キリンの首(背骨さんへゲントウ)


ゲンは不思議だ。
出会ったら頃から何時の間にかふらりと何処かに行き現れたら現れたでほぼ鋼鉄島からは出てこず時折ミオや稀に勝負所に顔を出す程度で。鋼鉄島に建てた管理小屋で寝起きしている筈なのだが、私が鋼鉄島に行くと入れ替わるようにまた、何処かへ行ってしまう。示し合わせた事など一度も無いのに私が鋼鉄島に籠ろうと向かった時に、ゲンの姿は何処にも無いのだ。
最初が偶然かと思っていたが何年も続けばその偶然は偶然とは思えなくなる。だが、だからと言ってそれに対して何かを聞いた事は一度も無かった。聞こう、と思った事はあるがいざ口にしようとすると聞けない気がして聞けずじまいのまま年月が過ぎていた。

今も、私が鋼鉄島を訪れ管理小屋へ足を運ぶと既に蛻の空であり人の気配も名残も全く無い、自分が後にした時から誰も立ち入っていないとも思える程の静けさを湛えている。
一応、小屋に来た時の癖で備品のチェックはするものの何時もゲンはどの様に過ごしているのやら、小屋の食料や他の生活の品が減っている事など今迄一度も無かったし今日もそうだ。何も変化の無い小屋、あの青年が本当に過ごしていたかも定かではない何の痕跡も無いこの空間に何故か普段は感じない居心地の悪さを感じ、トウガンは足早に小屋を後にした。


・キリンの首


ゲンが戻ってこない。

何時もなら長くても一月半も経てば何処から戻ってきて鋼鉄島にいる筈なのに、あの日から二月も過ぎたと言うのに姿を見せない。私が鋼鉄島へ日帰りで赴く際にはゲンと顔を合わせるし一緒に修行したり食事をしたり世間話をしたりするのに…何処まで行ってるのやら。

まあ、ゲンも子供ではなく立派な大人だし自分の身は自分で守れるだろう。第一旅を共にするポケモンがいる。大方修行に適した場所に長居しているか遠くに行って戻ってくるのに時間がかかっているのだろう。其処まで考えたトウガンは思考を切り替える。リフトの音からしてそろそろ挑戦者が来ても良い頃だ、気合を入れて迎えなければ。
ジムリーダーとしての責務を果たす為トウガンはリフトと共に現れるだろうまだ見ぬトレーナーを、腰につけたホルスターで今か今かと戦いを待ちわびるポケモンと共に待ち構えた。己の掲げるバッジと理念に敵う相手か、戦いの中で見定める為に。


ゲンがなかなか戻ってこないと考えてから数週間後、滅多に上陸してこない台風がシンオウを直撃した。周囲の地方の地形の関係もあり、発生したとしてもシンオウに来るまでに台風は威力が弱まる、と言うより勢いを失い上陸などしない。逆に言えば、シンオウに上陸する台風と言うのは凄まじくパワフルで猛威を振るうと言う事だ。
予想通りシンオウ全土が凄い風と雨と嵐に見舞われ、各シティのジムリーダー、四天王やチャンピオン、最後にはバトルフロンティアのブレーン迄狩り出されてのあの街からこの街へ避難、誘導、住民ポケモンの安全確保、防波堤確認等大わらわだった。特に海側に位置するナギサとミオ、湿原に隣接するノモセ、雪の多いキッサキは交通や通信が遮断されたり津波や浸水、雪崩の可能性が高かったので特に自分とマキシにデンジ、スズナが忙しくてんやわんやのしっちゃかめっちゃかだった。
雨風が酷くなる一方やっと街が空になり、さあ自分も引き上げよう。そう思った時不意に鳴ったポケギアにトウガンは大慌てで受信ボタンのスイッチを押して耳に当て、早口でもしもし!と雨と風雨に負けない大きな声で叫ぶと向こうではハウリングしたのか、くううっっっと聞き慣れた声がポケギアの向こうで悲鳴を上げてそれでもめげずに呼びかけてきた。

『っ父さん、聞こえる?』
その言葉に若干胸が落胆の音を立てた気がしたが今は考えている場合ではない、とトウガンは考えを放棄してヒョウタか?と息子の名前を呼んだ。
『クロガネは落ち着いたから電話してみたんだ。そっちは大丈夫?手伝いに行こうか?』
「いや、逆に危ないから来ちゃいかんヒョウタ。ミオの住民は全員避難させた、私もミオを出る」
住民の状況を確認次第クロガネに向かう、そう言おうとした時。
『父さん、』
「ん?」
『ゲンさん大丈夫かな?』
先程放り捨てた考えの矛先の人物の事をヒョウタに挙げられ、ヒョウタに悟られない程度に逡巡したがトウガンに迷う時間は無い。
「彼奴の事だ、無事だろう。いっぺん切るぞ」
何処にいるかは解らないが大丈夫、大丈夫に決まっている。ヒョウタに告げるように、自分に言い聞かせるように此処にはいない青年の安否を気遣いつつも、叩きつけるような雨風の中トウガンはミオを後にした。

しかしそんなトウガンの胸中を知ってか知らずかこの嵐の日から何時間、何日が過ぎてもゲンはミオにも鋼鉄島にも姿を現さなかった。
シンオウを襲った巨大な台風は全国的なニュースになったが幸い命の被害は出ておらず、各シティやジムリーダー達がが連携を取りあい壊れた家屋や自然の復興に躍起になり、あっと言う間に一週間、二週間一月と月日が経ち漸く落ち着いて腰を下ろせるようになったのは台風の日から二月も経ったある日の事だった。それなのに、

ゲンが帰ってこない。

何度も巡回をかねて鋼鉄島の管理小屋に足を運び、島中を廻ってもあの青い衣服の青年の影は愚か気配すらない。終いにはあの青年がこの島に滞在していた痕跡を何処かに見出そう、などと言う何処か感傷めいた事をし始めている自分にトウガンは激しく頭を振り自分の弱気を振り払う。こう言うじゃないか、便りが無いのは元気な証拠と。
そもそもゲンが連絡をする為の道具を持っていたか、甚だ怪しいところだ。一度ポケギアの番号を交換しようと言った時にまだ持っていないので、と断られた事があったがあれから彼奴はポケギアを買ったんだろうか?今度聞いてみなくては。
文字くらいは書けるだろうに…だが彼から手紙の類を受け取った事は一回も無い。出会う度、なにやら難しい本を読んだり分厚い本を捲っているし…ミオの私の家の住所を知らないのだろうか?ゲンは物を知らないところがあるから、意外と手紙のやり取りを知らないかもしれない。今度住所を書いて渡しておこう、クロガネの家の住所でもいい。
ゲンを鋼鉄島やミオに縛るつもりは無いが、ヒョウタだってあれ以来幾度と無く私に連絡を寄越してはゲンの事を尋ねてくる。ゲンはヒョウタや私にとっても知らない仲ではないしヒョウタにとっては兄の様な者でもあるだろう、その行方を気にするのは当然だ。此れは決して私の為だけとかではなく、ヒョウタも気にしているからだ。
等と誰に言い訳しているわけでもないのに、トウガンは頭の中でぶつぶつとあーでもないこーでもないと呟きながら、ゲンが何処か岩陰からひょっこり顔を出すんじゃないかと期待して日が暮れるまで島の中を回り続けたが、この日は到頭ゲンに出会う事は叶わなかった。

それから一日、また一日、一日……と時間が過ぎていく。幾日も鋼鉄島を廻り続けるトウガンだがそれでも、探し人は現れない。唯唯、日だけが過ぎていく。



今日もゲンは帰ってこない。

時間を作る毎に鋼鉄島に足を運び、島を廻り、最後は小屋の前で海を空を水平線の向こうを眺めながら人の気配を探る毎日をトウガンは送っている。
自分は彼をどれだけ待っているのだろう、彼の不在に気を揉み、待ち侘び待ち焦がれ仕事と修行の他の余暇時間を費やしてでも彼が現れる可能性の一番高い場所を飽きもせず探し続けている。
可能なら彼を探しにミオを出たいところだが、ジムリーダーであり鋼鉄島の管理人である自分にその様な無責任な事出来る訳―……?今、何を考えた?私は何を考えている?良い歳したおっさんが、何をしているんだ。何故こんなにもあの青年を探しているんだろうか?ヒョウタの為?島の管理責任者として顔見知りの安否確認がしたいからか?……どれも違う、正解ではない。
ならなんだ?何故此処にいて、街を離れてでも探しに行きたいとは一体……私はどうかしている。自分の責任を放り出したい等と考えた事は一度も無かったのに、今は目蓋の裏に姿の焼き付けられた青年を探して歩きたい等という個人的な欲求に刈られ、役割を放棄しようなんて考えに囚われている私は?一体如何したと言うんだ?
己の中に渦を巻く今まで気付かなかった得体の知れない感情に自問自答している内に日が暮れ、ついぞ待ち人は現れず一日が終わってしまった。


*


それから数日後、今日は仕事が休みだと言うのにトウガンは朝からミオの街を回り、鋼鉄島の中をまるで徘徊するように回り続け、無為な時間を過ごしていた。あまりに見えない先に遂には待ち倦んだ心が根を上げ二度三度と島を回るともう歩く気になれず、トウガンは管理人小屋を開けると中に据付けておいた椅子を一客持ち小屋を出る。壁の前に椅子を置くと凭かかる様に椅子に腰を下ろしその儘、気怠く海を、水平線を眺めた。何処までも青い空と海、潮の匂いの混じる風と飛行ポケモンの鳴き声。
世界は平穏だった、唯、トウガンの胸の内だけが戦場で荒れ果てていた。探し人はいない、待ち人は現れない。若しかしたら…と言う良からぬ想像と弱音を吐く気持ちを叱咤する気力も湧かず、唯景色を眺めていたが、全てが茫洋たる海に空に水平線に見え不安は果て度無く止め処ない。このような気分になったのは今まで一度しかなかった、あの時はどうやってこの気持ちを鎮めやり過ごしていたのだろうか…嗚呼、あの過去を思い出す余力など今は何処からも湧かない。数か月分の疲労もあったのだろう、トウガンは取り留めのない曖昧な思考を続けられず眠りの淵へと船を漕いでいった……

それからどれくらいの時間が経ったか、肌を掠めていく冷えた空気に目を覚ますと何時の間にかきらめく青空は茜色に輝き始め、水平線の彼方からじわじわと水色、藤紫、藍色―と此方に滲み寄る夜の気配と夜の空気の匂いがに躙り寄って来ていた。もうこんな時間か、マントの下で両肩を竦め身震いをしながらトウガンは立ち上がる。転寝する前までは無かった赤い景色と青黒い影が足下にまで迫ってきている。もう地時間もすれば辺りは澄んだ、しかし薄暗い景色と色合いなるだろう。
ああ、今日も駄目だったか…諦めにも似た溜息を吐き、後一回だけ見回ろう。そう口の中で呟いたトウガンの背に何処からか小さく声が掛けられた。それはトウガンさん?と言う疑問を抱く呼びかけだった。がそれを発したのはトウガンの耳に馴染んだある種懐かしい声だった。

「…トウガンさん、ですか?」

確かに聞こえたその声のする方に振り向くと、暗がりから夕日を受けながらトウガンの方に向かってくる青い衣服の男が待ち人の姿が目に映る。先程の呼びかけと同じ様に、掠れた声でトウガンも疑問を口にする。
「…ゲン?」
「いらしたんですか?」
今日は泊まられてないと思ったのにな、と言う最後に出会ったときとあまりにも変らない口調に態度に、頭の中は廻り喉元まで様々な言葉がざわついた。だが、乾いた口を吐いて出たのはたったのに三文字、おそい。だった―

「…え?」
聞こえていなかったのか?これは口には出さずにもう一度繰り返すのはたったの三文字、しかし、それにトウガンの胸に競りあがった暴れる気持ちの全てが乗っかっているのだ。
「遅い」
待ち草臥れたぞ。じとりと、地面を這うように低い声で告げる言葉はまるで恨み辛みの様に放たれる。意図したつもりはないが、間違ってはいない。疾うの昔に待ち草臥れきっていたのだから。

「…約束をしていたでしょうか?」
「いや」
何も。そう告げるとゲンははて、では何故?と良い多層に首を傾げこちらの真意を探ろうとしているのか、それとも記憶を探っているのか、視線を斜め上に上げて黙っている。そんなゲンには構わず、トウガンはもう一度言葉を重ねる。
「遅いぞ、ゲン。どれだけの間ほっつき歩いてるんだ」
心配したんだぞ、
勝手に口から滑り落ちた言葉に自分の今迄靄の掛かっていた気持ちが漸く理解出来た。

そうだ、単純な事だった。

私は彼が心配でならなかったんだ。息子の為でもなければ、鋼鉄島を預かる管理人としてでもない他ならぬ個人的な感情だ。
常なら二月もすればひょっこりと顔を出して、お久し振りですトウガンさん。なんて声をかけてくる青に身を包んだ青年が三月も四月も姿を見せないし、便りの一つも寄越さない。無事なのか無事じゃないのか、生きてるのか生きてないのか、何も解らずに唯待つしか出来ない身が窮屈だった。街と島から離れられない自分がもどかしかった。
それ程に彼が、ゲンがいるのは当たり前でありトウガンの生活のサイクルに組み込まれており、ヒョウタにとっても自分にとっても掛け替えの無い人物になっていたのだ。あまりにも日常で気付かなかった、だが、答えは直ぐ其処にあったのだ。
それに気付いた瞬間、体中から力が抜けるようによろけ咄嗟にゲンが支えようと前に進んできた。それを逆にトウガンは捕まえ圧し掛かるように背を抱き、肩に額を押し付けた。青い上着は草木の青い匂いと冷えた風のにおいがして掻き抱いた背からはゆっくりとゲンの体温が滲んでくる。其れ等はこれは現実なんだ、とトウガンに教える。目の前の青年が自分の作り出した夢や幻ではないと突きつけている。
慌てたようにゲンはトウガンを呼ぶが、トウガンは返事をせず押し付けた額をその儘に一つ静かに、深く聞こえる様な息を吐いた。ゲンは未だ何がなんだか判断がつかず再びトウガンに声をかける。
「トウガンさん?」
「この前、俺の誕生日だったのにお前戻ってこなかったな」
ヒョウタと待っていたのに、ヒョウタは遅くまでお前を待ってたんだぞ?其処まで言うと頭上から僅かに息を詰める音がしてやや時間を置いてから、静かに謝罪の言葉が降ってくる。
「……すみませんでした」
「違う、そうじゃない。別にお前さんの謝罪が欲しくてこの話をしたんじゃない、」
「?」
「誕生日なんかどうでも良かったんだ…お前がちゃんとやってるか無事かどうか、俺もヒョウタも心配だったんだ。こんなにお前さんがいなくなった事なんて今迄一度も無かったから」
「え………」
でも今目の前に、腕の中に、お前さんがいるのは夢じゃないんだろう?頭を押し付けた肩の斜め下の辺りから響く一定のリズムは嘘幻じゃないんだろ?ならいい、もういい。
ゲン、
「お前が、無事に帰ってきて…良かった」
地面に零れ落ちていく胸の内に、トウガンを支えている腕に俄かに力が籠り、僅かに上からまた謝罪の言葉が降り注いだ。
「すいませんでした…何も言わずに長く離れてしまって……」
解って謝っているのか何となく謝っているのか、問い質すのはまた後にしよう。その前に一つ、言う言葉がある。
肩に押し付けていた額を持ち上げ、トウガンは視線を上げると久し振りに会ったゲンにこう言った。

「ゲン、おかえり」

初めて言われた迎える言葉に、ゲンは暫し瞠目したが徐々に柔らかく嬉しそうな抜けた息を吐き、くすぐったそうな面映い顔をしながらぎこちない返事をした。

「……ただいま、帰りました。トウガンさん」







15/2/19





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