ワクワクした。決してドキドキではない。ワクワク。銀八はどんな家に住んでるんだろう。ボロアパートっぽいな。部屋はきっと汚いんだろう。漁ってやろう。女物の化粧品とか置いてあったらどうしよう。ウケる。さっちゃんが号泣しちゃうなそれは。という感じでワクワク。
スーパーで買った大量の荷物をごく自然に全部持ってくれた銀八にドキッとしたのは何かの手違いだと思っておく。
「はーい、とーちゃくー」
「……ここ?」
銀八の家は案外私の家の近くだったという事が判明した。そんでもってボロアパートではなかった。二階建のごく普通のアパート。何だか物凄くガッカリ。
慣れた足取りで歩く銀八に付いていくと辿り着いたのは一階の角部屋。ここが銀八の部屋か。ガチャリ、と鍵を開けて扉を開けた銀八は、扉を押さえて「どうぞ」と先に入る事を促してくれた。紳士な銀八って…気持ち悪い。
「お邪魔しまー、す」
「はいはい、どーぞ」
「…つまんねぇー」
またしてもガッカリ。銀八の部屋は綺麗だった。テーブルの上に置いてある灰皿が吸い殻で山盛りな辺り、銀八の性格が垣間見えるけど。女物の化粧品なんて見当たらないし、面白そうな物なんてありゃしない。見事に期待を裏切られた。つまんない。
「何がつまんないって?」
「あれ、聞こえた?」
訝しげな視線を投げかける銀八は、何?何なの?人様の家に上がり込んでつまんないって何なのこの子とブツブツ言っている。
「銀八の家はボロアパートで、部屋は物凄く汚いって期待をしてたから」
「何それ。何なのその期待」
「銀八っぽくない」
「え、そんなイメージなの?俺。これでも良い大人だから片付けくらいするっつーの」
「あ、片付けしてくれるような素敵な人が居るとか?彼女とかさ」
「ねぇ人の話聞いてる?そんな女居たらさっさと嫁に欲しいもんだね」
彼女居ないのか。可哀想に。そういえば高校時代も銀八の浮いた話は聞いた事がなかったけど。でも、こんな銀八は知らなかった。ごく自然に荷物を持ってくれる銀八とか紳士な銀八とか部屋が綺麗だとか。
三年間一緒に過ごしてきたはずなのに、知らない人みたいだ。
「おーい、突っ立ってないで座れよ。早く飲もうぜ」
「飲む気満々かよ」
定位置であろう場所に座って私を呼んだ銀八は準備万端だ。片手にさっき買った缶ビールを持ってスタンバっている。どんだけ飲む気満々なの?そして、テーブルを挟んで向かい側に座った私に缶ビールを差し出す。早く飲みたくて仕方ないのかこの人。
「そんなに酒が飲みたかったのか銀八」
「教え子と酒が飲めるんだから先生は嬉しい訳よ。しかもお前と」
「…どういう意味?」
「苗字と酒を飲む日が来るとは思わなかったって事」
「意味分かんない」
あの頃に戻りたいと思っていた。高校の頃に。だけど、私だって銀八と一緒に酒を飲む日が来るなんて思わなかった、とあの頃思わなかった事を思ってしまった。銀八を知らない人みたいだと思う日が来るなんて思わなかった、とあの頃知らなかった事を知って思ってしまった。あの頃のままの私は居ない。きっとミンナも変わっている。
そう思うと少し、悲しくなった。
良いから乾杯しようぜ、と差し出された缶に「かんぱーい」と缶を当てると小気味の好い音がした。何かが弾けたみたいに。
振り返ってばかりの私は、変わっていく事を拒絶している
20090822
20131120再録
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