お前は二度忘れるだろう(佳火様へ5000HITフリリク)


人生は小説より奇なり

この言葉は世界共通なのかもしれない、でも、そんな言葉よりも人生は複雑だ。


小説に、漫画に映像に、それこそテンプレートとして使われ使い古されたネタの様な展開が起こるのだから。


「あなたは…だれですか?」


・お前は二度忘れるだろう


調子が悪い、とポケギアで連絡を受けて「早いとこ病院に行って診てもらえ」とまともな返事をすると、電話の相手は何時もの押し殺す様な密やかな笑い声を滲ませながら「ちがうちがう、病気じゃないよ」と気軽に言い付け足してくれた。

眼の調子が悪い、のだと

「其れは大変だ、千里所か万里になってしまうかもな」
『其れの方がまだましだよ、どうもね、余分に拾ってるみたいなんだ。情報を』
「疲れてるんじゃないのか?お前は副業のしすぎだ」
『そうかもね、ほどほどにしておくよ』
「そろそろエンジュに着くから、忙しいんなら出迎えはいいから休んでろ。今日は私が晩に何か作るから」
『へぇ、ミナキ君の腕が何処迄上がったのか見ものだね』
「ふふふ、馬鹿にしていられるのも今の内だからな!」
『はいはい、期待しないで待ってるからね』
「期待しろ!私の腕前を褒める準備でもしてろ!!」
『君前もそう言ってなかったっけ?確か日記に……あったあった、うん、先月も同じ事言って凄かったんだ、マイナスの意味で』
「お前私の恥を日記に書いて楽しいか?!お前の家に言ったらその日記をコンロにくべてやるからな!」
『じゃあ僕は君のレポートの草稿をおにびで焼くよ』
「兎に角エンジュに付いたらポケモン勝負だ!今日は負けないからなマツバ」
『はいはい、待ってるよ。気をつけてねミナキ君』

等と何時もの調子で通話を切りもう一息と、逸る気持ちは歩を早めエンジュの町並みが木々の隙間から見え隠れし始めると益々気持ちが加速し、最早顔馴染みと言ってもいいくらいになった町の人々と簡単な挨拶を交わしながら更に駆け足になりマツバの家へ駆け込んだ私の目に映ったのは―玄関で蹲り身動ぎ一つもしない家主の姿だった。

病院に運ぶまでの記憶は曖昧で、マツバの状況をしっかりと医者に伝えられていたかも定かじゃない。それくらい慌て混乱し、医者の処置が終わる迄唯唯両手を揉み絞り大丈夫だ、大丈夫だと自分に言い聞かせ続けた。

それから、医者の説明を受けている間にマツバは目を覚まし冒頭の言葉に至る。

その後の検査や問診で、医者はマツバが頭を強かに土間に打ちつけ、記憶喪失になったんだろうと言う見解を示した。
そして医者が言うに、検査の結果マツバの忘れている事は大きく分けると三つらしい

一つ目は「自分が何処の誰で何をしていたのか」
二つ目は「生活における一般家事」

此処の時点でまず助かった、ポケモンの事は忘れていないし箸の使い方や日常生活においてしなきゃいけない事、出来なきゃいけない事は大体忘れていなかった。何故家事一切がすっぽ抜けたのかは解らないがそれはなんとでも出来る。
全てがすっぽ抜けて人生やり直さなきゃならない、なんて人もいると何かの本で見た事があったからな、マツバの記憶喪失が限られた分野の事で先ず安心した。安心したと言う言い方は可笑しいけれどマツバに大きな負担が掛からないと言う事が何よりで嬉しかったのだ。
そして私は今、マツバを連れてマツバの家に帰ってきた。何たって自炊能力を失ってしまったマツバに一人で暮らせと言っても無理無茶難題だ、医者からの提案もあって暫く私が同居しながらマツバの経過を看ると言う事にしたのだ。

「ただいまー」
「…お邪魔します」
「おいおいマツバ、君の家なんだからただいまって帰ってくるのが当然だろ?」
「…僕の、家?」
「あー、そこも忘れてたか」
「…ごめんなさい」
「いやいや、私が悪かった!それに畏まらないでくれよ、私達は…」
「僕と貴方は?」
「親友なんだぞ!お前は私の事をミナキ君って呼んでくれてたんだ。だからお前もそう呼んでくれよ」
流石に、恋人だとは言えず、その前までの関係を引っ張り出して貼ってつけた。うう、やっと恋人になれた矢先にこれか…何か悪い事したのかな私?否なんもしてない、何もしてないからな!マツバだって何もしてないのにこの仕打ち、一体どうなって―
「ぅ……うわぁあああああ!!」
自分の考えに没頭してたら家の中を見て回っていたマツバの悲鳴が耳に飛び込んで来る。何だ!泥棒か?凶暴化したポケモンか?ストーカーか??まずマツバの安全を確保しなければと悲鳴の聞こえた台所へ走って向かう。
「どうしたマツバ!」
「お…おば、お化け!ゆぅう、うゆ、幽霊が視える!!浮いてる!」
と自分の眼を押さえ、激しく頭を振るマツバの姿にしまった、と苦虫を噛み潰した。

「そうだ、ちょっと忘れかけてたぞ…」
そうだ、マツバの記憶喪失は大きく分けて三つ、その最後の一つが一番の問題だった。

マツバは自分が「視える」人間だと言う事をすっかり忘れてしまっていた。この世のものならざる者や遠くの物事、近い未来、誰も知らぬ過去…日頃どんな世界をマツバが見ているのか、それは解らない。しかし、記憶が無いと言う事はつまり―自分の眼をコントロール出来ないという事…これって、大問題じゃないのか?
その不安は的中し、元々目の所為で世を果敢無み憂い、無気力がちだったマツバは自分の意思とは関係なく否応無しに視界に入ってくる者や物、情報に一日中苛まれ、記憶を失って二日目にはあっと言う間に変調を来たし臥せってしまった。
こればかりは医者に見せてもどうにもならないのでジムのトレーナーのお婆さん達に畑違いだと言われたのを、そこを何とか!と拝み倒し何とかマツバの調子を戻せるよう手筈してもらった。そして私はマツバの看病に躍起になっていた。

「マツバ!何か食べろ!気持ちで負けると潰される、とお婆さん達が言ってたぞ。昨日から何も食べていないじゃないか」
「………」
「ほら起きろ!」
「ぅう…眼に……変なのがたくさ、ん」
「気にするな!消せないテレビだと思っておけ、それを目に貼り付けられてると思え!」
「その例え…強引すぎる……」
ミナキは腕を引き背中に手を添え、やや強引にマツバを布団から起こすと、脇によせて置いた御盆をマツバの腿に乗せメニューを叫ぶ。
「はい、鶏とザーサイと梅干と生姜のお粥!食え!!」
「……食欲が」
「食え!」
「…しょ」
「食え、と、言ってる、ん、だ、ぜ?!」
「…」

次の日も

「ほい、茹で鶏の梅だれ、海草サラダと豆添え!」
「サラダが添え物のレベルじゃないよねこれ…」
「肉を受け付けないのなら野菜で体を治さなきゃだからな!」

その次の日も

「ほら、唐揚げ二種盛りポン酢添え!ご飯味噌汁はお代わりあるからな、たんと召し上がれ!」
「これ…山だよね」
「一つ一つが大きいだけだ、数は多くないぜ!」
「それは総量が多いって言うんじゃ…」
「私も隣でいただきます!」

また次の日

「さぁ!蒸し鶏とラタトゥイユ、温野菜の盛り合わせ!」次の次の日

「ほい、鶏のすき焼き風豆腐と葱を多めで!」

次の次の次の…

「今日は趣向を変えて鶏のつくねだ、軟骨と大葉、胡麻を入れたぞ!序でに焼き鳥丼も作った!」

更に次の…………

「出ました!ミナキ君の真骨頂、筑前煮!」
どん!と音を立てて目の前に出されるそれに、遂にマツバは口を開いた。
「…ミナキさ」
「ミナキ君だ!」
「ミナキ君…あの」
「なんだマツバ!」
「なんで何時も鶏肉なんだろうかと…」
鶏肉は嫌いじゃない、今まで出してもらった食事は全部美味しかったし、この筑前煮だって味の滲み込み具合も味の濃さも調度好い。飽きた訳でもないがしかし、こうも鶏料理が続くと何かあるのではないかと思うってしまうのは、人間の心理であって。
だが、マツバの考えよりもミナキは大分シンプルな人間であった。

「私は鶏肉料理しか出来ない!」
「え?」
聞き返すと、ばつが悪そうにミナキは絆創膏だらけの手で髪を掻き回しながら
「も、元々料理はあまり得意じゃないんだぜ…何時も、エンジュに来た時君にしてもらってたし、君は料理も家事も凄く得意だったし」
と記憶を失う前のマツバの事を少し口に出す。対してマツバは、矢張り記憶の無い自分の事を他人事の様に感じながらもそれでも事実として受け止めようとした。
「そうだったんだ…でも、何時もなんで自宅じゃなく僕の家に?」
「そりゃスイクンの為だ!」
「スイクン?」
そう聞き返したマツバに、ミナキはとんでもない!と仰け反らんばかりに驚いた。
「嗚呼!なんて事だマツバ、スイクンの事を忘れてしまうなんて!!私がエンジュに帰って来るたびスイクンの話をする度、あまりのしつこさにぶぶ漬け投げて塩の壷まで投げてお帰り下さいスイクン馬鹿!!なんて言うほどお前にスイクンの話をしたと言うのに!!!?」
「ごめん…ポケモンの名前も曖昧なのがいて…」
「その調子じゃホウオウの事も頭からすりぬ」
「それは覚えてるから平気」
「お前のホウオウへの情熱は魂についてるものなんだな…」
「あれ?スイクンもなにか…思い出せそうな……しろ、み」
「この期に及んでお前は!!…いい、それは忘れてろ」
「?」
出来れば、白味噌への執着は記憶を取り戻しても忘れていて欲しいと願うミナキだが屹度無理だとも考えてしまう自分が切なかった。

*

その後マツバの症状は一向に良くならず、八日目からは何も飲み食いが出来ず、十日目で布団から起き上がる気力を失い唯呻き声を上げ続けていた。

「う、ぅう〜〜〜〜」
「マツバ、気をしっかり持て」
「………死にたい、もう駄目だ 嫌だ」
「何を言っているんだマツバ!死んでないのは良い事じゃないか!死んだら何も出来ないだろ?」
「でも…生きてるの  苦しいよ…」
その言葉が、胸や心臓、他の臓器や筋肉の隙間を縫うように、すいっとミナキの胸を突いた。日頃マツバが、努めて口に出さない本音を面と向かって告げられたようで、苦しいのはマツバだって解っているのにミナキは鼻の付け根がつん、とつまり胸がつまり目元に滴が溜まりそうになって嘔吐きあがりそうになって。それ等を堪えるように目尻に力を込めて
「それでも駄目だ!」
と叫んだ。その声にマツバも、吐き出したミナキも驚いて驚いた事によって少しだけ落ち着きを取り戻したミナキは続ける。それでも死んではいけない、と。

「私はスイクンを捜すのに夢中になってよく死にかけるから解るが、死のうとしたり思ったり考えてるのが一番駄目だ!本当に死んでしまう可能性が上がるからな!」
「…え?よく死に掛けるのミナキ君?!危ないよ!自分を大切にしてよ」
「それは日頃私がお前に言ってる台詞だぜ!何かあればすぐ自分の命や健康で補ったり贖ったりしようとする。お前の悪い癖だ、そう言ってるのに聞きやしない。いいか、忘れてると思うからもう一回言うぞマツバ!」

「今も昔も、お前の事を大切にしてる人は確かに居るんだ」
そう何度も何度もお前に言ってるのに、お前は口先ばかりで信じようとしないからこの機会にまた言うぞ?と目を塞いでいる両手をそうっと引き剥がして、自分の両手で包み、握り締め

「だからマツバ、」
願うように、拝むように必死に伝える。

「死にたいなんて考えるな、私はお前の死んだ姿なんてみたくない」
それを想像しただけで体が恐怖と怯えで震え上がり、悲しくて泣きたくなるのにお前の口からそれを望まないでくれ、頼む。頼むから
「頑張ってくれ、マツバ。頑張ってくれ」
こんな無責任にお前を頑張らせようとする私を、恨んでも憎んでもいいから生きて欲しい。マツバ、生きてくれ。

握る手を眉間につけ、必死に祈るように呟くミナキを見上げながらマツバは熱くこもった溜息を吐いて、押し出す様に苦しくも伝えた。
「………うん、大丈夫。ミナキ君、」
其処迄言ってくれるなら、僕頑張るね。

と、握り込まれた手を微かに動かし、僅かに動く指先で、マツバはミナキの手をそっと撫でた。その仕種の瞬間にマツバの指先が濡れ滴り、それを見てマツバが泣き虫だねぇと、笑う。
泣いてない、とぐずぐずの声を聞き、更に濡れる手を見上げながらまだ死ねないねと零す声は、ミナキの耳に届いたかは定かじゃないがそれでもマツバが紡ぎ出したものに違いなかった。


*


「ミナキ君、味噌だよ、味噌の味が恋しいよ」
「お前が記憶喪失でも、無意識に白味噌を求める程の白味噌偏愛だとは流石の私でも解らなかったぞ…」
くそ、忘れてくれと願ったのに此れは叶えてくれなかったのかよ神様仏様。と頭の中でミナキは毒づいた。

「信州なんてくそ食らえだよミナキ君」
「料理を忘れておいて信州味噌と赤味噌を馬鹿にするな!」
「思い出すよ…寧ろ思い出してやる…こんな視えるだけのものに負けてる場合じゃないからね」
「おお、マツバその意気だ!」「じゃあそんな僕を労う為にミナキ君白味噌を…」
「今日は茄子の田楽だな!」
「どうやっても赤味噌を使う気満々だねミナキ君!」
「お前が元気な内にご飯にするからな、じゃあ茄子田楽を楽しみにしてるんだぞ!」
「ゲンガー、味噌隠してきて〜」
「ポケモンに変な事お願いするな!くそ、ゴースト、ゲンガーと遊んで来い!」
口先の掛け合いが出来るくらいの余力の出たマツバとゴーストをやり過ごしながらミナキは味噌を死守すると言うなんとも奇妙なミッションをこなした。元気になったらなったで面倒だぞ、マツバの野郎!

そんなこんなで四苦八苦しながらも何とか三週間目に入りそうといった頃、マツバは日中なら眼の過剰な情報を誤魔化す事が出来る様になったらしく漸く閨から出て来れるようになった。

「マツバ、起きても大丈夫なのか?」
「うん、まだ寝てる時は魘されるけれど慣れてきたし」
「無理はするなよ?お前は無理も無茶も押し通す男だからな」
「はは、君の話聞いてると何だか矛盾してるみたいだ」
「は?何がだ」
「だって、君の旅の話を聞いていればこっちがハラハラしっぱなしじゃないか。こんな状態の僕が心配しちゃうくらい君は無茶し続けてるように聞こえるよ?」
「う、す、鋭いじゃないか!流石マツバ、目を使うなんて卑怯だぜ!?」
「普通に話し聞いてれば解る事だと思うけれどなぁ。後、僕も家事手伝える事あったらするよ」
「まだ休んでいたほうがいいんじゃないのか?良くなったとは言え病み上がってもいない状態だろ?」
とミナキは気を回すがマツバは首を縦に振らずに
「体も動かしたいし、君の指がなくなる前に是非家事を思い出したいなぁと。ね?」
ミナキの絆創膏だらけ(初日よりは減ったがそれでも面積が多い)の指を見下ろしながら笑うマツバにミナキは顔を赤くして怒る。無論、自分の手を隠しながらだ。
「私は其処まで不器用じゃないぞ!これだって最初の頃より随分ましになったし、他の家事だってちゃんと出来てるぜ!」
「はは、でもその指新婚の不器用な奥さんみたいじゃない?なんてね」
「―っっからかうのも大概にしろ!!」
ドキッとするだろうが!記憶を無くす前にも同じ様な事言いやがったくせに!!覚えてるこっちだけがなんでこんなに恥ずかしい思いしなきゃなんないんだもう!記憶が戻ってるんじゃないかなんて一瞬期待しちゃうだろうが!!

「御免御免、取り敢えず掃除とかは少しずつ僕に回してくれていいからね」
と前と同じ様に笑うマツバにじゃあ玄関頼むよと箒を押し付けて追いやり、姿が見えなくなって漸くミナキは顔を腕で隠してしゃがみ込めた。羞恥心で死ねそうだぜ…マツバ。都合の良い事を考えちゃう自分が恥ずかしいんだぜ…

己の感情の浮き沈みを自覚しつつ、ミナキは記憶を取り戻さないながらも少しずつ回復していくマツバとの生活にも慣れ、あっと言う間に二ヶ月と言う月日が流れた。
不思議な事に、その間にジムリーダー仲間やらトレーナーの知り合いでも現れないものかと期待していたんだが誰一人としてエンジュのマツバを尋ねてこようとはしなかった、こいつ…本当に大丈夫なのか?人付き合いちゃんと出来てたのか?もしかして浮いてたのか?ポケギアの番号交換してなかったのか??
…何時も見てるわけじゃないから解らないが、不安だ。今更不安だぜマツバ

「どうしたのミナキ君、疲れてる?」
洗濯物を干しながら硬直しているミナキに、マツバが心配げな声をかける。お前のコミュニケーション能力の心配だとは言えず、何でもない。と話をすり替える。

「それよりもマツバ、調子良さそうだな」
「お陰様でね、随分生活にも慣れたし家事も出来るようになったし」
「先月は悲惨だったからな!」
「………」
「マツバ?どうした?気分でも悪いのか?」
突然黙りこくったマツバにちょっと言い過ぎたかな?等と窺っている間に二度、三度とマツバが頭を抱え左右に振りながら顔を上げると…、何か違う気配をまとってミナキの顔を覗きこんだ。まるで…久し振りに出会ったかの様な懐かしさを込めた眼差しで。
「…マツバ?」
「あれ?ミナキ君、どうしたの?珍しいね、君がそんなラフな服装して家にいるなんて……あれ?何で僕…今何時?」
「マツバ?」
話の噛みあわないマツバから話を聞こうにも、マツバは時計を見たりポケギアを確認したり時報聞いたりテレビ確認したりと落ち着かなくなった。どうした?記憶喪失が悪化したのか?頭を打ったとは言え実はたんこぶ出来る程度のささやかなものだったけど病院に電話したほうがいいのか?取り敢えず落ち着かせなければ
「マツバ、何慌ててるんだ?取り敢えず落ちつけ」
「…っうわ!ジムの時間とっくに過ぎてるじゃないか!なんで、僕どうして家にいるの?」
「だから今ジムは休みにしてるだろ?」
「え?誰がジム休みにしたの?君が来るって朝の電話で言ってからジムを早く閉めようかなって気にはなってたけれど、それでもジムを開ける気はあったんだよ?そう言えば、なんで君がいるの?電話してきた所からエンジュ迄もっと時間掛かる筈だよ?ケーシイでも捕まえたの?」
これは、もしかして
「マツバ、お前記憶が戻ったのか?」
「記憶?はい?何言って…」
訳が解らない、と言った顔をしているマツバに唯、事実を告げてカレンダーを見るように促す。
「お前記憶喪失だったんだぞ?カレンダーを見てみろ」
「え…嘘、ってうぎゃ!何時の間にこんなに月過ぎてるの!?」
日めくりがこんなになくなってるじゃないか!と、カレンダーの日にちと厚みに驚くマツバにミナキは今迄のいきさつを説明し始めた。

「調子悪いってポケギアで喋ってた日、お前玄関で倒れてたんだぞ?病院に連れてったら頭打ってるって言うし目が覚めたら覚めたで私に誰だって聞いてくるし…初日は大変だったぞ」

「この二か月分の記憶が無いだろ?その間、私が付きっきりだったんだ。お前は自分の事は忘れてるし家の事は全く出来なくなってるし…」
「そうだったんだ…ごめん、確かに今さっき気が付いた様な今迄ずっと寝てた様な……君のいてくれた期間の事、思い出せない」
「…そうか、それは残念だな、恩を売るいい機会だったのにな!」
「ミナキ君その考えちょっと腹黒くない?」
「否定はしない!ああ、でも良かったじゃないか。毎日心配したぞマツバ、二ヶ月近くも忘れやがって!!」
「御免、本当に御免ねミナキ君。有り難う、貴重な時間を僕に割いてくれて」
「水臭い事を言うな、私とお前の仲じゃないか!」
「そう言ってくれると有り難いけれど…覚えていないのが本当に申し訳ないよ、僕は何か君に変な事しなかった?酷い事言わなかった?」
「全然、それどころか最初の一月の殆んどをお前寝て過ごしていたからな。全く迷惑なんて無かったぜ!」
「本当?それなら…いいんだけれど………駄目か、視えてもこない」
睫毛に触れるか触れない程度の場所に手を翳し、なにかを覗こうと遠くを見つめているマツバはゆるゆると頭を振って、と言う動作を繰り返していたが諦めたのかこめかみをぐりぐりと拳で押し始める。「う〜ん、酷い。全く視えない、何もかも視えてこない、可笑しいなぁ、ちゃんと開いてるのに」
何かよく解らない事を呟いているがもしやマツバ?
「眼のコントロール、戻ったのか?」
「どう言う事?」
「お前が寝たっきりだったのは眼のコントロールが出来なかったからだ、眼をどうにかするのに一月近くかかってたしその後も完璧なコントロールは出来ないと自己申告してきたぞ?」
テレビを二ヶ月付けっ放しにして放置したらそりゃ映らなくなるか映りが悪くなるだろう。今のマツバの眼はそう言う状態なんだろうなぁと、勝手な自己解釈をしつつマツバの様子を窺っているとこめかみを押すのを止めながら私の話に納得していた。
「そうだったの、その所為で頭が痛いんだね…うー、お陰で何も見えやしない」
そんな調子で視続けてたんだったら暫く視ようにも視れないかも、と眉間を揉むマツバはすっかり元のマツバのようだ。良かったと思う反面、少しだけ淋しい気もしたがそれを振り払うように無駄に元気な声でさて!と一言、言い放った。
「お前の調子も大丈夫だろうし、これでやっとスイクンを捜しにいけるな!」
「ええ!きゅ、急だねミナキ君」
「今のお前にとっては急でも私にとっては二ヶ月ぶりの行動になるんだぜ?」
「ううん、そうなんだよね?でも…この二ヶ月の事も聞きたいし今会ったばかりでもう行ってしまうのかい?」
だから二ヶ月前から一緒に住んでただろ?と言っても全く覚えてないよ!ずるいよミナキ君、恋人同士で一緒に住んでたなんて同棲じゃない!同棲気分一切味わってないよ!?なんて宣うマツバの扱いづらさに前のマツバの方が良かったのかも?と不謹慎な事を考えながらミナキはマツバをあしらう。

「はいはい、解った解った。それじゃあもう二、三日したらお暇するさ。レポートの草稿上げとかなきゃだし、病院にもジム関係にも連絡入れないといけないしな」
「何か僕の扱い適当じゃない君?!でもああ、色んな意味で頭が痛い。ジムの処理どうやってしてくれたの?」
「そんなのお前の溜まりまくった有給を消化しただけだ、まだまだ余ってるからじゃんじゃん使えとチャンピオンが言ってくれたぜ?」
「わははははは、折角溜めに溜めて事務局とかを困らせてやろうと思った有給が知らない間に消えた!」
「お前結構性格悪いぞマツバ!」
今更だよ、と久しぶりに聞いたマツバのドライな発言にマツバがちゃんと元に戻ったんだとミナキは確信した。良かったんだ、あの二ヶ月は無駄じゃなかったんだよな?マツバ本人に確認したいがそれは出来ない質問だと解っているから、ミナキは自問自答で解決する事にする。
これでいいんだ、確かにちょっと同棲気分…なんて、恥ずかしい事考えなかったかと言われたら嘘だけどそれはこれからだって出来る事だし、取り敢えず今はマツバの記憶が戻った事を素直に喜ぼう。
あれもしなきゃこれもしなきゃと喚いているマツバに好い加減に静かにしないか、と声をかけながらミナキは頭を切り替えた。


それから数日後の夜―…


明日、ミナキ君はエンジュを後にすると言い先程眠りに付いた。規則正しい、密やかな寝息と呼吸に合わせなだらかに上下する胸をを見下ろしながら枕元に躙り寄るとミナキに向かってマツバがそっと呟く。
「記憶としては全部思い出せないけれどねミナキ君、」

僕の眼に、僕の望みが映る事は殆んど無い。あっても偶さかな、まるで奇跡のような確率。でもその奇跡が起こったよ、
「君が僕の為にどれだけ沢山の事をしてくれたかは、ちゃんと知ってるからね」
だからミナキ君、僕は知ってるよ。君がどれ程心砕いて僕を助けてくれようとした事か、貴重な時間を僕の為に割いて、ほぼ付きっきりで僕の傍にいてくれた事も慣れない家事も料理もみんなこなしてくれた事も、生きて頑張れと…泣いてくれた事も
断片的な世界を記憶を、その他残りの事も、ちゃんと読んだからね。全部とは言えないけれど見て知って、微かに、ほんの僅か思いだしたからね。

『お前の事を大切にしている人は、確かにいるんだ。だから死ぬな、頑張れ』

うん、解ってる、解ったよミナキ君、本当に感謝してもしきれないよ。

ぱたん、と今日の分を書き終えた日記を閉じて机の上に置くと、マツバは隣で眠るミナキの髪を梳きながらそぉっと囁いた。


「ありがとう、君の事がやっぱり大好きだ」






佳火様、大変お待たせ致しました!マツミナで記憶喪失シリアス→甘との事でしたが…出来ているのやら。何か御座いましたらご遠慮なくどうぞ、仰って下さい!


14/6/15





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