部屋を出ると、良い匂いが漂ってきて食欲をそそった。今日のご飯は何だろう。なんて考えたら無性にお腹が空いた。
「ええ匂いやな」
「うん!お腹空いた」
「せやなぁ。朝飯何やろな」
会話を交わしながら階段を下りてリビングへ向かう。
私達はやっぱり何も変わらない。二人の間に起こった出来事なんて感じさせないくらい普通。恥ずかしさや照れ臭さがあってもおかしくないはずなのに。況して、私には初めての事だったんだから。
きっとそれを感じさせないのは侑士があまりにも普通だからだ。だから私も普通でいられる。変に気まずくなるよりずっと良い。これはこれで良いんだけど…。侑士はこういう事に慣れてるんだろうな。と考えたら少し胸が痛んだ。
「あっ!おはようございます!」
前を歩いていた侑士がリビングへ入ると元気の良い挨拶が聞こえた。この声は長太郎だ。
「おはようさん」
侑士はそう挨拶を返すと奥へと歩いて行った。
「あ!名前!おはよう。大丈夫?」
「あ、お、おはよう。大丈夫だよ。ありがとう」
侑士の陰に隠れていた私を見つけて、長太郎は心配そうに顔を覗き込んだ。長太郎の優しさを嬉しく思う反面、少しの気まずさと申し訳ない気持ちを感じた。
「おい、鳳。何してる。早くしろ」
「あ、ごめん!今行く」
長太郎は「名前は座ってて良いよ」と告げてキッチンの方へと歩いて行った。手にはお盆を持っていたから配膳の途中だったんだろう。
長太郎が目の前から居なくなってリビングを見渡してみる。普段は先輩後輩関係なく仲良くしているミンナだけど、やっぱり上下関係はしっかりしている。ご飯などをよそっているピヨとキッチンとテーブルをパタパタと往復して配膳している長太郎
まさに後輩という感じだ。テーブルに突っ伏して寝ているジローちゃんにその隣で新聞を広げている亮、弟の身支度をしている岳兄とそれを眺める侑士。べー様と樺地がいないけどきっと泊まらないで帰ったんだろう。
「おはよう!私も手伝うよ」
ピヨの側に行ってそう言うと手を休めないままピヨは私へと視線を向けた。座ってて良いと言われたものの、具合はすっかり良くなっているし、ミンナに心配をかけてしまった訳だし、ただ黙って座っているのは申し訳ないと思った。
「おはよう。大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫。ありがとう」
「なら良いが。そういえば跡部さんも心配してたぞ」
「べー様が?」
何かちょっと意外だった。どっちかと言うと呆れて馬鹿にされてるかと思ってたのに。今度会ったら心配かけてごめん。って謝っておこう。
「そうそう!主治医を呼ぶ!とか言ってたよね」
「あぁ。そんな事言ってたな」
テーブルから戻ってきた長太郎が苦笑いを浮かべながら会話に加わった。それを聞いて更に申し訳ない気持ちになった。笑われても仕方ない事なのにそんなに心配されていたなんて。
「でも忍足さんが、俺が側で責任もって面倒見るからってすごく真剣だったから呼ぶの止めたんだよ」
「…そう、なんだ」
「ねっ?」と長太郎がピヨを見るとピヨは「大袈裟なんだよ。あの人は」なんて言っていた。
本当に申し訳ないと思っている。ミンナに心配をかけた事。でも今は嬉しいという気持ちで一杯になった。侑士がそんな事を言っていたなんて…。その様子を思い描いて頬が緩むのを感じた。
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