赤也くんを追い出してしまった日からしばらく経つ。あれ以来、赤也くんからの接触はない。嘘みたいにいつも通りの日常に夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。


「苗字さん?」

「……」

「…苗字さんっ!」

「う、あ、はい」

「大丈夫?ボーっとしてるけど」

「すみません。大丈夫です」

「ならいいんだけど」


これお願い、と資料を渡して先輩は去っていった。手渡された資料をパラパラめくって、今日も残業を確信する。だけどそれも、今はありがたいと思う。隙があれば赤也くんのことを考えてしまうから。
赤也くんが帰った後、脱ぎ捨ててあったスーツを片付けて、散らばった荷物を片付けて、手に取った携帯電話を何気なく見てみたら、きっちり赤也くんの名前が登録してあった。だからと言って連絡をしたかというと私からは出来なかった。そんな勇気はなかった。もちろん赤也くんからも連絡はない。こんな気持ちいつぶりだろう。胸が締め付けられるような、他のことを考えてても全然消えてくれない、この気持ち。


「名前ちゃん、今日さ、俺達備品の買い出し当番なんだけど、行ける?」

「あっ、忘れてた!ごめん!行ける」


同期に声を掛けられて、バタバタと準備をする。当番さえ忘れてしまう程、私の頭の中は赤也くんで一杯なのだろう。あの時、どう思っていたのか。どうして私を助けてくれたのか。いつから私を知っていたのか。今、何をしているのか。


「苗字、買い出し行ってきます」

「行ってきまーす」


声を掛けて買い出しに出かける。毎週金曜日の当番制の面倒な買い出しだけど、息抜きになると案外人気だ。私は正直どっちでもいいけど。


「いやー、俺嬉しいなぁ」

「何が?」

「名前ちゃんと買い出し当番!」


にっこりと笑った同期に笑い返すしかなかった。私は誰と一緒が嬉しいとか考えたことないし。でも、きっと赤也くんと一緒なら楽しいだろうな、ってどうして赤也君が出てくるの?一緒に働いてる訳でもないのに。
もんもんと考えていると不思議そうに同期が顔を覗き込んでくる。


「……何?」

「名前ちゃん、好きな奴いる?」

「えっ!何で?」

「いないなら俺と付き合わない?俺、名前ちゃんのこと好きなんだよねー。だから一緒の買い出しが嬉しいの」


「俺っ、名前さんが、す、好きなんス。だから」

思い出されたのは、顔を真っ赤にした赤也くん。熱っぽく私を見つめる赤也くん。どうしてこんなに赤也くんばっかり。


「名前ちゃん?」

「あ、ごめん。ありがとう。でも丁重にお断りします」

「えー!何でー!」

「だってあんたチャラいじゃん」

「えー!ヒドイなー。好きな奴いるなら二番目でもいいけど」

「だから!そういうとこがチャラい!私そんなに尻軽じゃないよ!」


赤也くんに言われた時はあんなに心臓が騒いでいたのに、今は何ともない。ただ、自分の言葉に胸が痛んだ。尻軽じゃない人は、酔った勢いで体の関係を持ったりしないんだろうな。何で私はあの夜、そうしてしまったんだろう。私にとって赤也くんは…そこまで考えて止めた。考えれば考えるだけ、自分の愚かな行為が悔やまれるから。


「お疲れ様です。お先失礼します」


先輩に頼まれていた仕事も無事に終わり、残っている人に声を掛ける。買い出しから戻ってからは手持ちの仕事を終わらせるので精一杯でここまであっと言う間だった。余計なことを考えないでいられたけど、明日は休み。一日中、考えたら滅入ってしまうから、何か気晴らしを考えなければいけない。
電車に揺られながら、明日の休みをどう過ごすか考える。寝て過ごすのはもったいない気がする。だけど、起きていれば考えてしまう。赤也くんのことを考えてしまうから。


「……っ!」


そんなことを考えている時、背後に誰かが立った。思い出されるのは、あの日の感触。ビクリと全身が粟立った。またあの時のあの人?あの時は赤也くんが助けてくれた。でも今日は…。どうしよう。どうすれば…!


「……次の駅で降りて」


予想とは異なって、耳元で聞こえたその声に震えた。私はまるで魔法にかかったかのようにただ頷いていた。


「…あかや、くん」

「……お久しぶりです」


言われた通り次の駅で降りて、振り向いた先には赤也くんがいた。下げた頭を上げた赤也くんは何かを決意したような顔をしていた。
毎日毎日私の頭の中を占領していた彼が、目の前にいる。ギュッと胸が締め付けられる。会いたかった。会いたくなかった。何だか涙が出そう。泣くなんておかしいのに。


「名前さんに、話があります」


その言葉に私は再びただ頷いた。


 

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