私は知っていたはずだ。私には敷かれたレールがあって、決まっている道があって、逸れたらどうなるのか、知ってた、はずだ。いつだって、こうやって、誰かに、必ず、連れ戻されてしまう事は、解っていたのに。それでも、温かくて、楽しくて、この場所では全て許されてしまうんじゃないかって。私は、錯覚していたんだ。
「おい、名前」
不意に名前を呼ばれ現実に引き戻される。見上げた先には蒼い双眼。私を射抜くように冷たく見下ろしていた。
「逃げるんじゃねぇぞ」
握られた手に力がこもった。ああ、やっぱりこの人から逃げられないんだ。私にはどうする事も出来ないんだ。と改めて実感した。最初から分かっていたのに。私は何を期待していたんだろう。馬鹿だ。大馬鹿だ。ただ唇を噛み締めた。
「俺がお前の道だ。分かってるな」
「…分かっ、てる」
分かってる。分かってた。雅治と出会うまでは。分かってた。でも雅治が教えてくれた。色んな事を教えてくれた。自分の足で歩く事を教えてくれた。だけど結局私は逃げられなかった。ごめんね。雅治。こんな事になってごめんね。今、どんな顔をしているの。ごめんね。怖くて振り返る事が出来ない。名前を呼ぶ事もこの手を振り払って戻る事も出来ない。ごめんね。雅治。貴方と過ごした時間はとても楽しかった。今までで一番輝いていたよ。
「私はもう、逃げないわ」
景吾は一瞬、目を見開いて「そうか」と言ったきり口を開かなかった。そして立海の制服を着ている私を氷帝側の観覧席に座らせて去っていった。ああ居心地が悪い。このまま合同練習が終わるまで私は此処に居なければいけない。居心地が悪い。可笑しいな。私にとって此処は、とても居心地のいい場所だったのに。
「もう、逃げない、か…」
ただ、元に戻るだけ。雅治に出会う前に戻るだけ、ただそれだけ。
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