小説 | ナノ





お題2-1






▼恋というのも随分と久しい

此れはまた随分と懐かしい状況に置かれているじゃないか。

他人事の様に嘯いたが自分は当事者である、己の事なのに俯瞰的な物言いや見方をしてしまうのは最早癖であり、仕事病みたいなものでもあった。いや、こんな説明を長々としたい訳じゃあない。そもそも出来ないのだ、今それ所じゃないんだ。
私は今、所謂片想いを自覚した所なのだから。

恋とはこんな情動だったろうか、何分かなり前、子供の頃に淡く抱いたきりなので記憶にも感情的にも曖昧だ。大人になってからの私の恋や愛というのは現実的、言い換えれば駆け引きを楽しむ為のものであって恋をするという行為そのものの為にするものではなかった。
いや、するなんて自発的なものではない、私は恋に落ちたのだ。

切欠は些細な物事で、日常にまるで罠の様に鏤められていたそのパズルのピースや連想ゲームのヒントの如きささやかな感情の芽が萌芽した時はすでに恋に落ちてしまったと言う自覚が結論として出てしまった。本当に唐突に、その閃きはやってきたんだ。

目が追う、私の目が彼を追いかけ続ける。幸い同じ職場に通い日常的に顔を合わせる為堂々と盗み見る事が出来る、寧ろ其れしか出来ない。他にするべき事はある、見ているだけでは恋は実らない。そんなの解りきってるのに面と向かうと口が動かなくなるのだ。
無論私はいい歳をした大人で、社会的経験も他人とのコミュニケーションを取るという事も可能だし寧ろ得手としている筈なのだ。そう自負していたのに彼の前に出ると口は渇き喉は干上がり、舌は上顎に貼り付いて社交辞令と事務的な連絡を絞り出すのがやっとと言う有様。喋る事が一番の才能じゃないのかと人に疑われた私が一言も口説けずに丸一日、蛇の生殺しをされたのだ!
嗚呼、今更だが相手は男で職場の同僚で、つい先程迄からかい甲斐のあるいい男だと思っていたんだ。しかしこの恋を自覚した私はもう彼を唯の同僚ともからかい甲斐のある善い男とも思わないだろう、この事はほんの僅かに残念だと思う、良い友人になれると思ってたんだ、本当は。

*

一晩明け、幾分か落ち着いた私は今度は寝ても覚めても彼の事ばかり考えてしまっていると言う少女漫画の主人公状態に陥り、成る程シキミやカトレアはこういう状態の主人公に共感してあの漫画や小説を読んでいたのかと無意味な実感に逃げてみた。が気が削げたのは一瞬だけでまた彼の事で頭がいっぱいになってしまった。参ってしまうと言う事は無い様だが、ふむ、興味深い。これは少し試してみなきゃならないな。果たして恋は、私を骨抜きにしてしまえるのだろうか?
伊達男と自称するのは恥ずかしいが女性との付き合いは数多くこなしたしその分様々な経験とときめきを体感してきている、つまり最近はマンネリ気味だったんだ。だから目新しい場所と言う彼に不時着してしまったんじゃないのか?と言う疑問が少なからず私にはあるし無駄な事を考える余裕もまだ僅かながらにはある。男に声を掛けられ関係を迫られた事はあっても、私は男に声を掛けたり関係を迫った事は一切無かったんだ。本当に興味ない筈だったし、だから私は今、この職場で実験をしてみようと思う。

まず己を彼の前に放り出してみる。気分的には無防備な気持ちで、その実少しだけ身構えたつもりで。だが、何だかんだ考えていても彼の一言で全てが霧散してしまった。

「お早うギーマ、今日は遅刻しなかったな」
「……お早う、私だって毎日遅刻する訳じゃないよ?」
「よく言う、そういえばあの書類でかしてきたか?」真っ直ぐに私を見下ろす彼の真っ直ぐな瞳に、私は必死に目を合わせて普段どおりを装ってその場をやり過ごした。
彼を目の前にした時の心臓の鼓動の速い事、止まぬ妄想の加速的な事、手の付けられぬ速さで現実に溶け出そうとする夢想と空想。待て待てと何時ものへらへらとした笑い顔の下で己を律するが歯止めが利かなくなるのは時間の問題だろう。実験は第一段階で失敗、否結果が出てしまった。
つまり私は彼に骨抜きにされていたのだ!

其れからは家に帰る迄が己との戦争だった、自覚しただけなら構わない、だから何?とそ知らぬふりを決め込み他の事を考えていればよかったのだが恋は厄介だった、常に彼の事を考えてしまう今の状態では自覚した思いを放置する事が一切出来なくなっていたのだ。
頭の中はまるで子供染みた単純かつ陳腐な妄想が繰り広げられている、恭しく手を取り深窓の令嬢をエスコートする様に引き寄せて耳元で口説いて愛を囁いて彼がそれに羞恥心で頬を染める。どこぞの陳腐で懐古的な小説か!B級以下の自主制作映画か!しかも此れを実行に移そうと体が反応しかけてるとか?!なんて冗談なんだい?否、本気なんだよ。愉快なのやら苦痛なのやらもう解らなくなってきたが、これは理性が負けてやるべきなんじゃないか?そうだ、考えているだけでは物事は何も動きやしない、何事もやってみると言うのが肝心だ。
それが本能に従うと言う事であっても私は躊躇しない。

だって私は己の欲求に正直な性分なのだから。

いやはや此れは正しく重症

私は君に恋をした。


▼あなたの正義に泣かされる

我ながら、どうにも融通の利かない人に惚れてしまったと思う。

彼は言うのだ、正しい行いをしなければならない、と。其れは義務だと、責務だとも言う。
それを他人に押し付けがちなのはまぁ追々自覚を促していけばいいだろう、思い込みの激しい一面があるから他の意見や見解が見えていないだけだろうから。融通は利かないし頑固だが自分が悪いと思えばちゃんと反省して改善できる素直さも持っている。
だが、その義務感と責任感を自分自身に押し付け続けるのはどうにか出来ないものかな?

「レンブ、手加減と言う言葉を知ってるかな?」
「……すまん」

そう、彼は誰よりも自分に厳しい男であった。そして、良くも悪くも加減と言うものを知らない男でもある。

「シャガ市長とかアデクさんなら兎も角だけど、何で君迄無茶するかな?」
「…………面目無い」
そう謝罪する顔は半分白い。色を塗ってるとかではなく半分がガーゼと眼帯で覆われているのだ。そして体の至る所も包帯で彩られ利き手である右手に至っては指が三本、骨折やら裂傷やら色々で包帯でまとめて縛られ、手の甲の裂傷と手首の骨折の為右腕はギプスでガッチガチに固められている。どう控え目に見てもかなりの重傷だ。
「…ポケモンと一緒にトレーニングするなとは言わない、君のトレーニング方にとやかく言う筋合いは私には無いからね。でもレンブ、人間は引き際を知ってる生き物なんだぜ?寧ろポケモンですら引き際くらい弁えてる」
「……………そうだ、いや、そうです。はい」
「まさか勢い余ってポケモンと一緒に大岩砕いて、その破片を顔面に喰らった後残りの岩の下敷きになるとは夢にも思わなかったよ、漫画じゃあるまいし」
わざわざ声に出して原因とレンブの赤っ恥を淡々と告げてやると、居心地悪そうにレンブはソファーの隅でその大きな体を少しだけ小さく縮めた。その普段は絶対見せない態度が気持半分は面白く愉快で、残り半分はもし万が一があったらと言う心配とレンブが無事であったと言う安堵感が綯い交ぜになって不快だ。寧ろ気持ちが悪い、吐き気すら催しかけてる。だってそうだろ?片想いの相手が血塗れで意識も無い状態でポケモン達に抱えられてきた姿を見せられたら、か弱い女性なら引っ繰り返り逞しい野郎でも青ざめ取り乱す。
其処を必死に理性で何とか保たせ病院に連れて行ってやった己の機転と精神力を自画自賛したい、気もする。
「全治三週間半以上リハビリ二ヶ月以上。そして何故か付き添いの私が医者に絞られた、私は君を連れて行っただけなのにね!?」
「それは申し訳なかったし反省している………本気で」
「口ではなんとでも言えるよね?…どうしたの君、こんな事今迄しなかったんじゃない?」
「そう、だ けれど…、急に思い立って」
「試合か何かでも控えてるのかい?」
あったとしてもこの怪我じゃ出場は無理だ、潔く諦めてくれ。レンブを正面から見下ろし腕組みと仁王立ちを崩さず、不愉快であると言う気配を醸し続けつつも問えば、そう言うのではない、と歯切れの悪い返答が帰ってくる。
「じゃあなに?果たし状でも受け取ったのかい?」
「いや…」
これもまた歯切れの悪い返事。何だ、なにか人に知られたくない事でもあったのか?
「なに?通勤途中に痴漢にでも遭ったの?憂さ晴らし?」
「違う!何で俺が痴漢に遭うんだよ!」
いやー、ゲイに好かれそうな顔してるから…は流石に今言うのは止めておいてやろう。可哀想かもしれない
「兎に角、何か思うところがあってあんな危険な真似をしたんだろ?私は君を助けた、だからその理由くらい聞かせてもらってもいいと思うんだけれど?」
そう言えばうぐ、だのうん、確かに…だのとまた歯切れの悪い事を口の中で言いながら、レンブは「とても私事なんだが」と前置きして
「……師匠の事を考えたら、居ても立ってもいられなくなったんだ」
と言った。

「………は?」
なんだそれ、全く意味が解らない。と言う意味を込めて、溜息のような一文字を漏らせば
「あの人は自由だ、でも途轍もなく大きく、深くそして悠然としている。何かの頂点に立った者が持つ余裕の様なものだと思うんだが、それがあるからあの人の不在でも俺達は頑張ってリーグを守ってこれたと考えたんだ。」
と続けた。なんと相槌を打てばいいか解らず、唯黙ってレンブの話を聞き続ける。
「俺にはそれが無い。そう気付いたら、なんだか目指しているものがまだまだ果てしなく遠いものや場所の様に思えて…無茶をしてた」
そうか、彼は彼なりにあがいている。それは解っているつもりだ、けれど
「君はアデクさんとは違うよ、急いだってああいう人物になれる訳じゃないと思うけど?」
「解ってる、でもどう目標に僅かにでも近づきたいんだ。一歩でも半歩でも、だから」
「あんな無理な事をしたと?ああ言うのは自分の実力を解ってる人間がやれる範囲でやる無茶というものだ」
解っていない奴がそんな事をしたって何も掴める訳無い、今の君の様に唯痛い思いをするだけだ。
「君のは唯の無謀だ、もっと他の方法を模索するべきだ。そういう強さは、唯の独りよがりなんじゃないのかい?」
少しきついかと考えたが、彼の意思は鋼よりも固く意固地になりがちなので敢えて厳しく言及してやると、そうかもしれない。と珍しくあっさりと認めた。
俺は弱い、まだ考え方も稚拙だ、でも…と顔を挙げ続けようとしたその眼差しに、私は酷く泣きたい気持ちになった。

「だからこそ、強くなりたいんだ。自分の為でもなく、唯の勝利の為でもなく。俺は間違えているのか?」

真っ直ぐな眼差しは、曇りも濁りも無い眼は真摯に疑問を問うている。ああそうだよ、君は正しい。正義は君にある、だからこそ思う。

私はその正義が歯痒いよ、それに雁字搦めにされて他を許容する事が出来ずにもがいて生きてる風に見える君を、己の個人的な感情で変えたい、導きたい。なんて烏滸しくも考えてしまう自分が今途轍もなく小さな人間で、惨めな気分だ。

しかしそんな感情をおくびにも出す事はしない。何時も通りの顔と仕種をとる事に努め軽く肩を竦め小さく溜息を吐いて気を落ち着ける。そうだ、何時もの人を食った顔でいろ、今は年長者らしく振舞え、燦然と輝く事実を彼に突きつけろ。
「…取り敢えず休みたまえ、仕事も修行も。暫く君の世話は私が見る事になってるから、宜しく」
「え?何故お前なんだ」
寧ろ世話なんかいらない…と宣おうとした彼の鼻先に人差し指をすぅっと突きつけ
「私以外適任が居ないんだよ、我慢しておくれ?」
と何時もの様に微笑めば、世話なんかいらん、と少し不機嫌そうな顔をしてレンブが続ける。そう、君の信じる正義は強く、君の目指す理想と未来と夢は何よりも清しく潔い。
「このくらいの怪我、1人でも大丈」
けどね、君の理想と正義よりも今はこの現実の方が強くて眩いんだよ?

「足の骨にヒビ入ってる人が何ほざいても無駄だよ。もう片方は捻挫だし」
「ぐぅ…」
押しつぶれた様な声を出すレンブに、さぁお休みよ?と取り敢えず終業時間まで傍で寝かせておこうと毛布をかける。
せめて休憩所に、なんて言うレンブの額に、子供にするみたいにおやすみのキスをしたら流石に驚いたのか、大慌てで頭っから毛布を被ってしまう。おやおや、キス一つでなんと可愛らしいじゃないか
「ふふ、ゆっくりお休みよ」

何時か、もっと世界は広いんだと、君に見せてあげたい。


▼君が探してるのはどちら

「ギーマ。師匠見なかったか!」
「いや、今日はまだ会ってないけれど?」
「あの人は!今日は役員会だからリーグに出て来いと言ったのに!!」
何処に行った!と叫びながらレンブは携帯片手にバタバタ暴れている。そう言やぁそんな物あったな、面倒くさいな〜。私お偉いさんに会うの凄い嫌なんですけれど、お腹痛くならないかなー
なんて妄想に逃げている内に、レンブも独り言に拍車がかかっていっているようで。

「昔っからこうだ、大事な用向きだと言っても自分でそう思わなければ約束なんか守りやしない」
「自分の立場を忘れて、後から大事にする。足下が軽すぎる!」
「ああ!何の為に携帯を持っているんだあの人は!リーグと俺にはすぐ繋がるよう設定しているのに!!」
シルバーフォンかよ…あの人パソコン使えないからな。
「あっちへふらふら、こっちへふらふら!何時も通りと言われたら其れ迄だが、偶にはしゃんとしてくれとこの前言ったばかりなのに!」
「落ち着きなよレンブ、あの人だって時間に合わせてくるんじゃないのかい?」
「そうかも知れんが、それではチャンピオンとしての威厳も責任もあったもんじゃない!私と二人きりの修行の旅をしていた時とは立場が違うんだ、あの人は其れを解っていないのか態となのか!!それでいて挑戦者が居ると言えばおっとり刀でも帰ってくると言うのに…あの人は」
「…………」
「ギーマ、すまんが俺は捜しにいって…」
「で、レンブは師匠を捜してるのかい?それともチャンピオンを捜してるのかい?」
「!」
師匠探しなら手伝ってやらないよ?と暗に言外に含め問うてやる。
だって彼は私の師ではない、私にとって上司であり恩人である事に変わりは無いがそれでも彼は他人で一個人としての人格がある。それを枠に填めようとするのは君の勝手だ、でもその手伝いをするなんて真っ平御免だね。

此処はイッシュ、自由と平等の国だ。しかし平等は容易く手に入るが維持が難しく、自由は己の責任で以って手に入れなければならない。
己の意思で其れを行使するんだから、彼の行動は彼の自由だ。其れが彼個人としての活動に拠るものなら誰も口出しなんかする権利は無い。
勿論、彼「個人」なら、の話だけれど…ね?レンブ?
私の目線と言外の意図を汲んだのか、レンブは頭の熱を冷ます様に一つ、深呼吸をして
「………チャンピオンに決まってる」
と答えを出した。はい、良く出来ました。ちゃんと答えに辿り着いた、良い子だねレンブ

「そう、気をつけて。君に挑戦したいと言うトレーナーが来たら連絡しよう。それでもって、もしアデクさんから連絡があればこちらで押さえて置くよ」
「ああ、頼む」
足早にリーグを後にするレンブの背を眺めながら、携帯の電源を入れてアデクの居そうな所数箇所に連絡を入れておく。レンブの言葉は確かに正論だ、毎度役員会にも定例会議にも出てこないチャンピオンだと、流石に上が騒ぎ出す。事情を説明したり釈明するのは私とレンブなので面倒でもアデクさん本人を捕まえて出席させたほうが何倍も手間は省ける。其れは解っている、
解っているが…
何かにつけて師匠師匠連呼されて、いい気がしない。そのベクトルが自分が彼に抱いているものと全く違うものだと言う事は理解しているが…気に食わない。そんな気持ちの儘放った言葉はまぁ、想像通りの皮肉と意地悪混じりのものだった。
ああ、なんて事だ
「…子供の嫉妬だ、恥ずかしいな」

君の中に住まうあの男の大きさが憎い

▼やさしい指先がこそばゆい

正直言えば、怪我は全然平気じゃなかった。

岩が崩れて来た時、ポケモン達を逃がさなければ!と懐のモンスターボールを力いっぱい放り投げながら隣にいたダゲキに「逃げろ!」と叫んで―…意識は無くなった。

その後、俺は無事に目を覚ましたが、目を覚ましたら覚ましたで後悔した。
怪我はし慣れていたが今回のは桁違いだったらしく、麻酔が切れたのか、痛み止めが合わないのか、それとも効いててこれなのか…意識を逃がそうにも鮮烈で凶悪な痛みの波は間断無く俺を襲い、声も出ない程体中が痛みベッドの上でもがいた。
自分の居場所も判断出来ない、冷静な考えも思考も全く働かない、呼吸は上手く出来ず喘ぎ嘔吐き、もがく度暴れる度痛みは倍加して俺を襲うと言う悪循環の中まともに考えられる様になったのは痛みと疲労で動けなくなった頃だった。

疲労の所為か視界が悪い…と思ったら目蓋が持ちあがらなかった、どうやら物理的に視界が半分しかなく、片目を覆う何かの影に触れようとした指が、手が動かない。仕方なく反対の手で腕に触れたら何か…触った感触でああ、ギプスかと判断しそろそろ、と探りながら手や指に触れ他の触れられそうな部位にも触れて状態を確認した。
もう、上半身前面で怪我してない所は無い程の状態だという事に漸く気付いた時、俺の目が覚めた事に気付いた看護士と医者がとても慌てていたのを何故か妙に覚えている。今考えると痛みで暴れた俺の状態はさぞおぞましい物だっただろう、医者が目の前に現れた時点で、俺はやっと此処が病院だと言う事を思いつく程に俺の思考能力は落ちていた。しかし、それ等の痛みはまだ序の口で、俺はこの後病院に運んでくれ帰りも付き添ってくれたギーマのお仕置きと言う名のお説教で、最上級の精神的な痛みを味わう事になったのは記憶に新しい…寧ろ今し方の出来事だ、忘れ様にも忘れられない。本当におっかなかった、ギーマは正論しか言ってなかったから反論は全く出来なかったし、オマケにギーマに看病される事を承諾しなければならなくなっていて俺は益々恐ろしくなった。
入院するかと医者に打診された時俺は痛み止めが効き過ぎて朦朧としていた為か唯、帰りたいなぁくらいにしか考えてなくて、ギーマが俺の意思に関わり無く勝手に、

『自宅療養します』『家近いんで看病出来ます』『お互い身内が遠くにいるし保証人の問題があるので…』『診察代や何かは後日支払いに来ますので、請求書と領収書の用意お願いします』『労災の申請をしたいので診断書もいただけませんか?』『再来は来週でいいですか?』

等と、医者も呆気に取られる程早口に捲くし立て俺を連れて病院を後にした。その時「リーグに帰るからね」と言われ、ああ、帰れるのかぁ。なんてぼんやりと思って唯うんうんと頷いてギーマに手を引かれギーマのポケモンに担がれリーグへと帰ってきてしまった。
その後リーグに戻りギーマの持ち場のソファーに腰を下ろした頃、漸く薬が抜けてきてまともな思考になってギーマの鮮やか過ぎる手回しを説明され顔を青くした。
何でお前そんな勝手な事を…否、確かに入院するとなれば保証人の問題もある、知り合いや知人はあまりにも自由人が多く頼める人がいるとは到底言えないし、それに入院費を捻出できるかと言われればそれもあまりに高額なら出来ない。入院するならその間のポケモンの事もあるし、冷静に考えればやはり、入院と言う選択肢は俺には無い。
しかもギーマの説明を思い出せば酷い怪我だ、此れは労災が下りるのだろうか…保険適用になるんだろうか…情けないが、確かに入院なんて出来る訳がない。

それでも職場に居る時は、と往生際悪く休憩所に向かおうとした俺の肩をやんわりと押さえたギーマは俺に毛布をかけながら
「さぁ、お休み」
なんて言ってこいつは俺の額にキスしてきやがった。うわ、馬鹿!お前は父親か母親か!?
もう十何年以上も、遙か昔にされていた親の愛情を与えられる行為に似たそれが無性に恥ずかしくって、痛む肩や腕を使って何とか頭から毛布を被って出来るだけ小さくなって隠れると
「ふふ、ゆっくりお休みよ」
そう笑いながら、ギーマは隣に腰掛け殆んど傷の無い背中を毛布の上からそうっと撫でてきた。その手が優しくて柔らかく包む様に触れてくるもんだから、なんだかむず痒い気持ちになって、ぎゅうっと目を瞑った。
する、する、する、と背中を撫で下ろすその感触に意識がぼうっと解けていくのを感じながら先程から考えていた疑問を口にする。

「……ぎーま」
「ん?」
「なんで…面倒を見てくれるんだ?」
お前にはそんな義務も義理も無いのに、どうしてこんな面倒を被ってくれるんだ?そう続けようとしたが毛布の中に籠る暖かさとぽん、ぽん、とリズムを変えた背中への手の感触に意識は益々浚われ、痛みも和らいだような錯覚を覚え言葉は続かない。
それでもギーマは俺の言わんとする事を汲み取ったのかああ、その事?と確認しながらも一息吐いた後に
「なに、たいした事じゃないさ」

「借りを返したいだけだよ」

なんて言った。借りってなんだろうか…何かしてやっただろうか……駄目だ、思い出せない、眠い………重たい目蓋を上げる事も敵わなくなり、存外に丁寧で温かくて優しい掌に抗えず、唯唯流されるように意識を手放した。

▼それからさよならと告げた時

「もう、駄目なの?」
この台詞は一体何度聞いたのだろう、その内の何回が円満解決で、何回が修羅場だったのか最早覚えてすらいない。しかし、圧倒的に円満解決が多かったのと最後は無事に双方同意の上で後腐れない幕切れになったのは覚えている。

そして、この言葉の後に翳る顔を目元に溜める滴を一体どれ程眺めただろうか?

「終わりにしよう」

「私の何が悪かった?」

「何も」

「嘘。じゃあどうして終わりにするの?」

「もう君に捧げたい愛が無くなってしまったよ、」
「私にはまだあるの、だから…まだいかないで、いかないで…」
その白々しい嘘を吐く彼女を今直ぐ口汚く罵ってやりたかったが、その感情の起伏を起こす事すら無駄に思えて唯深く溜息を吐くだけに留めた。
「君には他の愛しい相手がいるそうじゃないか。相手から連絡を貰ったんだよ、君と別れて欲しいって」
「私は貴方が一番よ!」
否定しないのかよ、図太いな、もうあきれ果てる程図太い。やばい女だったか、珍しく外れを引いてしまったか?これは相手にくれてやるべきだな…等私が最早彼女への愛情を失っている事を気付いていない目の前の女は
「相手とは別れるから、ほんの気の迷いだったの、貴方との方が先だったんだから、ね?機嫌直して?」
それからでも遅くないでしょ?そう言い募りまだ続けようとしたが、私は容赦しなかった。

「さようなら、愛していたよ」

突きつけた現実に、漸く夢から覚めたのか現実が見えたのかさぁっと顔の色を失いながら
「言えない、さようならなんて言えない」
と芝居がかったような素振りで涙を溢れさせるが、もう私にそれは美しく見えない、何も心に響かない。

「私は言うよ、もうこれっきりだ。本当に愛してた」
「ならこれからも愛してよ!ギーマ!」
私だけを愛してよ!!

――なんてメロドラマ?うーん、走馬灯、と言うやつか…縁起が悪いなぁ

ま、縁起も悪くなる。

今死にそうだもの私。



まさかあの後刺してくるなんて誰も思わないって。人生で初めて、修羅場の後に更なるオチをつけられたよ…あー痛いな、本当に痛いいったい!
口に出してしまいたい愚痴だが今は騒ぎたくても騒げない、私は潜伏中なんだ。あの後、あの女は電話で男を呼んで私にトドメでも刺そうとしたんだろう、電話で揉めている間に何とか巻く事が出来たが思ったより傷が深かったのか、痛いし出血は多いしで一先ず隠れる事にしたがこれが墓穴だった。あの女は自分の男とその連れ数人で街中を捜し回りはじめたのだ。携帯は捨てたから居場所を特定される心配は無いが迂闊に出られない。持久戦はヤバイよな、でも振り切って逃げ切れる自信もそんなにないしポケモンは…最終手段だしな

…レンブは無事に帰ったかな?まさか出会うなんて思わなかった、こんな時間にこの道を歩いてるなんて予想外だった。だってこの道は確かに住宅街に通じてるけれど治安が良い訳じゃないから地元の人間も夜はあまり通らないし、真面目で規則正しい生活を送っている彼がこんな夜中にこの道をチョイスするとは誰も思うまい。
彼に声をかけられた時、巻き込む訳にはいかないと直感的に思って帰した。だって痴話喧嘩だよ?しかも振った相手に刺されて、相手は男友達迄呼んで俺を捜してる。なんて陳腐なドラマに出演させられない、大事な同僚だ。直属の上司からの預かり子だ、後輩だ、珍しく良い仲で付き合いが出来ると思った男だ、こんな恥ずかしい所見せたくなかったしこんな駄目な人間の世界を見せたくなかった。
……兎に角彼は無事に帰ったと思う事にして今はこの街を出る事を考えなければ

なんて、痛みから逃げる様に思考、推敲を重ねている場所は路地裏のゴミ箱(生ゴミ)だったりするのだ…

またゴミ箱かよ…私は人生の中で何回、ゴミ箱やゴミ捨て場にいなきゃなんないんだ。格好悪いし恥ずかしいし臭いし…まぁ、一番隠れやすいんだけれどね。何故かポケモン達が味方してくれるパターンが今迄多かったから一番生存率の高い隠れ場だし、捨てられ場だし…まぁ今回はまだましだ。服着てるし財布はあるしポケモンは取られてないし…腹は痛いけれど……っ!

僅かに思考を逃がしている間に、自分が隠れているゴミ箱の前に人の気配を感じた。その気配がゴミ箱の蓋に手をかけ開けようとしている瞬間だと気付き、バレたのかと推測した脳内は一瞬で戦闘モードへ切り替わる。
少しずつ、でも確実に上がっていく蓋に否応無く緊張感は増し神経は尖る。手の入るほどの隙間が開いた瞬間、舌打ちを隠さずに先に仕掛けようとモンスターボールを掴む。

「っ出ろキリキ――!?」
懐のモンスターボールを開け放つ寸前に相手の姿が視界に入り込んでポケモンへ指示する声は勢いを無くし切れ落ちた。其処に居たのはあの元彼女でもその連れでもその浮気相手でもなく、肩で息を吐いて額に汗の球を走らせる先程逃がした同僚の姿だった。
「……レンブ?」
「やっと見つけた…」
そう肩で息を吐くと共に吐き出した言葉は掠れ鼻声で、まるで泣き出しそうだ。
「れ、レンブ?」
「嘘吐き、あの儘で明日会える訳ないだろ?なんで嘘吐いたんだ」
大丈夫だから、また会えるから、明日会えるから、だから真っ直ぐに明るい道を目指して走って帰れと。一緒に帰ろうと言われた時に吐いた解りやすい嘘の群れで、それでもと言い募る彼を無理矢理明るい道へ追いやった。その時のやり取りはつい先ほどの事だった筈なのに、かなり前の事の様に思い出された。

『明日、会えるのか?』
『ちゃんと会えるよ…お休み』

なんて陳腐で子供騙しな最後の言葉だ、でもああ言わないと、君絶対着いて来るじゃない?でもそれは絶対遠慮して欲しかったから必死に嘘吐いたのに、何で戻ってくるのかな〜君。
「折角逃がしてあげたのに…君ってやつは」
「あれで逃げ出せる程、不義理な人間じゃない……本当に、どうして」
「だって…格好つけたいじゃない?」
「…白々しい嘘を」
まるで零れ落ちる滴の様な、静謐な声音はこの路地裏のゴミ置き場には全くの不似合いに響いては消えていく。ああ、どうか
「泣かないでよ」
「……泣いてない」
嘘が下手糞だね、でも、今迄で一番綺麗な滴を見ている気がするよ。流れ、零れ落ちる滴なんて何度も何度も見ていたのにそんな彼女達の泣き顔より、君のその顔の方が何倍も美しくて、何倍も物悲しい。
この数言のやり取りで気が抜けたのか、痛みを増す腹部に無意識に手をやりながら浅い息を気付かせない様引き絞り本音を零す。

「…本当はね、恥ずかしくてさ」

「理由がくだらなすぎてね…まぁ、なんか半端に見られちゃったけど」

「君を巻き込みたくないなぁって……思って さ」
こんな醜くて薄汚い世界に顔を出す必要なんかない人種の君に、見せたくなかった。此れは本当だよ?私は嘘吐きだけれどね、君の事を大切な同僚と、友人と思ってるのは本当なんだ。此処迄は流石に恥ずかしくて言えなかった、場所も場所だし。
そんな私の感傷を自分の目尻を乱雑に拭った彼が柔く切り捨てる。

「そんな気遣い、今更だった。あの時点でもう巻き込まれている、」
「…ま、言い方を変えればそう、なるけどさ」
「どうせ痴話喧嘩かなんかだろ馬鹿」
ああ、痛い所ついてくれるじゃないか
「それで相手が自分の知り合いの男を使ってお前を捜させてるんだろ?騒いでる男女を見た、彼奴等お前の名前を叫びながら凶器を振り回してた」
君、本当は頭いいんだろ?正直に言いなよ、馬鹿にした事ないし、自慢されても卑屈になんかならないからさ。

「お前のは…あれだ、まるっきりパターン化した恋愛だな」
「…恥ずかしい限りだ、よっ」
う!恋愛経験殆んどなさそうな奴に言われちゃったよ!こっ恥ずかしい言この上ない!!そんなにテンプレな恋愛してるの私!?
私の悩みも痛みも如何でも良さそうに、レンブは此方に手を差し伸べながら
「帰るぞ、ギーマ」
と促してくる。まだ何かへ理屈をつけて彼を逃がそうと算段するが、此方の考えが纏まる前にレンブが強引に私をゴミ箱から引き摺りだして腕に抱えようとした。その時!

「いたぞ!」
「男と一緒だ!!」
ちんたらしてたからか見つかってしまった、うわ、本当になにやら手に持ってるじゃないか、危ない!彼奴等私を殺す気満々じゃないか!!
「ギーマ!あたしがいながら男と浮気してたのねこのゲイ野郎!!」
え?何その勘違い、止めてよ!彼は私の大切な、数少ない友人だぞ!彼に変なイメージを植えつけるの止めてくれよ!
「っちょ、誤解だ!私はいたってストレートだ!!レンブ、アレ嘘だから、信じなくて良いから!」
「変に相手をするなっ逃げるぞギーマ!」

私は、今後自分の生業に関係のある女性と付き合うのをすっぱりと止めようと、この時心に誓っいながら担がれた際に擦れた傷の痛みに耐え切れず意識をフェードアウトさせた。





長くなったので半分づつに分けます

title:メランコリア【恋というのも随分と久しい】