好きになりたくない
私は及川さんが嫌いだ。軟派で、女の子なら誰にでも愛想を振りまくような及川さんが嫌い。今年もそんな及川さん目当てでマネージャーが五人入部した。しかし、週一しかない休み、案外ハードなマネージャー業、目当ての及川さんとお近付きになれるチャンスもそんなになく、理想と現実のギャップに一ヶ月で全員が辞めた。私の時もそうだった。私以外に七人がマネージャーとして入部した。漏れなく及川さん目当てだった。その子達も三年の先輩達が引退する前に全員辞めた。残ったのは私だけだった。先代のマネージャー曰く、毎年こうなのだそうだ。及川さんが入部する前もモテる先輩がいて、たくさん女の子が入って、すぐに辞めていった。残ったのは先輩だけだった。稀に私や先輩みたいな男目当てじゃない子が入るんだとか。私が残った時、先輩は凄く喜んでくれた。
「ヤッホー!名前ちゃ〜ん」
「あ、オツカレサマデス」
「何でそんな棒読みなの」
「岩泉さんにあんま話すなって言われてるんで」
「ちょっと岩ちゃーん!!!俺の可愛いマネージャーに変な事吹き込まないでよ!!!」
「うるせーな!つか、お前のじゃねーべや」
日常である及川さんと岩泉さんの小競り合いを眺めながら溜め息を吐く。及川さんはいつもこんな感じだ。何故キャプテンなのか未だ謎である。絶対岩泉さんの方が向いてるのに。先輩達は何を思って及川さんに託したのか。確かにバレーは上手いけど、人間性に難あり…。
とは思うものの、実は私も及川さんがきっかけで入部している。目当てじゃなくて、あくまできっかけだ。部活見学で見た及川さんのプレーがあまりにも綺麗で、目を奪われて、どんな人なんだろうって、思ってたのに。気付くと隣にいる女の子が変わっている。そんな人だった。
「よーし。じゃあ練習始めよっか」
「お前待ちだっつーの」
「いだ!岩ちゃん蹴らないでよ」
それでも部員からの信頼は絶大で相変わらずバレーは上手い。バレーに対しては真剣で一生懸命で、そんな及川さんに周りも鼓舞されている。メンバーの事も大切に思っていて、何よりも部活を優先させるような人。だからしょっちゅう振られるんだけど。
「はーい。じゃあ十分間走始めますよ。はい、スタート」
「行ってくるね〜」
「……」
「名前ちゃん!無視しないで!」
「いいぞ名前。そのままで」
「分かってます」
「もう何なの!」
走り出した彼等の背を見ながらドリンクの準備を始める。入部してあまり経っていない頃、今みたいにドリンクの準備をしている時、君可愛いね。付き合わない?と及川さんに言われた。話した事はもちろんなくて、あんなに綺麗なプレーをする人が軟派だった事にショックを受けて、思わず、クソ野郎ですか?と言ってしまった。及川さんは初めて言われたと笑っていたけど、私の及川さんに対する評価はその日を境に地に落ちた。今もそれは変わらないけど、及川さんは相変わらず綺麗で、知れば知る程、及川さんを好きになっていく。でも、やっぱり嫌い。
「終わりでーす」
「おっし。水分取ったらストレッチな」
「ウィーッス」
「はい、どうぞ」
ドリンクを取りに来る部員達にドリンクを渡していく。こういう時、及川さんは決まって最後に取りに来る。どうぞ、と渡せば、私の手ごとボトルを掴む。私の手を包んでしまう程の大きな手。
「……何ですか」
未だ放されないその手に、及川さんを見ながら問えば、及川さんはへらっと笑う。
「ちっちゃくて可愛い手だね」
「殴りますよ」
「何でなの!褒めてるのに!もうすっかり女版岩ちゃんだね」
「鍛えられてますから。とにかくそういうのは好きな人だけにやって下さい」
「え〜!俺、名前ちゃんの事、好きだよ。だからいいよね」
耳元に顔を近付けて言ったと思ったら、離れた顔はひどく楽しそうだ。もう、本当に嫌い。こういう所が。いちいち心臓が騒いでしまう私自身も。
「私は及川さんが嫌いなので、ただのセクハラですね」
「もー!名前ちゃんはホントつれないよね」
「いいからストレッチ始めて下さいよ」
「はーい。お前等ー、ストレッチ始めるよー」
騒いでいる心臓を鎮めるように、息を吸って吐いて、呼吸を整える。キリがないのに、こういうのには慣れない。むしろ最近は及川さんの戯れがエスカレートしているような気さえする。心の底から止めて欲しい。これ以上、好きになりたくない。苦しいだけなのに。それなのにやっぱり、及川さんのプレーはカッコ良くて。毎日、毎回、思わず見惚れてしまう。
「名前さん」
「ん?どうしたの金田一」
「テーピングあります?」
「あるよ。待って、やってあげる」
「アザッス」
テーピングを巻くのも大分慣れた。くるくると巻いていく。
「はい、出来た」
「ウッス」
「名前ちゃ〜ん!俺もー」
「自分でどうぞ」
「何でー!金田一にはやってあげるのに!」
テーピングを差し出すも、受け取ろうとしない及川さんは地団太を踏む。だって、触りたくない。私と及川さんの間で金田一が戸惑っている。
「よーし。じゃあ俺がやってやろう」
「岩ちゃんにされるよりだったら自分でやるし!」
「そうか。じゃあさっさとしろよ!」
「いだー!」
「…ざまぁ」
「もう!名前ちゃんのせいだかんね!」
いつもいつも岩泉さんに助けられてる。面倒見はいいし、しっかりしてるし、優しいし、付き合うなら岩泉さんと付き合いたい。そう思うのに、想像する時に隣にいるのはいつも及川さんで。悔しい。及川さんの思う壺のような気がする。
「お疲れ様でーす」
「名前ちゃんじゃーね。また明日」
「オツカレサマデス」
「返事してくれるだけいっか!」
「あれ?及川さん帰んないんスか?」
「ん。時間出来たから、自主練してく」
「そうなんスか。お疲れです」
「付き合ってくれてもいいんだよ!」
「よーし。みんな、及川置いて帰ろうぜ」
「岩ちゃんってホントヒドイヨネ」
「怪我だけはすんなよ」
「はいはい」
そうして、本当に及川さんを置いて体育館を出る。こんなやり取りも見慣れた光景だ。
「でも、久しぶりですね。自主練なんて」
「あー。彼女に振られたんだとよ」
「…なるほど」
「またしばらくウザくなるな」
「私にとってはいつもの事ですけどね」
「はは。名前は相変わらずかっけーな」
及川さんが彼女に振られた時の扱いは部員一同心得ている。私は別にいつも通りだけど。
その後、岩泉さん達は、及川さんが振られた時に言われた名台詞ランキングなんて話で盛り上がっていた。聞けば聞く程、及川さんの人間性を疑う。けど、別れたと聞いて少し、ほんの少し、嬉しく思ってる私がいる。こんなの辛いだけなのに。分かっているのに。数日後にはまた、違う誰かが及川さんの隣に並ぶのは。顔はいいもんね。及川さんは。
「じゃ、私はここで」
「おー。また明日な」
「はい。お疲れ様でした」
岩泉さん達と別れて家路を歩く。私はいつか、この隣を一緒に歩いてくれる人を見つける事が出来るのだろうか。もちろん及川さん以外で。
「…ここで及川さんが出てくる時点で負けてる気がする」
寒空の下、呟きは誰の耳に届く事なく、消えていった。
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