小説 | ナノ





マジックワールド(アーティ+ハチク)






その青年の奇行、と言えばいいのだろうか。その動きに目を奪われたのは事実だし現実だが果たして奇行なのだろうか…この、一心不乱にペンを動かし紙に線を書き続けていく青年の動きは。屹度奇行だ、自分の知ってる限り、この様な突飛な行動を起こす人物ではないのだから。

青年は自分と同じジムリーダーで、アーティと言った。すらりと長い手足、その手足がゆわりゆわりと動く度揺れ靡く髪は柔らかそうで、黄緑色の宝石を象嵌した様に瞳は光を孕む様輝いている。物怖じせず、他人とは違う角度からの視点で紡がれる発言は、耳障りの悪くない優しい声音で会議中に発せられる。その秀麗な面差しと相俟って美しい青年だな、と客観的な考えで思っていた。贔屓目無しにその形容詞がぴったり合う男なのだ。以前の職業柄美男美女は見慣れているつもりだったが何故だろう、彼に関しての素直な感想は其れだったのだ。
それが、今日は少し変だった。具合が悪いのだろうか、彼は視線を忙しなく上へ下へ、右左、斜め上下…と360度と言っていい程に動きデスクの上で組まれた手は忙しくなく絡まり解かれまた絡まって。落ち着きなく椅子の上で体は動き完全に気は漫ろ、シャガさんの話は絶対と言っていい程耳に入っていない筈だ。何故アーティの状態を仔細に観察出来たかと言うと、私の席はデスク二つ分挟んだ対面側、つまり向かい合った目の前にアーティがいてキョロキョロ、うろうろ、もぞもぞ、グネグネしていた訳だ。そっぽ向いても目に入る。
そして会議が終わり何人かが席を立った瞬間、彼は椅子を引き倒さんばかりの勢いで立ち上がり会議用の資料を裏返し、白紙の部分にいきなり、いきなりだ。何処からか取り出したペンで線を縦横無尽に引き始めたのだ。キュキュ、キュッキュ、キュッキュッキ、キキッキキュキュッ………場はそのアーティの行動に沈黙、マジックペンの走る音しか聞こえない。アーティは場の空気なぞ全く読まずに紙を黒くしていく―…

と言った奇行が始まったのは10分程前からだった気がする。この場に残っているのは私とシッポウシティのジムリーダー、アロエとライモンシティのカミツレ、ホドモエシティのヤーコンのみになっていた。それでも、アーティの手は休まず動き続けていて、ジムリーダーの定例会議用の資料、本日分12枚はもう余白が殆んど無い。
「アーティ、はみ出しそうだよ」
線が、とアロエが皆まで言わずともその場に居る誰もが思った。此の儘では一分も立たずにこの黒インクの滲むフェルトのペン先は紙からはみ出し、少し薄汚れの掛かり始めた白い会議用テーブルと言う世界に飛び出してしまう。それは本人も理解している様で、
「そうなんだ、収めたいけど………絶対収まらない。アロエ姐さん、どうしよう。溢れてくる、描かなきゃ、今日は描かないと駄目な日みたいだ、ああ、よりによって皆と集まった日なのにぃ」
とひよった声を上げる。でも手は止めない、それどころか益々加速している。
「会議中は保ったんだろ?家迄我慢出来なかったのかい?」
「多分駄目…歩いた端から地面に描いちゃう、姐さん紙、紙、紙継ぎ足してよぉ」
全く…と呆れながらも紙を継ぎ足してやるアロエは
「どれだけ描くつもりなんだい?今回のそれ」
と問うている。…今回?以前にもそんな奇行を起こしていたのか?
「解んない……何時もより多いかもしれない」
前後不明な二人のやり取りは兎も角、興味本位に彼等の背後に回り見たその、縦横無尽と言わんばかりに引かれた線の集合体は…長い「絵」の断片であった。
「っ………」
この青年が、こんな絵を…しかもなんて速度だ。絵は覗き込んでる間にもどんどん出来上がっていく。驚きに息を呑んで唯見つめていると手を止めずに彼が告げてきた。

「発作みたいなものなんです」

発作?物騒な表現に訝しむ様な目で見つめていると、彼はちらり、と私を見上げてきた。困った顔をしていたがそれは益々困った風に歪んでいく。
「ボク、ヒウンシティで画家をやってるんです。あ、絵だけじゃなくて他の事もやろうと思ったらやるんですけど今は絵を描くのがメインかなー。絵を描くのが仕事ですし、絵を描くのが本当、生き甲斐なんです。でも、毎日毎日朝から晩迄それこそ寝ないで描く日だってあるのに、それでもどうしようもなくアイディアとか、インスピレーションとか構図とか色合いとか、そう言ったものが頭の中から溢れ出てくる日があるんです。予測も予期も出来ない、唐突で、突然で。時も場所も選んでくれない!」
そう言えば芸術家でアーティと言うイッシュでは有名な人物がいるがまさかこの青年と同一人物だとは思わなかった。自分の中の芸術家のイメージと彼が合致していなかったのだ。本名で活動しているとも思わなかったし。
「其の衝動を堰き止めると大変な事になるんです、あ、別に天災とかそう言う災害が起こる大変じゃなく、ボクがもっと可笑しくなっちゃうんです。吐き出せなかったイメージが来る日も来る日も頭の中や目の前、意識を侵蝕してくるんです。それを追い出すのには凄く時間が掛かって、その間のボク、普段よりずっと変なんです」
自分で自分を変とか言うな。奇人変人の類には見えない青年はそれでも今、奇行の真っ最中だ。
「今日は新しい人達の紹介もあるってシャガさんが言ってたし、だから真面目に会議しようって。スケッチブックは置いてきたんだ。この後ご飯でもしませんか?って、新しいジムの、サンヨウシティの三つ子君が折角誘ってくれたのに、ああ、どうしよう。屹度ボク見て吃驚しちゃったよね?」
「じゃあペンも置いてきな」
「知らない内にポケットに入れてたんだ、無意識だったんだよぅ…」
アロエの有無を言わさない言葉に弁明のつもりか唯の事実確認か、情けない声を出してアーティは答えた。手は止まらない、止められない、なのかもしれない。
「…私はこの後仕事が入ってるからもう行くわ、アーティ。頑張ってね」
また暫くの間硬直していた場をさらっと崩しながらカミツレは蛇の様に長い模造紙を何処からか取り出し、アーティのペンがデスクに飛び出す前にペンと机の隙間に紙を挟みこんだ。慣れた動きに、彼女にとっても日常なのかと妙な勘繰りをしてしまいそうになる…否、屹度慣れてる。私は今のメンバーの中でもまだ日の浅いジムリーダーなので個人個人の付き合いと言うものが薄く、会議以外で遠方のジムリーダーと関わりを持った事が殆んど無い。辛うじて繋がりがあるのは両隣のシティのジムリーダー、シャガとフウロくらいだ。
「ごめんねーカミツレ、今度アイス奢るからさー」
「他のデザートとポケモンバトルも期待してるわ、じゃあね。おっさん、途中まで送ってよ」
「なんで俺がお前を送ってかなきゃなんないんだよ、俺は偶々自分の仕事の準備で此処に残ってただけだ。しかもまだ終わってねえ!」
「いいじゃない、方向一緒でしょ?それにおっさんなら歩きながらでも仕事出来るでしょ?ほら、もたもたしてると仕事の資料がアーティの絵の一部にされちゃうわよ」
「けっ、よく言うぜ。ま、それも一理あるか。俺も先に戻るぜ、小僧、キリの好い所で切り上げろよ」
「努力するよ〜、じゃあまたねヤーコンさん、カミツレ〜」
ゆるゆると柔らかな声音で二人を送り出すアーティだったが、表情と行動はその限りではない。困りながらも目つきは真剣そのもの、決して紙から離れなかった。微かに開いた唇から吸い上げる空気はヒュッ、と空間を切りまるで下絵をなぞるかの様に迷い無く、ペンは紙の上を滑り、走り、絵を刻む。私は唯、それを眺めていた。目を離す事が出来なかった。

更に30分程経っただろうか…彼の手は止まらない、カミツレが置いていった模造紙はもう1m程しか無い。アロエが詰めた息を出すような、深く長い溜息と共に眉間を押さえながらアーティ、と彼を呼ぶ。
「アーティ、もう諦めな。会場を借りていられる時間はもうとっくに過ぎてるんだ。次の予定だって入ってるらしいし、ビルの人に迷惑だよ」
「じゃあ廊下で描かせてもらえないかなぁ、もう少し、もう少しなんだ」
「そもそも紙が無いじゃないか、もう少しはどうするつもりだい?」
「うん〜、どうしよう〜〜」
「机にはみ出すなり描くのを諦めるなりしな」
「どっちも出来ないよ〜、机は僕の物じゃないし、半端に止めたらジム戦も儘ならなくなっちゃう…」
「それは知ってる、頭の中が破裂したみたいなちょっとどころじゃなく可笑しいアンタの面倒みたのあたしと旦那だからね」
「うん、そうなんだけどー、あの時もその前もこの前も有り難うございましたアロエ姐さん」
「机は一緒に会場の人に謝ってあげるから、はみ出しちまいな」
「うー、うー、それはやだよぉ。でも、どうしよう、どうしようどうしよう」
空いた手でがしがしと髪の毛を掻き回しながらそれでも残りの空白を惜しむ様手を動かし続ける青年に、遂に私は声をかけた。
「ちと、尋ねるが」
「………ハチク さん?」
「あんた、まだいたのかい?」
アロエの発言に、そんなに存在感が無かっただろうか…と少しだけショックを受けたが顔には出さずに問いかけを続ける。
「…後、どれくらいでその紙を使い切ってしまいそうだ?」
「へ?」
質問の意味が解らない、と首を傾げるアーティは初めて手を止めて、背後のハチクを見上げた。アイマスクで目元を覆われ表情を読む事が難しいハチクの顔は、それでもアーティが見る限り自分の行動を批難したり、嗜めると言った感情を表してはいなかった。
「後何分程で描ききってしまうんだ?」
アーティの疑問にハチクが丁寧な返答をすると、アーティは思い出した様に手の動きを再開させながら大凡の時間を割り出した。
「え、と…後10分から15分くらいではみ出すと思います」
「10分か、解った。」
一人納得しひょい、と踵を返すハチクをアロエが呼び止める。
「ちょいとアンタ、何処行くんだい?」
「紙を買ってくる」
「はあ?」
取って返した言葉にアロエが大袈裟な声を上げる。何故ハチクが紙を買いに?…単純な連想だ、その先を追って彷徨っていたアーティの目が勢いよくハチクに合わせられ慌てて捲くし立てる。
「そっそんな事いいです!貴方だって用事やする事があるでしょう?僕に構わないでも大丈夫、どうにかしますから」
どうにか出来る気、しないけど。
「発作とは自分では抑え切れないものの事だ、いくら画業が生業とは言え大変なものに違いは無い」
はぐぅ!考え読まれてるぅー
「そ…そりゃそうですけど、でも、貴方にご迷惑はかけられないです……」
唯でさえ今の自分の行いは他人に迷惑をかけている。あまり親しい間柄とは言えないハチクを巻き込む訳にはいかない。しかし自分の奇行を初めて目の当たりにしたのに、何故この人はこんなに冷静なんだろうか。逆にこっちが気になる。
「迷惑ではない、私は」
扱うポケモンとこの風貌によってアイス・マスクと言う二つ名を掲げられていても、この眼差しに温かさを感じられないと何も解らぬ相手に心無い言葉を投げかけられていても
「目の前で困っている人に手を差し伸べない程冷たい人間のつもりは無い」
私が失意のどん底に居たあの時、手を差し伸べてくれたあの人の様に、私も――…例えこの手を取ってもらえなくてもいいから。
「待っていろ、今買ってくる。ビルの者には声をかけておくから廊下で描いているといい」
言い終わるか終わらないかハチクが素早く翻り歩を進め、あっと言う間に部屋の外、扉を体半分潜り抜けるか抜けないかの瞬間にアーティは先程よりも切羽詰った声で叫んだ。それは思いの外大きな声だったが悲鳴ではなく、咄嗟に飛び出した呼び止めだった。
「ハチク、さんっ!大丈夫!」
「……」
意味は解らないが、言葉のニュアンスとしての「大丈夫」にハチクは振り返った。そこには先程の悩みに振り回されている姿ではなく一心不乱にペンを動かし、迷いの無い顔で紙を見つめるアーティがいた。
「大丈夫、紙、いらない ですっ」
更に激しく紙と擦れあいながらペン先は紙の右上端の角でくるり、とその動きをとめ、そして静かに、右下の角に「arti」とサインをいれ、手を止めた。残りぴったりを使い切っての大作は歪なキャンパスに描き上げられた長大なドラゴンポケモンだった。
「止まった……」
はぁ、はぁ…と肩で息をつく彼の指からするりとペンが抜け落ちていく。カラン、と硬質な音の後に床にへたり込むアーティは額から汗を流しながらも安堵の溜息を長々と吐いた。
「あ〜〜、良かったぁ。今日は早く出きったぁあ、はぁ、はぁ…」
「これは…ドラゴンポケモンか?」
激しく荒々しいタッチのドラゴンは長い体をくねらせ豪雨の中を飛んでいる、そんな構図だ。しかしペン一本で描かれた物とは思えない迫力に私はまた息を飲む。
「……はい、はひぃ…多分子供の頃に見た外国の絵に描いてあったドラゴンです。イッシュで見るドラゴンポケモンとは全く違う変わった形で、でも凄く力強くて…あの絵大好きでした。虫ポケモンが一番の筈なのにあの絵の前で毎日毎日、店のおじいさんに顔を覚えられるくらい通いつめてたんです」
あの絵はどうなったんだろう、足繁く通った小さな画廊が閉まってからの足取りなんか、子供のボクには一切解らなかったし敢えてかどうか、探そうとはしなかった。でも、その思い出からこの絵を描いた、それには屹度意味がある。今度探してみようかな。ああでもそれよりも今する事は
「姐さん、ハチクさん」
一生懸命、ボクの為に親身になってくれた二人への感謝とお礼。
「ありがとー、付き合ってくれて」
アーティの呑気な礼と先程の険しさが嘘の様な融けそうな眼差しと声音に二人は肩を竦め、笑ってアーティの奇行を許した。
「まったく、難儀な奴だねあんたは」
「えへへー、ごめんね姐さん」
「…急かすようですまないが、本当に退却した方が良い。利用者が待ってる」
「わっわっわ、わぁ!急がなきゃ急がなきゃ急がなきゃ!!」
絵を掻き集めるアーティに机を戻す私と会場の関係者に謝罪しているアロエの三人は、ばたばたと後片付けをし逃げる様に会場を後にした。久しぶりに本気で駆け出した私の足は縺れてしまいそうだったが、飛んだり跳ねたり駆けたりを繰り返していた昔を何故か思い出し悪い気分ではなかった。






二人の出会い、と言うより関わり合った瞬間は些細で微妙にズレてる事だったら面白いなぁ。と言う妄想でした。