「アーン?見合いだと?」
ある日の朝だった。朝食の席でいきなり告げられた見合いの話。
「聞いてねぇ。いつだ」
「今日でございます」
「今日だと!?」
「当日なら断れないだろうと奥様が」
今まで見合いの話は何回かあったが話が来た時点で全て断ってきた。今は必要なかったし相手を探す時間なんて十分あると考えていたからだ。でも今回はさすがに断れない。世間体を考えればドタキャンはまずい。
「…分かった。準備する」
スーツに着替え母と共に相手が待つ料亭へと向かう。行くだけ行って断るつもりだったから相手の写真を見る事はしなかった。店に入ると庭の鹿威しが耳に響く。やけにイライラして足が重い。
「景吾さん笑顔ですよ」
母の声が苛立ちに拍車をかけた。黙って見合いなんて取り付けたくせに。
「すみません。お待たせ致しました」
「………っ」
母に続き部屋に入ったが思わず立ち尽くしてしまった。さっきまでの苛立ちさえも忘れて…。
目の前に居たあまりにも美しい女に目を奪われたからだ。黒を基調として薔薇をあしらった着物に身を包み、着物に合わせた大きめの髪飾り。派手過ぎず地味過ぎず見事に着こなしている女。それが名前だった。
そうして見合いが始まった訳だが、名前は名前を言った以外、一言も話さなかった。互いの母が談笑をしてる内は賑やかだったが「二人で仲良くね」といらない気を遣って部屋を出て行ってからはまるで水を打ったかのようだった。
「…おい」
「………」
「おいっ」
「…何ですか」
名前は伏せていた瞳を上げ睨みつけるように俺を見た。
「俺様に聞きたい事はねぇのか?」
「…別に…ありません」
まるで俺様に興味がねぇみたいだ。一度上げられた瞳は俺を見つめ続ける事なく伏せられた。
「お前はこの見合いを望んだんじゃねぇのか?」
俺様の場合、見合いは相手からの申し込みだ。名前の場合も例外じゃねぇ。だから名前の態度は腑に落ちない。照れや緊張などの素振りは見られない。
「母が決めたのです」
「お前は望んだのかって聞いてんだよ」
すると名前はさっきよりも鋭く俺を睨みつけ感情を露わにした。
「私にはそんな権利ねぇんだよ」
「アーン?」
「決められた事に従う道しかないんだよ」
強い口調と相変わらず鋭い瞳。でもその瞳には悲しみが満ちているようで俺は思ったんだ。
「だったら…これからは俺様がお前の道だ」
名前を気に入った。俺の一言で婚約は決まった。俺の側に居れば悲しみなんて感じさせねぇ。例え道が決まってたって俺様が退屈なんてさせてやんねぇ。そう思ったのに名前は何も変わらない。
「…名前」
何でこんなに惚れちまったんだろうな。スヤスヤと寝息をたてている名前の前髪をかき上げてそっとキスを落とした。
普段こんなキスしないけど本当はしたいんだ。
「愛してる…」
普段こんな事言わないけど本当は言いたいんだ。でも名前の冷たい瞳が俺を臆病にさせる。離れていかねぇから。ずっと俺様の側に居るから。態度や言葉で繋ぎ止める必要なんてねぇんだと俺自身に言い聞かせる。いつか名前がそれを欲したらウザいくらいに与えてやるんだ。だから早く俺を求めろ。
「名前…愛してる」
もう一度囁いて名前を強く抱き締めた。
温もりと甘い香りに包まれて俺は眠りへと誘われた。
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