小説 | ナノ





花冠はほどけたままに(マレクク)






ククイは慌ただしく、浜辺に建てた研究所兼自宅の扉を開け中に飛び込んだ。後ろ手で閉めた扉は大きな、それこそ日頃にない乱暴な所作を非難するような音を立て閉まるがその音は家主の耳には届いていない。
彼は大切に抱えてきた箱をテーブルの上に置くと静かに開き、中から小さな手触りの良い布で覆われた小箱を取り出した。元々店で受け取った時はこの小箱のみだったのをうっかり落としたり無くしたりしたくないからと店員に無理を言って抱えられる程の大きさの段ボールとこれでもかと緩衝材を詰め込み、その中に丁寧に収めて急ぎ足で帰宅したのだ。恭しい程に両手で持ち上げ緊張入り交じる真剣な眼差しと手付きで小箱の蓋を開けるとそこには大小二つ、銀の輪が目映い程に輝いて行儀よく並んで収まっている。先程店頭で確認の為に見てきたのに、感極まって視界が潤んだ後なのにまた視界が潤み鼻がツン、としてくる。
今度彼女がアローラに来た時にこれを渡そう、そして何度も何度も伝えてきた気持ちを言葉をもう一つ先の言葉に繋げよう。幸福感と不安、高揚感と今までにない緊張感が渦巻く胸は鼓動が高鳴り口から出てきてしまいそうな程だ。学会の発表でもこんなに緊張した事はないし本番は今日じゃないんだ、今から緊張してたら当日疲れきってしまう。大丈夫、僕なら大丈夫だ、うん彼女のサイズは些か不安だが自分のは大丈夫の筈だ。緊張のあまり些細な事すら不安になって仕方がないそうだ、売り場でも嵌めてきたけどと大きな方の指輪をケースから外し自分の指に嵌める。小さすぎず大きすぎず、ピッタリに誂えられた事が解る銀の輝きは目映い程──?
ふと指輪をつけた手を見下ろしていると何かが記憶の海から浮かび上がってきた、誰かにこうやって指を彩られた事がある気がする。子供の頃か?漠然とした古い記憶は円く元の形が判別出来ないが確か──花だ。器用に指輪状にした花を誰かが付けてくれたんだ、誰だったろう?

『ククイは不器用だね』

『また作ってあげるよ、友達だから』

『────』

自分はなんて答えたんだろう、相手は笑っていた気がするけれど誰だったろうか?大切な事を、話した気もする……駄目だ思い出せない。頭を振っても眉間を押さえても夢のように記憶が遠い、シャワーでも浴びて気分を変えよう。ククイは指輪を外しケースに戻すと静かに蓋をして脱衣室に向かう、外は雨が降り始めたのか屋根にポツポツと滴が当たる音がし始めたけれどすぐにシャワーの音に混じり掻き消えてしまう。ククイの曖昧な記憶も思い出だったものも音と一緒に掻き消え床を流れ排水溝に流れてしまった、何となく指に違和感を覚えるなぁと言うぼんやりとした感触だけが僅かに頭の何処かに残り雨は次の日迄も続いた。



「マーさんすごい上手だね」
天文台スタッフの子供がパパへのプレゼント!と摘んできた沢山の花をそのまま捨てたり駄目にする気になれず空き瓶に生け続けたが花瓶だって数える程しかないこの場所ではたかが知れている、半端な量の花をもて余していた職員達の前でマーレインは器用に花冠や花の指輪を編み始めた。あっという間に出来上がる花細工に職員やマーマネは嘆息するばかりで、可愛がる甥の一言に満更でもなさそうにマーレインは口を開いた。
「子供の頃よく作ったよ、一緒に作った相手はそんなに器用じゃないから全部失敗しちゃったんだ。もう一回もう一回って何個も何個も見本を作ったよ」
いやぁ覚えてるもんだよねー、言いながらも指は止まらず残りの花々は全て編み込まれてしまう。何時もの柔和な笑みの筈なのに何かが違う気がしてスタッフが持ち場に散っていったのを確認すると、マーマネはマーレインのジャケットの裾を小さく引きながらこそっと耳打ちした。
「それって、マーさんのすきな人?」
マーマネの内緒話に身を屈め耳を貸したマーレインは可愛い甥の言葉にくしゃりと破顔させながらも頭を左右に振るばかりで。
「──大切な友達だよ。もうお互い大人で花の指輪やブレスレットを欲しがったりする事はないし屹度今頃は、誰かに指輪を贈ってるだろうね」
大切で大好きな人の為の枯れずくすまず萎れもしない指輪を、彼は贈るだろう。幼い日々は美しく、目蓋の裏で脳裏で鮮やかな思い出になっている。あまりの目映さに意識を持っていかれそうになるが甥の手前現実に強引に引き戻す、ここはあの日の野原でも浜辺でもないし約束をした丘でも森でもないそうだ幼い口約束、果たされないからと言っても今更感傷の肥やしにしかならないし僕達は大人だから屹度、これでいい。
掌の中でもてあそぶ花の指輪の微かな香りが理由をつけて蓋をした胸の内を引っ掻き回すがそれでもマーレインは笑みを絶やさず持ち場へ踵を返す、この気持ちも早く思い出になってしまえばいいのにとどこか子供じみた言葉が喉元まで出かかったがそれを静かにデスクの上にあった飲み物と一緒に飲み干して椅子に深く腰を下ろした。

忘れよう、あいつは多分覚えていないような子供の頃の甘い甘い、花の約束なんて。

未だ弄んでいた花の指輪をデスクの端にそっと置くと書類に目を通し始める、萎れかけた花は必死な眼差しで幼な心の思い出を追いやろうとする男を静かに見つめているが誰もそれには気付かず時間は過ぎていく。
天文台の外にも雨の気配が近づき始めていた、屹度何日も続く雨になるだろう。









18/6/11