小説 | ナノ





星に願いを






「なんだって?」

我ながら随分と素っ頓狂な声を上げたもんだと、「〜て?」まで言い切ってからギーマは思った。それ程衝撃的な言葉を相手に言われた、聞き返す程に俺は面食らったつもりだ。
「今、何て?レンブ」
「…元通りにならないか、と言ったんだ。」
元通り?何の話だ、何を元に戻したいって?それよりもこれは職場で、俺の持ち場で改まって言うような内容なのか?なんか、こう、もう少し他所でやる方がシチュエーション的に正しいんじゃないか?例えば互いどちらかの自宅、とか他は―…何故だか思いつかない。俺にしては珍しく思考が逃げている。可笑しいな、この展開初めての経験じゃないんだけどな。
「…つまり、」
「同僚に戻ろう、ギーマ。別れたいんだ」
レンブと浅からぬ関係になったのはそう古い話ではない。オトすのが大変だったし間柄がなかなか進展しなかった。じわじわ、じわじわと、それこそ野生動物ににじり寄る様な硬い地面に水が滲み込む様な緩慢さで距離感を詰めあったし、時折衝突しあいながらそれでも良い方向に育んだ間柄だと思っていたのだが…何分唐突にも程がある。俺は矢継ぎ早、水掛け論の様な問いを答えをアホの様に繰り返してしまうくらいには動揺していた。
「何故?」
「別れた方がお互いの為だ、」
「別れる理由が無い」
「そんなもの両手足の指の数だけある、」
「じゃあ別れない理由は星の数だけあるから、この話は止そう」
「そんなにあるものか、嘘吐きめ」
「星はちょっと大袈裟かもしれないけど、イッシュのポケモンの数よりはあるね、絶対ある」
「んな馬鹿な…」
「馬鹿な話なもんか、君の話の方が馬鹿で突拍子もないじゃないか。」
「熟慮の末の結論だ、馬鹿でも突拍子が無い訳でもない」
「どうだか、昨日の夜迄何時も通りだったじゃないか。」
君の家で玄関で、他愛も無い話をして、その日最後のハグと啄ばむ軽いキス。おやすみをして別れた。全く何時も通りだ、何の素振りも無かった。
「あのキスの最中も別れる事を考えてたのかい?」
「っ…そうだ、」
微かな余白に引っ掛かるものがある気がしない訳でもないが、恋人の突然の心変わりを素直に受け容れられる程今のギーマは冷静ではなくて。口から出るそれは刺々しい色を帯びていて。
「随分余裕があるじゃないか君…何処で覚えてきたんだい?」
「…何を考えてるか知らないが、俺はお前の様に不埒な真似は一切した事等無い」
「どうだか、こう言う時の定石として他の相手が居るんじゃないのかって言う疑惑は当然のものだろ?」
「そういう意味で別れたいと言ってるんじゃない!」
「じゃあ然るべき理由を並べるのが筋ってもんじゃないのかい!」

………………

険悪な、今にも胸倉をつかみ合い喧嘩に発展しかねない雰囲気の中、ギーマが「止めだ止め」と空気を切り替える様に肩を竦め一度離した視線を今一度レンブへ戻した。冷たい視線はレンブの腹の底を炙って嫌な緊張感を抱かせるが、顔には努めて出さず対峙の姿勢を崩さない。
「此の儘だと堂々巡りだ。何時まで経っても猜疑心で頭でっかちになって結論が出やしない」
「なら今直ぐ別れ「しかし感情に任せたって後悔するだけだ、カードの切り方は慎重に且つ大胆じゃなきゃ」よぅ、おい被ってるぞ!」
「お互いを疑うくらいなら今から述べ合おう、別れる理由と別れない理由と。納得した方に従おうじゃないか」
何時も通り人の意見を聞いているのかいないのか解らない物言いだったが、確かに此の儘では穏やかに解決だなんて夢のまた夢だ。
「……解った、」
静かな怒りと腹立ちの中、売り言葉に買い言葉の状態で始まった理由の答弁。だが、これは自分にとって不利なものだと頭に血の上りかけたレンブは即座に気付けなかった。

*

「男同士だ」
「同性だから解り合える事もある」

「互い四天王と言う社会的地位についてる立場なんだぞ」
「四天王だから恋しちゃいけないのかい?そんな道理無いよ、俺達には恋愛する権利がある。し、」

「し?」
「規則に載ってない、”四天王同士の恋愛と交遊を禁ずる”って無いもの。契約違反じゃないから、誰に咎められるものじゃない」

「…調べたのか?」
「手抜かりは無いよ、もう二度とあんな分厚い規則の紙束読みたくは無いけどね」

抜け目の無い男だ、関心より呆れを帯びた感想は頭の中でのみ述べ、口は別れる理由を告げ続ける。
「世間体が悪い」
「隠し通せばいいだろ?今迄だって誰にもバレてないじゃないか」

「性格の不一致だ」
「なに、その内馴染んでいい感じに妥協しあえるようになる」

「お前の方背が小さい」
「愛の前に身長差なんて無意味だよ、キスだって出来るし他の事も問題無く出来てるじゃないか」
セックスとか、と内容を露骨に口に出すと、かぁっ と小麦色の皮膚に目元に赤が滲んでいく。何でまだ慣れないのかな〜そう言う所も気に入ってる内の一つだけど、これを理由に挙げたら拗れそうだから今は伏せておくに限る。ベッドの中で囁くのに取って置こう。

「ごほん…お、お前には、女性の方が似合うと思ってる。俺と付き合う前迄普通に女性と付き合っていたんだろう?なら不可能じゃない筈だ。」
「さっきと重複するけど俺達は恋する権利も愛する権利も恋人の傍に居る権利も、誰を選ぶかと言う権利も持っている。誰もそれを邪魔する事なんか出来ない。俺は君を選んだ、君が俺の恋人で彼女だ、だからどんな見目麗しい、財力権力のある女性も今の俺には無価値だ。女の隣ではなく、俺は君の隣にいたい」

さっきから会話尻に挟み込まれる赤面ものの回答、どうにかならんのかお前…本当、俺じゃなく見目麗しい女性に使うべき台詞だろそれ…

「俺といてもつまらんだろ?」
「まさか!毎日新しい発見に満ちていて、目が回りそうだよ」
「そんなの、俺がお前にとって物珍しいだけだ。俺の様なタイプがお前の周りにいなかった、それだけだ」
「じゃあ俺も君にとっては物珍しいだけだったかい?」
「…」
「違ったろ?俺も違う、縦しんば君にとって俺がつまらない人間になっていたとしても、俺の君への興味が尽きるとは思えない」
「そっ、お前がつまらない男だとは…いや、忘れろ」
「?」
さっきから、どうもレンブの態度が可笑しい。興奮している所為かと思ったがそうではない。自分で否定・拒絶しながら、何処かそれ等をしきれない煮え切らない。何か隠してるのか?もう少し、探る必要があるな…
顔を背け目を伏せたレンブの窺えない表情を見遣りながら、ギーマは冷静に脳内で言葉を練り合わせていく、レンブが用心深く隠している何かを引き摺りだす為に。そして煽りの一言で会話を再開させた。

「で?打ち止めかなレンブ、君の言う別れる理由と言うのは。その程度じゃ俺は揺るがないよ?」
「っ第一、生活が合わん、お前は主に夜活動するし俺の活動時間は日中だ。被る時間があまりに少ない、すれ違いが多くて仕事場以外で上手くいかない事よくあるだろ。お前仕事中カトレアみたいに寝てた日もあったし、同じ生活形態の人間と付き合った方がいい」
「大丈夫、愛しい人の為なら寝不足なんて吹っ飛ぶし都合もつける。現にリーグが休みの日は殆んど仕事入れてないだろ?ご心配には及ばないよ」

「俺は全ての仕事に支障が出るのが駄目だと言ってるんだが?体調管理だって俺達の仕事だ。無茶して帳尻を合わせたって其れは長続きしない。そう言う中途半端な態度が気に入らないんだ」
「そりゃ慣れない内はしくじるかも知れない、でも、人間は慣れる生き物だよ。その内この生活にも慣れてちゃんと君と過ごせる時間も作ってみせる」
「随分な自信だ、それは自信過剰と言うんだぞ。自分で傲慢な態度と思わないか?」
「はったりはギャンブラーの必携スキルだよ、ま、今のははったりじゃなく自信過剰でもない、俺の目標であり君との未来だ。出来ない事を君の前で見栄張って言う必要は俺には無いからね」

「また格好つけを…後、いちいち鴨の子みたいに後ろを着いて歩かれるのが鬱陶しい。あれ止めろ、みっともないぞ。」
「君、その可愛さを振り撒いてるくせに、相変わらず無自覚なのかい?困る、困るんだよそれ」
「か」
「図体がでかいとか顔が恐いとか仏頂面だとかあまり喋らないとか融通が利かない頑固な性格だとか自分で思ってるんだろうけどね、まぁ、確かにそう言う一面もあるけど君のその鉄壁の下にあるものを目の当たりにしたらそんなの吹き飛ぶよ」
「鉄…」
「体格の割りに繊細な作業はこなすし、何となしに家事はするし、気は利くし、身内の前だと表情が綻んで柔らかくなるし笑うし口数も増える。その笑い顔の密やかな事!些細な事を告げあう時間の甘美な事!そんな事全く意識してない君の纏う空気のまるで微睡みの様な心地好さったら!!あーもう!挙げたらきりが無い。半日はかかるっ」
「……」
「そんな可愛い君を野放しに出来ない、危ないじゃないか。何時誰に盗られるか気が気じゃない、牽制だよ牽制。」
熱の入るギーマの解説にそんな風に俺を見てるのはお前だけだ…と口に出したいがそんな事を口にしたら脱線しかねないのでレンブは喉元まで迫った言葉を苦しげにも飲み込んで、一呼吸。次の理由を口にした

「お前のナンパ癖と浮気性にはもう耐えられん、出歩く度毎度毎度、女性に声掛けおってからに…周りの目を考えろ、節操が無い。携帯忘れていくのも態となら止めろ、何時も違う女性からの誘いの連絡が入ってた。今は知らんが」
最初の内は必要な連絡なら伝言してやらねばと、他人の携帯とは思いながら真面目に取ってその度苛立ちまくっていた自分を、今なら説教して携帯は放置させる。現にギーマがこれ見よがしに俺の家に置いていく携帯電話は着信が鳴ろうが激しく振動しようが電池切れを訴えようが全て無視だ、

「拗ねた君の顔見るのが好きなんだよ、可愛いんだもの。でも本気なのは君だけだ、その証拠に何時も浮気のふり、ナンパのふり、だけだろ?大体、君ナンパしてる最中怒ったりするかなと思ったら無視して俺を置いていくし、」
怒ったり「もう知らん!」とか言って嫉妬すると踏んでいたのに、何時も複雑な顔をして俺を捨て置くんだよ。あれか、放置プレイか。レンブのくせになんて高等なプレイを覚えてるんだ。でもよく見るとあれは拗ねてる、その複雑な表情が堪らん。
「あれの何処がふりだ、メディアが喜びそうなネタを見えるか見えないかの際でやってるだけだろ、四天王としての自覚が足らん。俺達の品位迄落とす気だろお前」
「君にはあんな上っ面だけの言葉で愛を囁いた事無いだろ?君がもっと構ってくれて傍に居てくれて、俺にも返事を言ってくれるんなら即刻止めるよ。簡単だろ?実はそれを待ってたんだ、君がどんな返事をしてるかと思えば待ってる間が楽しくて別れる気が全くしないよ」
「っあ、あんな台詞に返事をしろと言うのか!」
拷問か新手のプレイのつもりで言ってるのか、こいつが職場で、帰り道すがらに、互いの家で―場所を問わず囁く言葉達の恥ずかしさ、どれだけ耳が焼け付くかと思った事か!だが、どうやら精神的拷問でもからかいでも新手のプレイでも無いらしい、今本人が言ってる。
「だって言われてるだけじゃ君、つまらないだろ?そうやって恥ずかしがるところが楽しいのは俺だけだろうし…うん、可愛いね。初なお嬢さんを口説いてるみたいだ」
「俺は男だっ!からかうのも大概にしろ!!」
「からかってないよ、ほら、君も俺の度肝を抜く様な返事してみてよ。そしたら俺の余裕の無い顔とか態度が見れて楽しいんじゃないのかな?」
「お前みたいな性質の悪い趣味は持ち合わせていない!!!」

…拙い、ギーマのペースに乗せられそうだ。大分頭の血の下がったレンブは、何故こんな分の悪い勝負に出てしまったのだろうと少し後悔していた。せめてギーマが諦める迄蛇足を出さない様に、と気を引き締め言葉を選んでいくが先程から速度を増して畳み掛けてくるギーマに対応するのが実は精一杯だったりするのでついうっかり溜息が漏れてしまった。

「はぁ…その軽口と減らず口、なんとかならんのか」
「だって言わなきゃ伝わらないだろ?君が読み取ってくれるのを待ってる間も好きだけど、すぐさま反応が返ってくる方が好きだ。メールより電話って感覚が近いよ」
「じゃあ電話で応対しろ」
「電話よりも顔が見たい、レンブの顔好きだし」
「お前な…嫌味か?アーティと造形美だとか騒がれる美形の男がそんじょそこら、「普通」に分類されてる男の顔の何処が好きだと」
「俺は自分の容姿がそこまで飛びぬけたものだと思った事は無いけれど、でもレンブの顔って格好いいじゃないか。凛々しいし男らしいし」
「かっこよくないぞ」
「俺には格好いいよ、喜怒哀楽ちゃんとあるし、それが俺に向かってくるのが嬉しくて構うし君の持ち場に遊びに行くし、構って欲しくてぐだぐだ、だらだらするし」
「態とだったのかお前!」
「約束は何が何でも守ろうとするし、俺が破っても怒ったり呆れたりはしても三度目まではチャンスくれるし」
「無視するな!」
「文句言いながらも言う事5割は聞いてくれるし」
「ご飯は美味しいし」
「寝る時くっついても怒らないし」
「ちゃんとハグもキスも応えてくれるし、恋人のキスも恥ずかしがりながらもしてくれるし」
「買い物にはついて来てくれるし」
「追っかけとか借金取りとかちょっと悪い人達に追われた時一緒に逃げてくれるし」
「書類間にあわなそうな時もギリギリ迄付き合ってくれるし」
「君の家凄く居心地がいいし清潔だし綺麗に片付いてるし」
「そこに私物置いてもちゃんと管理してくれるし」
「俺のポケモンも大切にしてくれる」
「掃除やら洗濯やら料理手伝えって言われると面倒臭いって思うけど共同作業だって、思いついてからはちょっとわくわくしてる」
「ポケモン勝負が楽しいのは当たり前だけど、君のポケモンとの相性の悪さが最近滾ってくる。前までは相性の兼ね合いでどうカードを切っても負けが近いと思ってたからあんまり足掻こうとか思わなかったんだけど、視点を変えればこのカードも生きる道があるんじゃないかと思ってからは必死なんだぜ?実は」
「後後、ちょっと待ってレンブ、今言う順番整頓しながら答えるから」
「……」
指を折り折り、頭の中を整頓しながらと言った感じにぺらぺらと言葉を重ね述べるギーマの「別れない理由」が本当にイッシュのポケモンの数を上回るんでは無いかと言う勢いで語られ、レンブは空恐くなる。こいつ、俺が折れる迄喋り続ける気だぞ…
ギーマの顔は普段通りの余裕やよく解らない笑みを浮かべているしその笑みを浮かべた口許はへらへらと信用ならない軽口だがその分、何時本音をぶつけらるか解らない。その証拠にギーマの氷の様な瞳の奥の奥に、ぎらぎらとした輝きが見え隠れし始めた。あれはヤバい、何重にもオブラートで包まれた本音を、俺の度肝を抜く言葉を放つ時のギーマの目は何時だって獣染みた光を宿す、普段の表情とのギャップからそれがまた恐ろしいのだ。

思えば顔合わせ後初めてのポケモンバトルの佳境、お互い手持ちは後一匹、と言うギリギリの状態で見せた不敵な笑みを湛えた面差しに添えられた本気の視線。それとほぼ同一の眼差しがこのぎらぎら乱反射するアイスブルーの瞳と視線だった、――バトルの高揚感の為、ギーマをよく知らない為、同僚と仲間と思ってた為…と要因が重なりその目の本質を、本人の口に出されるまで判断出来なかった。ギーマが以前「君は身内に甘すぎる」と呈してきた事があったが確かにそうだとあの時痛感した。あの時とは、ギーマに告白された日の事だ、

俺は極普通に過ごしているつもりだった。リーグに出勤して、ギーマやカトレア、シキミと挨拶をして相変わらず帰ってこない師匠を皆で待ちながら、持ち場について挑戦者の挑戦を受ける。昼休憩は珍しく四人で食事をとって、退屈凌ぎと言ってギーマが持ち場を放棄。俺の持ち場でだらだらと書類整理を始めて毎度の事とそれを放って置いた。暫くして背後から唐突に話しかけられ、その話はとても性急的だった。

『レンブ、気付いてるかい?』

『俺がどう思い感じながら毎日君を見つめてるか、解ってる?』

『同僚じゃない、友人じゃない、一個人として君に抱いてる思いは友情でも親愛でもましてや博愛でもない。敬意も尊敬も、単なる好意も通り越してしまった、』

『これは恋情だよ、レンブ』

『俺は君を愛してる、』

その時だ、その瞳が恐ろしいのだと気付いたのは。顔は穏やかで口調は何時もの優雅な音色を操っている筈なのに、目だけが異様、否ギーマが常日頃ひた隠す本音の全てを物語っていたのだ。
ぎらぎらと光る目は青く燃え上がる炎は、マグマの様に滾りうねりを上げこちらの心を焼き腹の底を舐り、背筋を駆け上がり脳髄を炙っていく。振り返った先のギーマの目がいきなり、そう言う物になっていて俺はすっかり動揺していた。構える前に気圧されてしまっていたのだ。

そしてそれは、その炎と熱が本物だと一瞬でも俺に錯覚させるには十分な勢いと力を持っていた。

それから紆余曲折を得て…否、すったもんだの末と言った方が正しい気がするが色々あり今の関係を築いたが、俺は未だにあの眼の前で平静を保ち続ける事が出来ない。

あまりにも強く、眩い輝きに、その凄まじい熱量にその儘招かれ誘われ、かどわかされてしまいそうになる。

「こちらへ」 「落ちて来い」と、あの眼のギーマはそれとは間逆の優美な仕種で手招きするのだ。それに逆らえず幾度と無く堕ちていった、今も同じだ、あの眼で見つめられ見透かされ、饒舌な口で言い包められ優雅な様で性急な腕に絡め取られたら、俺はもう反論の術を失ってしまう。今回は、今だけは何としてもそれを避けなければならない。気をしっかり持て、平静を保て、ギーマに聞こえぬよう感じ取られぬよう深く息を吸い、吐き。その眼に負けぬと自分に言い聞かせる。大丈夫、まだ持つ。
だからこれが最後だと、レンブは考え付くだけの理由をありったけギーマにぶつけた。
「……よし、レンブあのね」
「そもそも、お前は年長者の矜持が無いのか?」
「はい?」
「生活は不摂生で」
「食事はまちまち、寝る時間は決まってない。休みの日は昼迄も寝てるし食事を摂ったとしてもバランスが悪いし運動はしないし、体調管理も健康管理もなってない」
「ゴミは出さずに溜めるし、」
「洗濯も気を抜けば仕事着以外山積みだし」
「部屋は片付いてない事が多いし、冷蔵庫は悲惨だし、ポケモンの世話も時々怠けるし」
お前のキリキザンとワルビアル、ヘルガーは良く出来たポケモンだ、水を飲む程度なら自分達でやるし、食事がどうにもならなくなった際には俺に電話掛けてきたからな。そんな進化はしなくていいのだ、ちゃんと世話さえさすれば…いかん、眉間に皺と目尻に涙が滲みそうだ。
「家賃滞納して大家と口論で収まらずポケモンバトルしてたのを見た時は呆れたを通り越して情けなくなった。あれで負けてたら目も当てられなかったぞ」
「煙草は嫌いだから、俺の前で吸うのは遠慮してほしいと何回言っても吸うし部屋もお前も煙草臭いし、と言うか仕事帰りのお前の臭いが駄目だ。酒と煙草と香水と人間と…諸々混じりすぎて気持ち悪い」
「貸した金は返さないし」
「借金取りが俺の所に迄来た事もある」
「約束は3割〜5割破るか反故にするし」
「さっきも言ったとおり付き合ってる奴の前で平然と浮気はするし、それに関して反省するどころか言い訳ばかりする」
「つまり性格は最低で、更生の見込みはかなり低い」
「ギャンブラーと言う職業柄常に勝ち続けるなんて奇跡は強制しないが月に数回真夜中に連絡が来るとがっくりくる。また負けてひん剥かれたのかと思って現実にひん剥かれてて更にがっくりする。」
「その負けた時のみっともないお前を引き取らなきゃいけないのも」
「その後の拗ねたお前の面倒を見なきゃいけないのも」
「もう全部うんざりなんだ、カジノの連中にお前の母親呼ばわりされる俺の身にもなってみろ。お前みたいに上手くかわせる人間じゃないし空気も読めん、俺のストレスは限界値突破しそうだ」「その他だらしないとこ全てがもう目に余ってる、正直色々迷惑だ」
畳み掛けるように述べ上げていけば流石のギーマも少しだけ硬直していた。よし、流石日頃の鬱憤全てを並べただけはある。
「そんなに嫌な所があったのか…」
「そうだ、」
これだけ並べれば凹むなりうんざりするなり傷付くなりして諦めもつくだろう…と思った矢先、
ギーマはスカイアッパーで狙うしかない様な位置からの返答をしてきた。斜め上より遥か上空からの珍回答だ。

「そこまで俺の事を見てくれてるんだ、レンブ、やっぱり俺と君は運命だよ!いや、必然と言った方が近いかな?」
「そう来たかあ!」
まさか前向き路線で攻めてくるとは…悪タイプの使い手のくせになんて変化球。ヒウンジムのジムリーダーも顔負けのかっとび思考だ。
「恋愛は嫌なところが目に余り始めてからが本番だ。レンブ、君が其処までステップアップしてただなんて、嬉しいよ。ようこそ進化の先へ」
「そんな進化したくないわ!」
「細かく文句をつけてくるのは心配の裏返しだって言う、因みに嫌なところを挙げ連ねて難癖をつけたくなるのは、相手を既に伴侶にと認めている証拠らしい。」
「はんりっ…冗談だろ」
「結婚したいから直して欲しいって言う願望だそうだ…そうか、そこを直せば晴れて君のハズバンドだと!」
「好い加減にしろギーマ!」
「好い加減にするのは君だよレンブ、」
巫山戯た態度とどや顔が一変、聞き分けの無い子供を宥める様な諭す様な口調と声音でギーマがレンブの目を覗き込んでくる。先程よりも勢いを増し続ける炎を宿すその目に、心の内を全て暴かれるんじゃないかと鼓動は高まるが何とか堪えた。そんな俺の胸の内を知ってか知らずかギーマは静かに続ける。
「本当に一体どうしたんだい?」
「どうもしない、俺は何時も通りだ。」
「全然、何時も通りなもんか。冷静さを欠いていて、感情的で、挙動不審で。まるでむずかる子供の様だ、」
「お前こそ今ので解っただろ、俺達は妥協できる場所が少ない、否…殆んど無い。此の儘恋人として付き合うのは無理だ、お互い疲弊していくばかりだし寧ろ今迄よく持ったじゃないか。無茶をするよりは距離を開けた方が為になると思わないか?」
「確かに俺達は全く正反対の性質だ。同僚になった時も恋人になる前もなった後も反発して衝突してと、なかなか旨い事いく方が少なかった。喧嘩もそれから派生するポケモンバトルも両手じゃ収まらない程繰り返した」
四天王同士の私闘は禁じられてるにも関わらず、勢いで口論をし手を出し合い、それで収まらず何時もポケモンバトルに発展してしまっていた。始末書は山程書いた、未だに時々書く。病院の領収書もよく切って貰ってた、それくらい馬が合わなかった時期が俺達にはあった。でも、
「それでも俺達はお互いの気持ちを育んできたじゃないか、それなのに、まるでそれ等をはぐらかす様な理由ばかり並べられて、此の儘じゃ納得も諦める事も出来ない。」
ちゃんとお互いの非を認め、謝り、少しずつ少しずつそれぞれの個を尊重しながら妥協しながら、受け容れ難きを受け入れ時間と空間の共有でもって噛み合わない歯車を削り調整してきた。其れは少し苦痛を伴っていたけれど、構わないと思えた。レンブだって俺に合わせ形を変えていく。お互い変わっていけるのは素敵な事だと思っていたしレンブもそうだなと同調してくれていた。なのに、掌を返すどころじゃないこの態度の変わり様はどうした事だろう。
「レンブ、本当の事を教えてくれ。納得云々の問題じゃない、君は嘘を吐いてる」「……嘘等ではない」
…やはり、レンブは何か隠している。また反らしたレンブの目線には逡巡が混じり、何時もの清廉さと混じりっ気無い実直さを感じられない。
「其れも嘘だ、こっちを見ろよ。俺の目を見て言ってみろよ」
ギーマの瞳の炎は焼き焦がす程の高温を纏い、滅多なく怒りを押し込め潜められた声は俺を苛む。ああ、この目で己が目を覗き込まれたら心の内を覗かれたら…駄目だ、駄目だ、知られたらもう俺が俺ではいられなくなる
「っもう、我慢出来ないんだ!お前と居ると苦しいばかりだ!」
「レ、レンブ?」

これ以上俺を暴かないでくれっギーマ!

「俺一人お前に溺れていくのはもう嫌なんだ!」

何時もだ、息が出来ない、お前に見つめられると俺は呼吸を忘れた様になる。お前の隣はまるで夢の中のように足下が不安定で胸の中が騒がしく落ち着かない。これが恋愛中の心理状況だと言われればそうなのかもしれないが毎度毎度で参ってしまう。何時口から心臓が出るか解ったもんじゃない。俺がそうなのにお前はどうだ?飄々と、のらりくらりとして全く何時も通りの体を成していて、好きだ愛してると謳う言葉はまるで上辺のなぞるだけ。自由奔放な言動に俺ばかり振り回されて― ああそうだ、俺は逃げたいんだ。自分の手に負えない感情から目を背け蓋をし、無かった事にしたい。其れ程までに俺は…
「…なんだって?」
「だから、俺一人お前におぼ…は?」
「ちょっと、何時からそんなに俺の事を好いてくれてたんだい君?!ねえ!」
「っち、違、違う!」
かかかっ!と耳まで赤くしたレンブはかなり動揺しているのか残像が見えるほどに頭を左右に振って否定している。対するギーマは自分の聞き間違いかと思ったそれが現実である事を、このレンブの反応で確認した。
「な、何俺は言っ は、わ…ああ!い、今の無し!今のは間違い、取り消し取り消しっ!!」
なんで、咄嗟に一番言ってはいけない事を俺は!ああもう!穴があったら入りたい。寧ろこの場から消え去りたい、ギーマの記憶を消して。兎に角打ち消していかねば、俺がギーマを嫌っているんだと告げねばと言葉を重ねていくけれど、俺の口と頭は最早支離滅裂。否定か肯定か逆説か、訳が解らない事を口走るばかりで。
「違うんだ、違う違う、お前の事なんか嫌いなんだ、嫌い嫌い、俺は俺が嫌いだお前の事を嫌いになれない俺が大嫌い…ぐああ〜」
レンブは混乱極まった頭を抱え意味の無い言葉を呻く。慣れない事はするもんじゃなかった。ほら、今にギーマが怪訝な声を出しながら言うぞ。『今更何言ってるんだ君は』とか…
「もっと早く教えてくれよそんな大切な事!」
「やっぱり言……は?」
何を言ってるんだギーマは。あれか、幻聴か聞き間違いだな。あれだけ罵った俺にこんな言葉を掛ける筈が無い。屹度怒った顔をしてるに違いない。と、抱えた頭を上げ見遣る先のギーマの瞳の炎は…激しく揺らぎ、何時もの下がり気味の眉毛は角度も緩やかに口許は強張りを残しながらも緩み―つまり、安堵の表情を浮かべていた。何故そんな…
「よかった、俺だけじゃなかった…」
俺だけじゃない?一体どういう意味…
「俺だって、俺だって嫌だったんだ。俺だけが君に過剰な量の愛を捧げてるのかと思うと辛くてしようがなかった」
「へ?」
「不安だったよ、俺の片想いの儘恋人ごっこしてるんじゃないかって。君は我慢強いからどれだけ振り回しても一番大事な感情を曝け出そうとしないし…ずっと自問自答して、肝心な事は恐くて聞けなくて」
聞いてしまったら無くしてしまったら、もし二度と手に入らなくなったら…想像しただけでぞっとしない。今迄の失恋の痛手とは比べ物にならない程に膨れ上がった恋心を癒す術なんか俺は持っていない。だから、
「育み合ってると思わなければ、爆発してしまいそうだった」
「そんな…嘘だ」
それこそ俺に合わせた都合のいい虚言だ騙りだ、無意識に足が僅か後退りギーマとの距離、人一人分を更に広げようとした。だがそれはあっさりと、音も無く伸ばされ触れてきたギーマの腕に防がれる。
「ギ、」
「駄目だ、逃がさないし、離さない」
静かな、水面を打つ様な声音で放たれる言葉なのに、腕を掴むその手は異様に必死で、まさに真剣そのもので。
「レンブ、さっきのが君の本心なんだろ?あの言葉を聞いたら別れるなんて益々無理だし、俺はどうやっても諦められない」
俺だって苦しいよ、見返りを求めないなんて聖人君主じゃないんだ、言葉少なな君の態度から俺への愛を如何やって汲み取ろうか、汲めども汲めども解らなくて辛くて腹の底が焼け爛れるくらい悩んだ事もあったし頭痛が止まない程考えあぐねる日だってある。
「それでも、それ以上に君と居ると楽しいんだ。何気ない事柄一つ一つが嬉しいし、打算も利害の一致も、現実と柵に塗れた関係なんて面倒無しに傍にいてくれる君との時間は掛け替えの無いものだし、バトルの時の高揚ともギャンブルの時の興奮とも違う柔らかく温かい胸の高鳴りを君は与えてくれる」
だが、これ等の言葉全てを尽くせども皆皆後付けと思える程に、結局たった一つの感情に想いは集約されていく。
「好きだ、愛してる。これ以上の別れない理由なんて無いんだ、レンブ。馬鹿の一つ覚えと思うだろうけど、これ以上この感情を寸分の狂いも無く告げる言葉を俺は知らない、好きだ、君が好きなんだ」
未だめらめらと燃える瞳が俺の目を捉える。しかし、その炎に直に触れたと言うのに今迄の強烈な情動は湧かず、唯唯穏やかにギーマの動きと言葉が目から耳から胸に沁みこんで来る。青い炎に包まれとろ火の様に緩慢に、でも甘く柔く心を焼いていく炎と言葉と心根に、俺の唇は静かに開いた。
「ギーマ、」

「俺も、すきだ」

「っ…もう1回」

「すきだ…お前が好きだ」

「もう1回」

「くどいぞ、」
「2度でも3度でも、何度でも聞きたい、だって君滅多に言ってくれないんだもん」「もう言わん…星に願う子供じゃあるまいし、」
星降る夜に何度も何度も同じ願いを口にする子供の祈りに、この好意を告げる言葉は似ている気がしていた。何度も何度も繰り返して、天に捧ぐその願いは叶え難いからこそ神頼みするのだと。気恥ずかしさと照れもあったが数多く口から紡ぎたいとは思えなかった、己の中で返答叶わぬものになってしまうのではと内々恐れていたのだ。でも、そうではなかった。耳を打つこの言葉はすとん、と胸に落ち響き、心を喜びに打ち震わせた。
「星に願ってどうするんだい?博打にも程がある願い方だ。現実的じゃないよ。それより俺にお願いしてくれよ、直ぐ様叶えて見せるからさ」
何たって君の願いだ、叶えない道理が無い。
「ギーマ…」
「願ってよ、簡単なお願いだろ?一秒掛からずに叶うさ」
俺に溺れろって、言えばいいだけだろ?

ああ、何て恥ずかしい事を願わせる気だ、願ってしまいたいと傲慢が顔を出している。本当に叶うんじゃないかと抑えきれない感情がせり上がり喉を締め付ける。でも先程までの苦しみと辛さを伴ってはいない、巫山戯混じりに言ってしまおうか、等と普段の自分ならあり得ない気軽な冗談が脳裏を掠めていくくらい、気は楽になっていた。其れが顔に出たんだろう、「君の笑った顔、凄く素敵だ」と夢の中の様にうたいながらギーマは強請ってきた。

「だからレンブ、俺のお願いも叶えてくれよ」

「別れるなんて、無しだって言ってよ」

確かに、星に願うほどの無茶な願いでもないなと、手をとり握り締めるギーマを見下ろしながらレンブは思い直した。






可笑しい、別れる所か唯の痴話喧嘩。