あの人としてないならどうして私とえっちしてくれないの?他に誰か居るの?」


案の定慌てた彼は、言葉を遮って投げられた言葉に渋い顔をして頭を掻きながら「…あのなぁ」と溜め息を吐いた。
だって気になるじゃない。やっぱり。自分の中で解決したつもりではいたけど、どうせだから明確な理由が欲しい。
じっと見つめる私に降参したのか彼はもう一度溜め息を吐いた。そして真剣な表情で私を見つめ返す。不安、期待、緊張。ドキドキと胸が鳴る。


「俺にはお前だけだよ。俺が好きな女はお前だけ。銀さんこれでも理性を保つのに苦労してんの」


思わず赤面。嬉しい。私も銀ちゃんだけ。銀ちゃんが好きよ。言いたいけど、同時に浮かんだ疑問にほんの少し複雑な気持ちになる。私は構わないのに。大好きな銀ちゃんだから構わないのに。理性を保たなきゃいけない理由はどこにあるの?
表情に出ていたのか、私の気持ちなどお見通しなのか、彼は苦笑いを浮かべて私の手を取った。そしてぎゅっと握って優しい眼差しで私を見つめる。


「俺と違ってこんなにちっちぇーだろ。壊しちまいそうで怖いんだよ。傷付けたり嫌われたりしたくねぇ。お前の事、大切にしたいから、な」


馬鹿な人。そして優しい優しい人。簡単に壊れたりしないのに。嫌いになんてなったりしないのに。大丈夫だよ、銀ちゃん。
たくさんの思いが溢れてくるけれど、今私が伝えるべき言葉はただ一つ。


「ありがとう」


いつか、あの女の人のように迫ったら彼はきっと慌てるんだろう。その様子が目に浮かんで少し笑えた。



壊れ物扱い

20090315

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