名前はただ黙って観覧席に座っている。座ってから全く動いていない。ただ黙って前だけを見つめている。何度視線を送っても、その視線が交わる事はない。
「おい、仁王!お前大丈夫か?」
「…何がじゃ?ブンちゃん」
「いやっ、ボーっとしてっし、さっきのあれ、まぁあれだけど…ボーっとしてっと危ねぇからな」
結局名前は、一度も振り返ることなく、抵抗する事もなく、引かれるまま跡部についていった。名前が何を思って、何を考えて、今、どんな気持ちでいるのか。それだけが気になって。交わらないと分かっているのに何度も何度も、視線を送ってしまう。それしか出来ない俺は酷く情けない。
「…なぁブンちゃん」
「どうした?」
「俺、どうすれば良かったんじゃろうな」
「俺に聞くなよ…」
「ブンちゃんは俺よりヘタレだったのぅ」
「へ、ヘタレじゃねーし!」
ブンちゃんは髪の色と同じぐらい真っ赤に頬を染めた。こんな風に感情を素直に表現出来る奴が羨ましい。行くな名前、とあの時、何も考えずにただ素直に引き留めていたら、名前は振り返ってくれたんじゃろうか。
「…まぁ今日は部活は部活じゃし。いつも通りやるだけじゃ」
「お、おう。無理すんなよ」
「サンキューな、ブンちゃん」
俺は今、上手く笑えているんじゃろうか。いつもみたいに。俺の中で名前は大きな存在になっている。婚約者がいるという事実を知ってなお、この気持ちが消えてしまう事はない程に。俺はこれからどうすればいいんじゃろうか。この気持ちが色褪せるのを待つしかないんじゃろうか。
「そんなん、悲し過ぎるじゃろ…」
はぁ、と吐いた溜め息が白く色付き、そして消えた。こんな風に気持ちも簡単に消えてくれたらいいのに。そう思わずにはいられなかった。
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