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僕は天才じゃない(アーティ+ハチク)






「ボクは天才じゃありません」

彼は雑誌でもテレビでもラジオでも、全ての情報媒体の取材において、インタビューにおいてこう発言するらしい。大概、相手方の反応は決まっていて「またご謙遜を」「天才じゃなければこの偉業は成し遂げられませんよ」「そんなストイックな態度もまた貴方を天才足らしめる…」「やっぱり天才は違いますね!」
全ての言葉は賛辞、なのに彼は繰り返す。
ボクは天才じゃない、と。
そして重ねられる賛辞と鼬ごっこを繰り返しているのだと。
そう言われる度彼は照れくさそうに髪の毛を掻く素振りを見せ視線を斜め下に這わせるらしいとも。だが、その目が照れくさいと言う感情に染まっている訳ではない、と言うのに気付いたのは何時だったろうか。



寒いアトリエに籠り彼はキャンバスに絵の具を重ねる。元の絵は判らない、唯唯絵の具を重ね続けるアーティは感情の乗らない声でハチクさんいらっしゃい、と言った。此方には振り向かない儘新たに絵筆で絵の具を擦り取りキャンバスに乗せ、何時もの軽口のつもりの言葉も舌に乗せて押し出してくる。
「珍しいですね、ハチクさんがヒウンシティにいるなんて」

「…用があってな。その帰りに偶々気になって寄ってみた」
「へぇ!益々珍しい!ボク今回ちゃんとご飯食べてるしお風呂も入ってるし寝てるし、アロエ姐さんにだって迷惑そんなにかけて」
「随分、取材の仕事を受けていたようだな。アーティ」
次から次へと、気持ちの入っていない軽口を塞ぐように本題を口に出すが、彼の口は留まらず続いていく。しかし、
「はい!そりゃもうなんだよぉ〜って言うくらい、もう目が回るくらい一日中おなじこと……」
最後まで言わずにアーティはぎしり、と錆付いたブリキのオモチャのようにぎこちなく固まり、絵筆も止まる、背後から僅かに見えるキャンバスのそれはもう絵ではない気がした。
「………同じ事ばかり聞かれ、同じ事ばかり言ったのか」
言いたくなかっただろうに、

何故か思った言葉を、口に出さないつもりだったのにで口に出してしまったそれを今更の如く閉じ込める様に口を塞ぐが、失態は隠せない。だがアーティは何か言うでもなく手を止めてキャンバスを眺めていた。暫く、微動だにしなかったアーティに此方も動く事が出来なかった。この沈黙の間に一言謝る事が出来た筈なのに、
かたり、とイーゼルに絵筆とパレットを立てかけこちらに向き直したアーティは泣きたいのか諦めたいのか、他なのか…色んな感情が綯い交ぜになった顔をしてぼそぼそと話し始めた。

「ボクは工作の好きな子供でした」

*

「紙を切って貼ったり、粘土をこねて何か造形したり草花や枝や流木や石なんかを拾って組み合わせて遊んで。お父さんのカメラを勝手に持ち出して写真を撮ったり、ガレージにあるペンキで壁の塗り替えをしたり屋根を花柄にしたり紙飛行機を山ほど飛ばしたり秘密基地作ってポケモンと一緒に一日中過ごしたり…」

「其れが毎日の遊びでした。そんな頃虫ポケモンに運命の出会いをして…まぁ、ディスティニィ〜でしたねーあれは」

「そんな中で一番好きなのは絵を描く事でした。両親にその日一日に会った事を説明するのに、一番楽だったし、ソレを描いてる間その出来事を思い出すのはまるで映画を見ている様な気分で、まるで夢見たいに楽しかった」
楽しかった、そう言った時だけアーティは口の端に僅かな笑みを乗せたが其れも一瞬ですぐさま悲痛な顔付きに戻ってしまった。

「でもボクは人間の友達を作るのは苦手で、そんなボクを両親は呆れても叱りはしませんでした。その代わり勉強しなさいって言われましたけどね、僕の伸びる所を解っててそこをうんと伸ばしてくれました」
だから今のボクは殆んど両親が作ってくれたんです。まぁ、途中色々あったんですがそれでも見れる人間にはなりましたよね?はは、自身無いんですけどねん?

普段なら、アーティの茶化した様な問いと確認にそうだな、と素っ気無い相槌を打てる流れも今は雰囲気ではなく唯彼の話を黙っていた。慰めも共感も、まだするべきではない、屹度まだ先に真意があるのだ。この意外に用心深く人に本心を曝そうとしない青年が今、其れを伝えようとしているのかもしれない、そう思いハチクは唯アーティを眺めていた。

「だけど、ボクは淋しくなかった訳じゃない。他のみんなと一緒に遊びたかったしポケモン勝負だってしたかった。だからジムリーダーになったと思うんです、人付き合いが苦手なボクだって他の人と関わりたいって爪先だけでもみんなの輪の中に入れたらって…考えていたと思うから」
だからヒウンシティ、なんて大きな街中にアトリエを構えたんだと今更建前の裏の本音に気付かされる。交通が便利だとかどうせジムとくっつけたかったからとか、後付けのような屁理屈に隠された本音は何時でも己に牙を突きたて苛む。だが、それから逃げる事は考えていない。其れだってボクだ、まだ、完璧には馴染まないけどこの水にフローティングしてしまう油の様な感情もざわめきも、思考の揺らぎも受け容れてやるんだ。

だから、ねぇ。

何度でも言うよ?







「ボクは天才じゃない」


皆がボクを褒め称え褒めちぎり褒めそやす、でも全てが虚しかった。だってその度にボクは違う次元に押し込まれていく

『天才だ』『俺達とは違う』『次元が違う』『屹度神様が与えて下さったのね』『彼こそかの天才芸術家の生まれ変わりだ、違いない!』

「そんなのになんかなりたくない、ボクはただ自侭に生きてきた個性の強い人間だ。それだけなのに、」

『彼の手にかかれば全て芸術だな』『まるでアイディアの泉か海ね』『屹度我々の様な努力なんか必要ないんだろう』『いいよなー、才能の上に胡坐掻いてれる奴って』

「何も知らずに、唯結果だけで、1で10出来る奴だなんて…思われたくない」
才能があるのは確かだろう、でも彼が世の賛美や賞賛を受けるだけの努力をしている事は知っている。シッポウシティのガレージの一つに引き篭もり只管デッサンを造形の基礎を繰り返し、己を追い込み、アイディアの波に苛まれ蝕まれ、目を耳を指を手を腕をと全身掻き毟り取らんばかりに狂った様に創作に打ち込む姿は…ある意味苦行者のそれだ。
だが、その裏側、影の部分に光を当てられる事は無く唯、結果だけが色付いていく。毒々しい迄の艶やかさは彼の心を蝕んだんだろう、だがそれでも彼の才能が消える訳ではなくその蝕みすら彼は糧にしてしまったんだろう。その結果が、今の彼の発つ場所の意味だ。昔私の居た、高みだ。

ハチクさん、

今日初めて、感情が付いた様なアーティの声音に顔を上げた。アーティは、まるでもう泣き出しそうな顔で、たった一つ、願いを口にした。


「ボクはみんなと同じ生き物でいたいです」


まるで他の生き物みたいに、ボクを天才という生き物にしないで、ボクはみんなとおなじがいい。人間でトレーナーでアーティストで…肩書きなんてなんだっていいからボクと皆の間に見えない線を引かないで、ボクをこんな淋しいところに独りやらないで。此処は、誰にも手が届かない、誰からも手を差し伸べてもらえないとても…恐い場所
「ねぇハチクさん、貴方にボクはどう見えますか?ボクは天才ですか?貴方と同じ人間ですか?それとも違う次元の生き物ですか?違うと相容れないと考えますか?」

彼の問いかけに、私は天啓の様な閃きで全てを悟った。嗚呼!そうだ、そうなのか、
これが彼が頑なに天才と言う呼称を拒絶する理由だったのか。

彼は孤独に孤高に酔うと言う行為が出来ない。現在に至る前の彼なら出来たかもしれないが成熟し始め形を決めかけている彼の思考はそんな空想に逃げる事を許さないのだろう、それがこの青年を苦しめている。私の中で出ている答えに私が愕然としている事など知らず、彼は続ける。

「屹度ポケモンは、ボクが何者であっても傍にいてくれる」
彼等にはそんな尺度も偏見もなにも関係ない。ボクと言う個体そのものを受け容れてくれる。その中に馴染む事だって出来る。でも、

「みんなは、ヒトは同じじゃないと一緒にいてくれない」
そんな訳ない!と咄嗟に否定してやりたいが出来なかった。それは過去の自分にも当て嵌まっていた、その実感を抱き、体感していた。そんな中で息をし、生活をしていたのは私も同じだった、だから藪から棒に否定してやれなかった。でも、そこに独り置いていこう、なんて人でない事はもっと出来ない。
数歩、静かに足を進めれば椅子に腰掛けたまま項垂れた彼の前に立つ。目線を合わせるように屈み、膝の上に置かれた手に己のを重ねた。彼の手は想像通り凍えていて冷たく、絵の具にかぶれかさかさに渇いていた。そんな彼に同情でも何でもなく、私が言う言葉は決まっている。

「勿論、アーティ。私も君も同じ人間だ」
同じだ、天才じゃない。同じなんだ唯の人間だ、一緒に居る。そうじゃなくても一緒に居る。だから、大丈夫だ、大丈夫

まるで自分に言い聞かせてもいるようで、繰り返す毎に私の胸迄がつまり、何かせつないものがこみ上げて来る。それを堪えようと重ねる手に力を籠め、そうしたら「ちょっと痛いかもです」なんて鼻声が聞こえてきて更に胸に競り上がる狂おしさと圧迫感は増すばかり。この青年を救いたいと、支えたいと思いながらなんと私は無力だろう。

筋張った、見慣れた手の甲に落ちる滴につられる様、私の手首にも滴が落ちた







14/2/26