幸せだ。俺は今、最高に幸せだ。
本当に嬉しかったんだ。名前の瞳に俺が映っていた事が。
あまりにも気持ちが高ぶり過ぎて思わず「愛してる」なんて呟いちまって気持ちが伝わって欲しいと思っている反面、名前の反応が怖くて逃げるように部屋を出た。俺様ともあろう者が名前の事になるとどこまでも臆病者だ。情けねぇ。
だが名前を失うくらいなら、名前が離れていくくらいなら情けなくても構わねぇ。
それにしても満たされるのは簡単な事だったと気付いた。長い間何をしても満たされなかったのにあの一時で俺は満たされていたのだから。
余韻に浸ったままシャワーを終え部屋に戻るとそこには制服に着替えた名前が居た。カチャリと扉を開いたその音にほんの少し肩を震わせていた。


「シャワーは浴びねぇのか?」

「景吾。話したい事があるの」

「…どうした?」


質問に対する答えじゃなかったなんて気にならなかった。振り向いて言った名前の瞳があまりにも真剣で真っ直ぐ俺を見つめていたから。


「とりあえず座れよ」


部屋に入ってソファーに腰掛けるとベッドの脇に立っている名前を隣へと促した。


「いい」


だが名前はそれを拒否し、俺の方に向き直っただけだった。何だか嫌な予感がしてならねぇ。


「座って紅茶を飲む時間もない程、重要な話か?」


視線の先で名前は黙って頷いた。初めて会った時から向けられてきた冷たい瞳ではなくさっき俺を映した熱っぽい瞳でもなく真剣で真っ直ぐな瞳で俺を見つめたまま。


「私、もう景吾には会えない」

「な、に…」

「ここには来れない」


名前の言葉に心臓がドクリと鳴った。まさか名前の口からそんな事を告げられると思っていなかった俺は動揺を隠す事も出来ずただ名前を見つめる事しか出来なかった。


「従っていればそれで良いとずっとそう思ってた。そう育ってきたから。だから独りでも良かったし何もいらなかった。だけど…」


名前は俺が部屋に来てから初めて視線を俺から外した。伏せた瞳は今、何を映しているのだろうか。


「それは酷くつまらない事だって、自分の足で歩くって事を教えてもらったの」


名前は俺に視線を戻した。だがその瞳はもう俺を映していない気がした。


「名前…」

「だから、ごめんなさい」

「おいっ!名前!」


荷物を持って扉へと向かっていった名前はノブに手をかけたところで振り返った。


「さようなら。景吾」

「っ!名前っ」


叫びも虚しく立ち上がった瞬間、扉はパタリと閉じられた。もちろんそこに名前の姿はない。部屋に残ったのは立ち尽くす俺だけ。
満たされるのは簡単だった。だがそれを失うのも簡単だった。たった一度「愛してる」と口にしただけじゃ気持ちなんて伝わらなかった。もっとたくさん、ずっと前から伝えていれば結果は違っていたんだろうか。


「もう、頑張りようがねぇ…」


今の俺には自分自身を嘲笑う事しか出来なかった。




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