今まで女の子と付き合ったことはある。告白されたことも告白したことある。でも、普段何気なく乗ってる電車で、たまたま乗り合った人が気になるなんて。


「あっ…!」


斜め前に座っているオネーサンがさっきからカクカクと頭を揺らしながら眠っている。隣には誰も座っていない。だからそのまま倒れるんじゃないかってちょっと心配。
このオネーサンと一緒になるのは実は初めてじゃない。今回で何回目か。初めて見た時もこうやって眠ってた。その寝顔がムボービで、可愛くて、目が離せなかった。危うく電車を乗り過ごすくらい。話した事はない。だけど、オネーサンが優しい人だっていうのは知っている。こんなに爆睡する程疲れているんだろうに席が埋まっていて高齢者が乗ってくると必ず席を譲っている。お礼を言われているオンーサンの少し照れた笑顔が可愛い。俺はそんなオネーサンがきっともう好きで、気になる人から好きな人に変わっていて、話しかけるタイミングを探していた。そのタイミングは案外すぐに訪れた。ただ、望んだ形ではなかったけど。
オネーサンに会いたくていつの間にか同じ時間の同じ車両に乗るようになっていたある日の金曜日、その日も俺はオネーサンを探していた。いつもより少し混んでいる車両にオネーサンはいた。今日も可愛いなぁ、なんて幸せを感じていると、オネーサンを見つけて二駅を過ぎた辺りで異変に気付いた。満員でもない状態で扉側に立っているオネーサンの背後にぴったりとくっ付く男が一人。オネーサンは時折困ったように少し振り向いて体を少し動かしたりしている。考えて合点がいった。そして頭に血が上るような、そんな気持ち。


「あー!やっと見っけた。も〜!はぐれないで下さいよ〜」


知り合いを装ってオネーサンと男の間に入り込んだ。左程混んでいない状況で三人が密集しているこの状態はちょっとおかしいかもしれない。だけどこの男を逃がす気はない。男の足を思いきり踏ん付けてやった。オネーサンは少し震えていて、後ろにいる男が憎たらしくて仕方ない。


「次の駅で降りて」


背中を向けたオネーサンを囲うように扉に両手を付いて耳元でそう告げれば耳を真っ赤にして何度も頷いた。きっと顔まで真っ赤なんだろうと思うとこのまま抱きしめたい衝動に駆られた。イイ匂いだし、両腕の中に納まる程小さくて、可愛い。きっと不謹慎だと叱られるだろう。だけど、それでも、俺は喜びを感じていて、これでオネーサンとお近付きになれるんじゃないかって期待をしていた。俺のこの行動は正義感じゃない。ただの、下心だ。


「アンタ、何やってんだよ」


次の駅にはすぐに着いた。オネーサンが降りたのを確認して、背後にいた男を引きずり降ろした。抵抗する男を無理矢理引っ張って電車から降りたのを確認してから手を離せば男はその場に尻餅をついた。見下ろした男があまりに冴えなくて、こんな奴にオネーサンが…と考えたら、憎しみが沸き上がるようだった。


「俺は何もっ」

「俺、見てるから。駅員にも証言するし」


どういう神経してんだコイツ。まぁ、正常ではないだろう。何せオネーサンをあんな目にあわせて怖がらせたんだから。これ以上この男と話をしていても、俺が何を仕出かすか分からない。だからさっさと駅員に突き出してやろうと「ほら行くよ」と男の腕を掴んだ時、制止するオネーサンの声が聞こえた。振り向けば困ったような顔をしたオネーサンが俺を見ていた。目が合って、ドキッとした。


「…どうしました?」

「あの、もう…いいから。放して、あげて」

「えっ?いいんスか!?」


驚いた。ここ最近で一番の驚きだった。オネーサンは優しい。それは知ってた。だけど、まさかここまでだとは思わなかった。オネーサンは困っていて、それでも少し笑っていて。


「…うん。ただし、もう二度としないで下さい。きっとたくさんの人が悲しむから…」


その言葉は俺に宛てたものではなくて、男を見ればちょうどオネーサンから目を逸らしたところだった。そりゃそうだろう。あんなことをしといて、オネーサンと目を合わせようなんておこがましい。俺としてはこの男を逃がす気はない。俺が手を下してもいい。でもそれじゃきっと解決にならないし、オネーサンに与える印象も最悪だ。だからそれ相応の場所で相応の裁きを受けてほしい。だけど当事者のオネーサンがそう言うなら俺は従うしかない。そう思って手を放した途端、男は一目散に逃げていった。


「おいっ!謝ってけよ!!」


最低最悪のくそ野郎だ。許してくれたオネーサンに何も言わず逃げていくなんて。やっぱり手を放すんじゃなかったと後悔した。少し、懲らしめてやればよかった。俺がそう思う一方でオネーサンは少し呆れたように笑っていた。


「…ホントによかったんスか?」

「うん。これで誰も不幸にならないし。懲りてくれたらいいんだけどね」

「オネーサン優し過ぎッスよ…」

「そんなことないよ。ただの偽善者かも、ね。もしかしたらまた別の人に同じことするかもしれないし…そう考えるとどっちが正しかったのかなって思うけど」


俺はこの人が好きだ。優しくて、自分のことだけじゃなく周りのことも考えられる、そして自分よりも相手を思いやれるところ。オネーサンのことをまだ何も知らない。だけど好きになるには十分過ぎる程。そんなオネーサンは自分を偽善者だと言う。全然偽善ではないのに。どちらかと言えば俺の方が偽善者。


「気にすることないッスよ!悪いのはアイツッスから」

「そう、だね。あの、助けてくれてありがとう。あと、気付いてくれて、ありがとう」


そう言ってオネーサンは頭を下げた。俺、今、オネーサンと話してるんだなあ、と焦がれていたこの瞬間を嬉しく思っていた。あんなことがあった後なのに。俺もさっきの男に引けを取らないくらいのくそ野郎だ。


「俺、ずっと見てて、何かいつもと様子違うなと思って…助けられてよかったッス!」


オネーサンはまた少し震えていて、やっぱり怖かったんだろうなと思った。これからも俺が守ってあげれたらどんなに幸せだろうか。


「でも怖かったッスよね。よくガマンしましたね。エライエライ」

「あ、ああああの…」

「うわっ!すんません!俺調子に乗っちゃって」


思わずオネーサンの頭を撫でていた。怖かっただろうに強がっているその姿が可愛くて。それと、もう怖がる必要はないと安心させたくて。だけどさすがに調子に乗り過ぎた。真っ赤になっているオネーサンから慌てて離れた。俺は今日オネーサンと話せて舞い上がっている。距離感がおかしい。このままじゃあの男と一緒になっちまう。


「俺、切原赤也ッス」

「切原、くん」

「赤也でいいッスよ」

「うん。じゃぁ赤也くん、本当にありがとう。私は苗字名前です」

「名前さん…」


誤魔化すように名乗ってはみたものの、見ていただけだったオネーサンが今目の前にいて、名前を教えてもらって、俺の名前を呼んでもらって、夢みたいだ。他の人にも呼ばれているはずなのに、名前さんに名前を呼ばれただけで、ドキドキが止まらない。俺、今、世界一幸せかもしれない。


「じゃー、俺はこれで…」


俺は満足だった。名前さんを助けて、名前を教えてもらって、名前を呼んでもらって。これできっかけが出来た。次に名前さんを見つけた時は遠慮なく声がかけられる。そう思っていた。「あ、赤也くん!」と名前さんに呼び止められるまでは。またドキドキしてる。


「この後…時間ある、かな」

「えっ」

「お礼にご飯でも、どうかなって…」

「い、いいんスか!?」

「うん。ご馳走させてほしいな」

「ヤッター!行く!行きます!」


名前さんを見つけた時はいつものように、声をかけられず見送って終わりだと思っていた。それがまさか一緒に飯に行くことになるなんて。もしかしたら俺は運を全て使い切ったのかもしれない。


「何か食べたい物ある?」

「任せます!けど、酒飲みません?」

「いいね〜!最近あんまり飲んでないし、明日休みだから飲もうか」


快くOKしてくれた名前さんは笑っていた。その笑顔が今は俺だけに向けられてる。少し不思議な気分だった。ふわふわしているような。今まで同じ気持ちになったことはないかもしれない。とにかく、幸せだ。


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