及川の受難

朝目が覚めた時、実感がなくて、夢を見たんじゃないかと思った。随分恥ずかしい夢な訳だけど。冷静に考えたら何であんな事を言ってしまったのか。


「あー!名前ちゃん、おっはよー」

「早いな」

「…おはようございます。岩泉さん」

「あれ!?俺は!!」


いつもより早く着いたはずなのにそこには既に及川さんと岩泉さんがいた。ネットの準備も出来ている。この二人はいつから来てるんだろう。自由参加の朝練にこの二人は必ず参加している。


「二人の方が早いですよ」

「朝のランニングも兼ねてるんだよん」

「俺達が先にこねぇと部室に入れねーからな」

「あ、なるほど」


こんなに真っ直ぐで真剣な人達とあとどれくらい一緒にバレーが出来るのか、そう考えたら少し寂しくなった。いつか必ず終わりはやって来るもので、私と及川さんの関係も及川さんが卒業したら終わってしまうんじゃないかって思う。私の事なんて忘れて、他の誰かを好きになって、好きだと言って、抱き締めるんだ。


「名前」

「何でしょう?」

「ボール出してくれ」

「いいですよ」

「お手柔らかにね、名前ちゃん」

「ボール出すだけなのにどうしろって言うんですか…」


岩泉さんから受け取ったボールをコート脇から及川さんに向かって放る。ああ、やっぱり及川さんは綺麗だ。ボールを捕らえる真剣な目も、動きの一つ一つも。


「ナイスキー!」

「今日もいいね岩ちゃん」

「ウース」

「おはようございますマッキーさん」

「おはよ名前」


体育館へと入って来たマッキーさんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫でて合流する。私のボール出しはたった一回でお役御免となった。この時、及川さんが私とマッキーさんのやり取りをじっとりと見ている事には気付かなかった。


「よーし。そろそろ終わろうぜ」

「ほーい」


その後、数名の部員が合流し、私はボール拾いに徹した。岩泉さんの号令で片付けを始める。ボールを集めて、ネットを片付けてる。片付けが終わって部室へ戻る途中、ニコニコした及川さんが近付いてきた。何か、企んでるような。


「名前ちゃ〜ん」

「…何ですか」

「今日は二人で一緒に帰ろうね」

「え、嫌ですけど」

「何でー!愛しの彼氏と一緒に帰りたくないの!」

「!!」


私がギョッとしている一方で周りがシンッと静まり返った。一人及川さんだけが場の空気と見合わない程ニコニコしてる。そんな空気を破ったのは岩泉さんだった。マッキーさんと松川さんは私と及川さんを隔てるように私と及川さんの間に立っている。


「おい、妄想もここまで来ると虚しいだけだぞ」

「名前、隠れてろ」

「何でなの!妄想じゃないし!まっつん!名前ちゃんに触るの止めて!」

「名前…マジなの」

「お前この前振られたばっかだろ!及川君、思ってたのと何か違うって」

「ぶはっ」

「ちょっと!何でマッキー知ってんの!名前ちゃん!笑わない!」


確かに見た目だけで好きになってしまったら、及川さんはきっと思ってた人と違うかもしれない。容易に想像出来て思わず笑ってしまった。これはお互いよく知りもしないで、告白を二つ返事でOKする及川さんが悪い。だからと言って私が及川さんをそこまで知ってるのかと言ったらそうじゃないけど。


「名前、ヤダよ俺。俺の可愛い妹分が及川の毒牙にかかるなんて」

「マッキーさん…安心して下さい。そんなんじゃないんで」

「え゛!!名前、ちゃん…昨日、好きだって、言ってくれたのにっ」

「……付き合うとは言ってないです」

「はっ!そんな」

「私はバレー部のみんなが好きですよ」

「名前ちゃん小悪魔過ぎるよぉ」

「へへー。及川ざまぁ」

「松つん泣かすぞ」

「もう!名前!俺も名前が好きだぞー」

「あ゛ー!!!だからマッキー名前ちゃんに触んな!」

「いいだろ。コミュニケーションだよ」

「ぐうう。俺達思春期の男女なんだぞっ。そんなベタベタベタベタ」

「ヤキモチかよ。みっともねぇ」

「岩ちゃんまでぇー!!」


行くべ行くべ、と未だ文句を言っている及川さんを無視して部室へ歩く。振り返ればしょんぼりと肩を落とした及川さんが後を付いてきていた。夢じゃなかったんだなぁ、って少し嬉しくて。でも、素直にうんと言うのは悔しくて。


「及川さん」

「…なに?」


明らかに不貞腐れている及川さんが私を見る。ちょっと苛め過ぎたかもしれない。とは思っても、その様子がおかしくて。バレーをしてる時とは別人みたいだ。


「また、別の誰かと、付き合いますか?告白されたら」

「…もうしないって言ったデショ」

「本当ですか?」

「ホント!俺もう名前ちゃんしか見えない!」

「…どうだか」

「だって、他の子には悪いけど、他の男に触られてヤダと思ったの名前ちゃんが初めて」

「そういう場面を見た事がないだけじゃ…」

「そ、それもあるかもだけど!ホントは話してるのもヤダもん!だから、休憩の時は一番最後に名前ちゃんのトコに行くようにしてるし」

「?何でですか?」

「だって!後ろに誰もいないから、名前ちゃんを一人占め出来るでしょ」

「…及川さんってホント嫉妬深いんですね。思ってたのと何か違う」

「うああああ。傷が抉られるうううう。名前ちゃん案外ドSだねっ」

「あはは」

「名前ー!そんな奴置いておけー!」

「はーい!」


酷いよおおおお、とうな垂れた及川さんを覗き込む。そこには見た事のないような及川さんが居て、やっぱり私は及川さんの事まだまだ知らないんだな、って思った。及川さん、と呼びかければちょっと涙目の及川さんと目が合った。


「私、自信がないんです」

「何の…」

「及川さんの彼女になる自信です」

「そんな自信なんて」

「何だかんだ言って、及川さんは一杯ファン居ますからね」

「…否定はしない」

「どんな状況にも動じない、胸を張って彼女です、って言える彼女にはなれないから。それに私、及川さんが嫌いだったので、あんまり及川さんの事知らないですし」

「ぐう」

「だから、もっと及川さんの事教えて下さい。…大好きですけど、もっと、及川さんを知って、もっと及川さんを大好きになるまで、待っててくれますか?」

「…可愛い。抱き締めたい」


そう言って、及川さんはボロボロと涙を零した。何を察知したのか、結構な距離があったにも関わらずマッキーさんがダッシュで戻ってきた。


「名前!もう及川に構うな!」

「あああああ!マッキー!名前ちゃんを抱き締めていいのは俺だけだからぁ!」

「うるせええええ!」


仲良く岩泉さんに怒られて、着替えを終えてから教室に向かう。ねぇ名前ちゃん、と部室の鍵を締めながら及川さんは私を呼び止めた。歩き出した足を止めて、及川さんに向き直れば、鍵を締め終わった及川さんも私へと向き直る。


「俺、待つよ。もう名前ちゃん以外見えないし」

「ありがとうございます」

「だからさ、あの、他の男に触らせるのはなるべく避けて欲しい…過度なコミュニケーションは避けて欲しい…」

「ぶふっ。分かりました。気を付けますね」

「何で笑うのさっ」

「いや、本当にヤキモチ妬きなんだなと思って」


歩き出した私に並んで及川さんも歩き出す。制服を着た及川さんからはいい匂いがした。


「及川さんって香水とか付けてるんですか?」

「はっ!早速俺の事を知ろうとしてくれてるんだね!」

「いえ、別に。やっぱ答えなくていいです」

「え、あ、これはね、これはね!フェロモンだよ」

「……」


ドヤ顔の及川さんにイラッとした。こんなドヤ顔も無条件で愛しく思える日が来るのだろうか。



 

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