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水鏡キャンディ(ズミ→ガンピ)






調理をする、料理を極める、信奉する道を進むのに顔造形の美醜は関係無い、が己の持論である。

例えば目は一重でも二重でも奥二重でも、それこそ睫毛が長かろうが短かろうが、瞳の色が何色だろうが関係無い。唯食材の状態を見極め、調理の流れをその日その日の加減や食材の具合の些細な違いを見逃さない目があればいい。

耳は耳朶が厚かろうが薄かろうが形の良し悪しや大小、ピアスの有無も無関係だ。唯食材の切れる時の音、焼ける音煮える音茹る音、油の変化液体の変化やうねるお湯の流れ―それらを聞き逃さなければそれでいい。

鼻が高かろうが短かろうが此方も形の良し悪しは影響しない。唯においを鋭敏に感じ嗅ぎ別けられれば良い。

唇だって大きくても小さくても構わないし厚さも形も何も拘らなくていい。唯丈夫な歯と歯茎と敏感な舌があればいい。

つまり、この顔の感覚全てが全体として機能指定事こそが重要なのであり造形は二の次、否、なんら影響はしないのだ、作り手側にとっては。客の前に顔を出した際の印象は何かしら変化するだろうが其れは知ったこっちゃない、そう結論付けるズミは己の容姿に一切の興味を抱いていなかった。
身嗜みとして髪を整え衣服に気を配り、仕事の為に体を鍛え時には激務に酷使した体を労う。それでいいと考えていた。

何故今更決めきった事を反芻したかと言えば、先日ある女性に言われた事が奇妙に頭に刺さっているからだろう。

その女性は自分と恋仲になりたいと何度もズミに告白し、ズミを口説いてきた。顔は…美しい部類だろう、身なりも決して粗末ではなく寧ろかなり上等な物だろうし洗練された所作も仕種も出来る女性だった。しかしズミには他人と恋愛する気は今の所無かったし、彼女はあまりポケモンが好きではなくポケモントレーナーと言う職業にもあまり好意的では無い印象だった為、当たり障り無くその旨を伝えてはいた。それでも尚しつこく言い募る彼女に、ズミは決定的な一言を言わざるを得なくなった、”貴女と付き合うつもりはない”と。
その発言に激昂した彼女の言葉が、ズミの意識に鮮烈に書き込まれた。

『料理人風情の癖に何様よ!アンタなんて顔だけよ!料理人なんて、ポケモントレーナーなんて下らない仕事で満足しちゃってさ!料理なんて誰が作っても一緒!その顔が無かったら誰もアンタの料理なんか嬉しがらないんだから、大人しく私の恋人になってればいいのよ!!』

ズミは激怒した、己の料理を馬鹿に卑下にされたからではない、料理と言うカテゴリー全てを否定されたと受け取ったからだ。それは生き様全ての否定に他ならない、それを冷静に諭し切り返せる程ズミの頭の中の湯沸かし器はゆったりと機能してはいない、彼の頭は瞬間湯沸かし器の高性能版なのだ。一瞬である、瞬き一つで沸点超え、業務用機器の遥か上位の性能である。そんな状況の中でもズミは頭の何処かが冷静で回転が速かった。

此れは己の人生を賭けた戦いだ、引く訳にはいかない!!

何故かそうシフトしたズミの意識と行動は、通常の男女の修羅場では有り得ないポケモンバトル的な修羅場を作り出し結果、彼女をバトルキャッスル出禁・ポケモンリーグ出禁・各リストランテ出禁・相手側の発言を実家へ送付etc……ズミの全面勝利で終える事になった。付き合ってもいないのに、なんだこの不倫した恋人や妻を追い詰めるみたいな動きは…実に無駄な時間だった。
下らない事で時間を食い、奇妙な疲弊感を引き摺りながら帰宅したズミは久し振りにまじまじと鏡を見た。
其処には見慣れた己の顔が映っている、興味の無いこの造形、他と比べた事も無いこの相貌。これは其処まで見目良いのだろうか?この容姿が料理の付加価値として罷り通っているのだろうか?そう考えるとこの顔が嫌で堪らなくなった、あのような考えで己の供した料理を食べた人間が今迄にもいたのだろうか?考えたい訳ではないが脳裏に浮かぶ、目蓋に焼きついたあの激情の顔、声、それ等が頭を目蓋の裏を駆け巡るのが酷く不快でズミは悪夢に魘されている様だと思った。まだ眠ってもいないのに、覚めない悪夢だと鬱々と考えをループさせる羽目になった。それ程にあの女の激情は鮮烈で、激しい感情をぶつけられたのは久し振りだった、凄く嬉しくない印象深さを抱えズミはその後数日間―今日迄過ごしていた。

そして今、ズミは数日前に起こった騒動に関して掻い摘んだ説明を目の前の男、ガンピにし終え肩で息を吐いた。フラッシュバックした憤りと怒りを抑えるのに随分と肩に力が入っていたらしく、肩が痛い。
何故ガンピ―つまりポケモンリーグ四天王と言う肩書きの上での同僚にこの話をする事になったかと言えば、自分があまりにもこの数日間考え悩みすぎて始業時間に始まり終業の間、持ち場から一切出てこないのを彼が心配して態々様子を見に来たからに他ならない。
何時もの如く思索に思考に耽っているズミは挑戦者がすいもんの間に入ってきてもギミックが発動し持ち場が水浸しになっても直ぐには気付かない、挑戦者が膝丈程に溜まった水をざばざばと掻き分け背後に立ち、声をかけようかかけまいかの微妙な距離感と空気を醸し出さなければ気付かない程熟考する癖があるのだが、ガンピの接近だけは何時も早々に気づく事が出来た、足音が鳴るからだ。普段持ち場を離れる事を由としない同僚が目の前にいる事を不思議に思い、ズミは問う。

何故ここにいるのですか?と、常日頃の平坦な己の語調を装い発した問いにガンピは少し的の外れた答えを返してくる。

何度呼んでも出てこぬし、我等には留守番の任があるから。

留守番?何故自宅でも無いのに留守番をせねばならぬ、寧ろ何の留守番をするんだなんの。いまいち上手く回転しない頭の中では推古も思考も儘ならず唯聞き返した。すると素直な彼はちゃんと返事をしてくれた。

カルネ殿やパキラ殿、ドラセナ殿は女子会!と言って三人でランチをしに行き、その後所用があるとの事で我と其方はお留守番である。

納得した。あの三人サボりやがりましたね!と言う奴だ。挑戦者が多くないとはいえ現場放棄とはいい根性だ、あの痴れ者共め…今度の晩餐会は延期だ。無期限延期!等と腹いせにも近い事を決めて顔をガンピに向け直す。何時も通り、彼は甲冑をまとい、生真面目そうな顔をしていた。
そしてこの素直で真面目でお節介焼きの同僚は、この所其方は加減が悪いようだが大丈夫なのか?医者には行ったのか?それとも何か思い悩みすぎているのではないか?等と親の様に心配事を口にし始めた。
この厚意を無碍にしたり適当に繕うと後々面倒そうだしそういう気も何故か起きなかったので、ズミは正直に数日前の事の顛末をガンピに説明したのだ。色々と思い出して沸点超えを再発させそうになりながらだったが…そして今に至る。

*

「ふーむ。それは大変であったな」
ズミの話を最期迄聞いたガンピにまるで他人事の様に労われ、少し拍子抜けしはた、と意識がクリアになった。他人事だ。彼にとっては完全な他人事、しかもプライベートな部分に半分足を突っ込んでる様な事。此れは普通の反応だ、反応が返ってくるだけこの人物の真面目さが窺える。その反応に徐々に冷静さも戻ってきてまともな相槌を打つ事が出来た。

「……ええ、大分ごたついてしまいました。バトルキャッスルにも迷惑をかけてしまいました」
寧ろ恥を掻かされた、自己のプライベートに関わる事を公共の場でやらかされるなんて恥さらしも好い所だ。矢張りあの女性とは付き合わなくて正解だった、思い返す度に脳裏と目蓋と耳の奥でまたリフレインされるあの激情と言葉。こんな事に煩わされている時間なんかないのに…
苦虫を噛み潰すよう歯を食い締め、眉間に皺を寄せながら脳内の映像を振り払おうとしているズミに、何を思っているのかガンピはふむ、と頷いた後ポツリと零す。

「料理の事やズミ殿の考えているであろう事は我には解らぬが、ズミ殿の料理がとても美味である事は我にでも解るし誰が作っても同じだ等と言う悲しい事も我は思わぬ。ポケモントレーナーは誇るべき仕事であるし、料理が出来ると言う事も当たり前ではない。だから其方はその様な事を気にする必要は無い、己の誇りと矜持を大事にされればよい」
当たり前の事を当たり前に褒められているだけの筈平凡な褒め言葉だが、それは耳にすんなりと入り目蓋の裏の残像と耳の奥の残響を洗い流す様染み入っていく。思わず確認の言葉を告げる程それは今の自分には心地好いもので。
「…そうでしょうか?」
「うむ、それに我は其方の顔嫌いではないぞ?男らしい顔つきではないか」
そして最後の的外れの慰め、そして今まで言われた事の無い褒め言葉を、無意識に反芻する。
「男らしい…ですか?」
「うむ、特にその目元が宜しい。我は母親に目が似ていて、よく父親に男の癖に目が大きすぎるだの威厳が無い垂れ目だのと言われておった。」
そう言いながら見つめてくる目は確かに大きい、自分の顔が映っているのが解るほどの青い瞳はバケツに張った水面の様、まるで鏡だ。きらりと光を反射しワントーン薄い世界を映しているがそれは暗くない。逆にキラキラとしている、嗚呼これは―丸い飴玉だ。
子供の頃に貰い頬張った青くて真ん丸飴玉―海か青空か、はたまた見た事の無い天国の青か…何と例えようかこの色合い。
自分もブルーアイではあるが如何せん瞳が小さいし三白眼で目つきが大変宜しくないそうで、目を見開いて鏡に大接近しなければ虹彩の色が確認しづらい。そんな自分の目の色とは違う、何と言うか…うっとりとする青だ、水色でも紺色でも藍色でも青緑色でもない、その青を意識したら何故か心が囚われかけている。

そしてズミの思考は展開する、目を奪われたその大きな青い瞳

この美しい瞳はどんな味がするのだろう?

屹度とびきり甘美に違いない、サイダーのように爽やかな味だろうか、ミントやハーブのような滋養に富む味だろうか、ブルーキュラソーやシロップの様に柑橘類を思わせる味だろうかはたまたこの前食べた海味なる塩風味のジェラードの様な心地好い味かもしれないしブルーハワイ味なる何とも言えない味わいかも…想像は尽きず、想像だけでは足らず検証を実体験を体が求め始める。触れたい、確認したい、そうだ舐めてみたい…っ?!
私は一体何を考えている、人間が美味い訳が無い甘露な筈無い!大体雑食の動物は肉が不味い、しかも歳を取れば取るほど硬くて筋張って出汁にもなりはしな……いやいやいや?!食べる方向に考えるなズミ!しかも目玉はコラーゲンと蛋白質と水分以外殆んど栄養素も………だから食べない!!私はガンピさんを食べるつもりは無い!

1人でボケツッコミを心中でかましているズミの様子を、ガンピが心配気に伺ってくる。「如何なされたズミ殿?やはり具合の方が宜しくないのではないのか?」
「っい、いえ何も!唯やはり少し疲れたかな、と。最近この件で気が立っていたのであまり寝ていないのです…」
脳内を察知されたか!と有り得ない想像でズミは取って着けた言い訳でガンピをかわす、その適当に切って貼った言い訳に、実に簡単にガンピは引っ掛かってしまう。

「おお、それはいかん!ならば先程シュケットを買ったんだが其方も食べぬか?昼食を買いに行った時に購入したのだが焼き立てで大変美味であったし、疲れている時は甘いものを摂ると良いと言うであろう?」
そう言って手に持った紙袋を鼻先に突きつけられると、その袋からは砂糖の溶け焦げる甘やかな香りとバターと粉の織り成す鼻と胃を擽るニオイ…そう言えばここ数日食事を疎かにしていた事を思い出す。そうか、だからこの人の目を舐めてみたい等と世迷い事を考え付いたのか。私は腹が減っていたんだ、二重の意味でほっとしたズミは無意識にシュケットの焼きあがった時間を逆算し今の状態を察知する。
「お昼に買ったと言う事はすこし時間が経っていますね、では早くお茶にしましょう。シュケットがしんなりしてしまう!」

シュケット、つまりはシューの皮の持ち味は焼きたての乾いた状態が醸し出す歯ざわりと匂い立つ粉とバターの豊かな香りだ。其れが失われたしっとり皮のシューなんて炭酸の抜けたサイコソーダだと同じだ!そんなのは許さん!!ズミの中の食への拘りが俄然燃え上がりそれは曖昧な青い瞳への欲求を頭の隅へ押し退ける。
「しかしあのしっとり感と砂糖の焦げた味もなかなか乙なものだと、我は思う!」
「それは同感ですが矢張りシュケットの醍醐味は焼きたてのさくさくとした歯ごたえと砂糖のザラ付きを楽しむ事だと…」
シュケット談義に花を咲かせながらも休憩所に向かう内に何時の間にか、ズミの脳裏や目蓋からはあの鮮烈な激情は消えうせ、代わりに目の前の青いきらめきと仄温かいシュケットの味が上書きされて脳裏と目蓋にちらついていた。





ズミさんは変な性癖とかそういうんじゃなく比喩です、と言い張る。そしてガンピさんの目云々も妄想…相変わらず妄想力逞しいな私



14/2/24