「大変だったねお疲れさま、アザゼルさん」
「でも、ワシなんも役に立てんかったから……さくにもアクタベはんにもめっちゃ怒られてん。アイタタ」
「よしよし」
「名前ちゃんぶたれた頭痛いの。ここ、痛いとこここです」
「うん。よしよし」
ほっぺたすりよせてやがる。
応接ソファに座って名前はアザゼルを膝に上げて、さっきからいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃとおしゃべりしている。
依頼人向けの報告書を打ち込みながら冷ややかな横目を向ける佐隈も、向かいのソファでやっぱり冷ややかな目を向けながら生け贄のカレーを食べるベルゼブブも、二人ともなにも言わない。
アクタベが恐ろしくてなにも言えない。
組んだ手の甲に鼻筋を覆って、どこまでも悪い目つきだけを露わにしたゲンドウスタイル。しょいこんでいるのは魔界の瘴気なのか、どす黒い苛立ちが漏れ出して太陽光まで遮っている。まだ真昼なのに、晴れているのに、部屋の採光率だだ下がりの原因は誰の目にも明らか。
「あんなあんな、そん時にきれいな石見つけたの」
「わあ、透き通っててすごくきれい」
「名前ちゃんにあげる」
「いいの?」
「ええよ。ごめんな、ほんとはもっとちゃんとしたプレゼントあげたいんやけど」
「うれしいよ。その気持ちだけで十分だよ」
「おい」
無関係なはずの佐隈が肩を跳ねさせる。地を這う低い声。当事者の片割れであるアザゼルもびびりまくって名前にひしっと抱きついた。もう片方の当事者は、
「はい」
実にけろりとした顔でアクタベを振り返る。
「その豚を下ろせ。仕事しろ」
「終わってますよ。デスクに置いてあるでしょう」
「……」
確かに。
膝上で名前にすがりつく豚と山羊と犬とライオンの悪いとこ取りをしたような悪魔であるアザゼルと名前を一緒くたに睨みつけていた視線を下へ落とす。経費転用許可を待つ領収書及び理由書と計算書がまとまっている。
重箱の隅でも外枠でもなんでもつついてやろうとまくって一通り目を通した。
難癖のつけようがなかった。
腹立ちは理不尽で底上げした。
「名字さん」
「なんですか」
「お茶」
「あるでしょう」
確かにある。事務所へ戻ってすぐに出された緑茶は未だに湯気を立てている。歌舞伎揚げも添えて。
「コーヒー」
「……はいはい。佐隈さんも?」
「いえ、私はこれで」
「名前ちゃんワシね、ミロ!」
「うん」
「おい」
「はい?」
「それを連れて行くな」
我が儘放題なアクタベの要求を素直に呑んで立ち上がる名前の腕には、いかにも当然のようにだっこされたアザゼルがいる。
「なんでですのアクタベはん! 大人しくええ子にしとるでしょ!?」
「うるさい黙れ」
「アクタベさん、アザゼルさんにも仕事があるんですか?」
「……次の浮気調査の打ち合わせがある」
「それなら……」
仕方ないとアザゼルを下ろした。が、当のアザゼルが「いややいやや」と聞かん坊全開に名前の足にしがみついた。幼稚園のお迎えバスでありがちないやいやだった。
その触れかたに、特にいやらしい意図はまったくこれっぽっちも見受けられない。
「なんで私の時と違うんですか……」
佐久間がぼそりと漏らした不平は、聞いているのかいないのか。
「アザゼルさん。……お仕事終わったらいっぱい遊びましょうね」
「うん」
「コーヒー」
「わかってますってば」
しょぼくれるアザゼルと名前は最後にぎゅっと大げさに抱きしめ合って、アクタベの苛立ちに痛恨の一撃を食らわせた。給湯室へ消える名前を見送るアザゼルに、
「なんで名前さんにはセクハラしないんですか」
佐隈の、ドストレートな問い。
「は? なんや〜さくちゃん嫉妬〜? 心配せんでもね、あとでにっちりねっちょりいんぐりもんぐり……」
「なんで私にはそうなんですか!?」
市販のA4クリアファイルを凶器にアザゼルは顔面まっぷたつにされた。つぶらなお鼻まできれいに二等分されて、床にはびょわわと飛び出す血液の赤いでっかい水たまり。
「なにすんじゃぼけさくごらあ!! さくがあかんのやったらワシは誰にセクハラすりゃええんや!」
「野良犬にでもしてればいいでしょ!」
「おどれ舐めとんのかい! いくらこのプリチーボディでも獣姦趣味はないんじゃあほお!」
「おい」
静観決め込んでいたベルゼブブでさえ一緒にビビった。止まった口論を埋めるのは給湯室から聞こえる時代錯誤な古さのコーヒーメーカーの馬鹿でかい動作音だけだ。
「資料だ。読んでおけ」
アクタベが差し出すぺらい束を、アザゼルは出血そのままにおっかなびっくり取りに行く。近づかなければこっぴどく怒られるに決まっていて、近づいたら近づいたで、
「挙動がきもちわるい」
ほれみろ。
今さっき突き刺されたクリアファイルを引き抜いてギロチンのような一刀両断だ。「ひどっ」とアザゼルが呟いてもアクタベの無感動な顔に変化は見受けられない。今度はヘソまでいった。
「ひどいやん! アクタベはんあんたほんま労災訴えますよ!? わあーんパワハラやいじめやいじりやないぞこれめやぞー!?」
「うるさい」
正直佐隈でさえほんのちょっぴり、小さじ擦り切り一杯程度は同情する。
「きゃああ!」
タイミングが悪い。
名字が怒りまかせにぶん投げたコーヒーがアクタベに直撃する。ばっしゃあ。
涼しい顔。熱くねえのか。
「うわっアクタベさん大丈夫ですか!?」
「アクタベさんのばか! アザゼルさんいじめないでください!」
「だまされてるよ名字ちゃん!」
「あーこんな血みどろにされちゃって」
「名前ちゃん痛い……」
「うんうん痛いよね。かわいそうに……」
「名字さん熱い」
無視かよ。
モザイク必須の再生を半ば終えて、後に残されたのは血みどろの床とコーヒーまみれのアクタベだ。
「名字さんタオル頂戴」
「……また私の目を盗んでアザゼルさんいじめたら承知しませんからね」
「なんで名字ちゃんアザゼルさんに甘いんでしょうね」
「このベルゼブブをさしおいて」
「ワシらはラブラブやからなー」
調子に乗りきった豚顔がムカつくことこの上ない。が、確かにそれは事実だ。
「アザゼルさんも名字ちゃんにはまっとうに優しいですもんね。マスコット面なんかしてんじゃねえよって感じですけど」
「サクマンコおどれぶち抜かれたいんかおおお」
「それですよそれ。なんなんですか名字さんにはあんなぶりっこしちゃって」
アザゼルはもじもじしてから、それはもう、秘密を打ち明ける子どもの顔で、
「だってな、惚れとるもん」
よんアザ