小説 | ナノ





一掬いの幸運(カミツレ→ヤーコン)







今日はツいていない。

ツいていないと言うより私が浮上していかないのだ。ネガティブな意識に囚われスイッチが切り替えられない

何が悪いのかしら?

ショーのドレスが思いの外似合わなかったから?ファンに笑顔で挨拶できなかったから?雑誌の撮影の時のカメラマンがしつこくナンパしてきて断ったら撮影中いやらしい発言ばかりしてきたから?CMの監督がハラスメントしてきたから?
性質の悪いファンに着け回されたから?ポケモンバトルで思った通りの立ち回りが出来なかったから?ポケモン達を輝かせられなかったから?モデル仲間に意地悪な事をされたから?おろし立てのストッキングが伝線したから?何時ものデリが食中毒だして営業中止食らってお昼が台無しになったから?
何時もよりしつこく記者に追いかけられたから?それともそれともそれとも…ああ!

考えれば考える程、原因なんて思いつく。苛々、ではない。これはしょんぼりと言う感情が一番近く、ある種の落胆と悲観だ。

時間は少し早めだけれど、もう家に帰ってゆっくりしよう。そう決めて歩幅を広げ速度を上げたその次の瞬間、私は結構な衝撃と共にアスファルトにぶつかっていた。




少し、多分僅かな時間だと思うけれど私は硬直して、アスファルトをキス出来そうな距離を保っていた。何が起こったの?カミツレ落ち着いて、貴女はこの国の誇るスーパーモデルよ?何時でも冷静で毅然として輝き輝かせる存在なのよ、まずこの状況を受け止め、原因を考えなきゃ。

まず、体は動くかしら?頭は痛くない、イヤホンが大きかったお陰か鼻先がじんじんするくらいで傷がついてる感じは無い。肩や腕、手は…動く。これは露出していた分もあってか少しびりびりと痺れる様な痛痒さが出てきている。でも平気、首も胸もお腹も背中も腰も大丈夫。問題は、疼く様に痛み出している足首だ。
捻ったか…、何故歩いてるだけで捻るのか。ピンヒールで足首がぐねるなんてある訳が無い。でもそう言えばパキンって甲高い音がした―ああ、ヒールがもげたんだと此処で気付く、この靴気に入っていたのに。つまりアスファルトの亀裂にヒールが引っ掛かって私は転んだと?なんて――間抜けな事実!!
これが颯爽と街を歩いていたスーパーモデルだと言うの?何て無様なの私は!?直ぐに立たなくちゃ、周りに誰か居るかもしれない、写真を取られたり奇異の眼差しで見られヒソヒソと悪口を言われてしまうかもしれない。それだけはなんとしても阻止しなきゃ!頭の中では色々巡っている筈なんだが体が言う事を利かない、唯無様に藻掻くばかり。
己の惨めさに屈辱感と羞恥心で胸がいっぱいになる、そう感じた時、よく聞く声が頭上から降ってきた。

「何地面と仲良ししてんだ?モデルは其処迄世界を愛してなきゃなんねーのか?」
起きろよ、とぶっきらぼうな言葉を掛けながらも肩を支える腕は優しく、無骨で大きな手はまるで世間で言う理想の父親みたいで途轍もない安堵感と共に彼の名前を吐き出した。
「ヤー  コンっ……ぐ、ぅうっうえぇえ」
と同時に不細工な泣き声も口から出た。
「っど、どうしたお前ぇ!具合悪いのか?腹でも痛ぇのか?それとも足捻ったのか??顔怪我したのか?」
人通りの少ない夕方とは言えある程度の人が通っている道のど真ん中で、わんわん泣く私にヤーコンは度肝を抜かれたのか素っ頓狂な声を上げて変な方向の心配をし始める。街の人々は私の想像とは違い此方を窺いはすれど面倒事はごめんと言わんばかりに足早に過ぎていく。
「と、兎に角立て、いや立てるか?ほらハンカチ!」
「ヴェ、うぇ、」
受け取ったハンカチで顔を押さえぐずぐずと鼻を啜りながらも何とか、何かを伝えなければと碌に考えず言葉を紡げば自分も唖然とした内容。
「ヤーコン、わたしっぐす、ぐ、ぇ え、ぁたし」
「お、おうっ」
「あいすたべだい、」
「……はぁ?」
でも、これは本能的に欲している行為だろうと納得して否定も弁明もしないでヤーコンを見上げていると、肩をわなわな震わせ始め帽子の下から覗く顔は少し赤く染まっている。あら、怒らせたわ。
「1人で行って来い!」
「いっしょにいっでっ ぐ、さびしい、ひとりは…っは、うえぇ…いや」
自分で言っておきながらまた涙が零れてきた。此れが本心だったのか、ああ、そうか。

私は寂しかったのだ。自分で決め進んでいく未来は決して誰かと手を取り合って進んでいけるものではない、だから片意地を張り周囲を気にし積み上げた経験と進んだ年月で生まれたプライドで武装し孤独に生きていくのに、私は疲れ果てていたのだ。
するんとお腹の下の部分に落ちた事実に、だからと言って涙が止まる気配が無い。ヤーコンのハンカチが私のファンデーションやアイライン、チークと涙等でぐしゃぐしゃのマーブル模様に染まっていく。それを更に滲ませ暈しながらも私の涙は溢れていくばかり。

何時迄も立ち上がらず、一緒に行って欲しい、淋しい、1人はやだとまるで子供の駄々の様にぽつりぽつり同じ事を繰り返し、泣き続けるカミツレにヤーコンの怒りは徐々に冷めていく。そもそも本気で怒ってる訳ではなくカミツレの突拍子の無いツッコミを返しただけだ、ヤーコンの怒りっぽい口調と低めの沸点は周知の事実で誰も気にはしないし本気にもしない。そして、思いの外面倒見の好い人間だと言う事も顔見知りの間では割と知られている事だった。
ヤーコンはあからさまに溜息を吐いて帽子を被り直す仕種で顔を隠しながらさも仕方ないと言った感じの声を張り上げた。
「何時まで泣いてんだ!ほら、行くぞ。まるで俺が泣かしたみてーじゃねーかお前!!」
手は差し出さず肩を抱え、少し強引にカミツレを立たせたヤーコンはカミツレを頭の先から爪先迄ざっと見て目立った傷が無いか確認すると鞄を持って先に歩き出した。そして少し遅れて背後からこっつり、こっつり、とアンバランスな靴音がゆっくりと歩くのを耳で確認すると歩調を緩め自然と隣になる程度の速度を保ってやる。ちらりと覗き見た顔はまだぽろぽろ涙を零してはいたが先程よりは明るく、ヤーコンは口の中で安堵の息を吐いては正反対のぶっきらぼうな言葉を吐き出した。
「泣いてねーでナビしろ。場所が解んねー」
「ん……あっぢ いく」
「うわ、酷ぇ声だなお前」
案内しろと言ったから頑張って声を出したのにそれ何よ、デリカシー無いわ。だけど一緒に行ってくれるのよね?だってヤーコンの足何時もよりずっと遅いんだもん、私に合わせて歩いてくれてるのもヒールの折れた側にいてそれとなく気を遣ってくれてるのも周りを窺ってくれてるのも私解ってるのよ?だから、酷い声呼ばわりは許してあげる。
でもやっぱりぶつぶつ五月蝿かったからその後辿り着いたアイスクリームパーラーの受付で、泣きっ面で化粧も崩れかけたぐずぐず泥々の顔の儘「ノンホモジナイズドのミルクアイス1つとベルジャンチョコアイス1つとピスタチオ1つと季節のソルベ二種類のサンデー一番大きいサイズ、キャラメルシロップとチョコのトッピングにワッフルコーンとウエハース付きの生クリーム大盛りで」と言ってやった。後ろで仰天しているヤーコンの顔は見えてない事にした。

*

パーラーの従業員の配慮から、私とヤーコンは店の奥まった席へ通された。私は直ぐに化粧室で顔を洗いもうこの際だからと化粧を全部落とした。ファンデーションもマスカラもアイラインもグロスも、みんなみんな無くなり自宅に居るような無防備な顔立ちのまま私は席に戻った。その前に残った靴のヒールを無理矢理へし折って化粧室のゴミ箱に捨てた、私の視線は随分下がったけど、久し振りに外出先で地面に踵がついた感触は何だか気が軽くなり気持ちよかった。
席に着くと同時に注文したアイスが運ばれてきて、デコレーションを楽しむ間もなく私は乱暴にスプーンを突き立てアイスや生クリームを山盛りに掬い上げると大きく開けた口の中に押し込んだ。味なんか味わう気もなく、唯唯次々と勢いに任せて飲み込んでは掬い、押し込み、噛んで飲み込んでを繰り返した。私とヤーコンの間に会話はなく、スプーンがグラスに当たったり、私がコーンやチョコを齧る音だけがしていたがそれを先に破ったのはヤーコンだった。
「太んぞ」
其れに対し私はもぐもぐとアイスやコーン、トッピングのチョコレートやフルーツを咀嚼しながら行儀悪くも言葉を返す。
「いいもん、運動するから」
段々と気分が落ち着いてくると、こんな高カロリーのものを…と言う罪悪感一瞬、久し振りに甘い甘い、大好きな組み合わせのアイスを山盛りで、大好きな男と同じテーブルを挟んで食べていると言う事実に行き着いた。これは、何と言う幸運だろうか!!……ヤケ食いしている姿を眺められはしたが
「ヤーコンは食べないの?」
「…太んだろうが」
「貴方も運動すればいいじゃない」
「俺はコーヒーで十分だ」
「私は紅茶頼もうかな」
温かいのがいいなと考え従業員を呼ぶと、アレだけあったサンデーと言う名の堆い山がほんの短時間で更地ならぬ落とし穴になったのに顔を引き攣らせながらも素早く戻っていく。
ソレを待ってる間に残りのアイスを今更の様に味わって食べる。グラスの中で、掬い上げるスプーンの上で広がる鮮やかなマーブル模様、口の中に沁み入る甘みと苦味と酸味、心地好い冷たさ…最初から味わえなかったのは惜しいがそれはまた今度の楽しみに取っておこう。
運ばれてきた紅茶を口に含めば冷えた口や喉、お腹の中へと滑り落ち熱が全身に行き渡るのを感じる。そりゃアレだけ食べれば冷えもするか…家に帰ってからヨガとトレーニングを何時もより少し増やさなきゃ、今日の此れは放っておけば確実に肉になる。せめて胸に付けばいいけど、絶対其れは無い。
余計な事を考えている私に、私が落ち着いたのを感じ取ったのかカップをテーブルに置きながらヤーコンはそれで、と切り出してきた。
「足は大丈夫なのか?」
「うん、ヒールが折れただけだから。有り難う」
本当は結構痛いけどそれはどうでもよくなった、何たって目の前の男が自分は好きなのだ、好きな男の前で泣きっ面やらみっともない顔を曝しはしたが足の事まで気に掛けさせる程情けなくは無い。
「顔すっきりしたじゃねーか。」
「そりゃ化粧が無いから、」
「面構えの話だ、馬鹿」
「そんなに酷かった?」
「遊園地で迷子になった子供より酷ぇ顔だったぜ。」
それは酷いわ、この世の終わりにも等しい顔をして絶望の涙を流してたのね。ああ、目もしっかりケアしなきゃ明日腫れちゃうわ。目薬もってたかしら?と鞄に意識をやり、その小さな鞄に綺麗に折り畳んだハンカチの存在を思い出す。
「さっきは有り難う、それでハンカチごめんなさい。駄目にしてしまって」
「あ?気にすんな」
「ハンカチ、新しいのをあげるわ」
「いらねぇ、くれてやる」
「返させてよ、今日のお礼もしたいわ」
「お礼?」
貴方が居なかったら、私はあの儘這い蹲って泣いているだけだった。自分の不調の原因に気付かず何日も振り回され引き摺っていたに違いない。
「私の今日はどん底だったわ。でもねヤーコン」
貴方が見つけてくれたから私は今とってもいい気分なの、出来たら其れを貴方にも分けてあげたいの。

「貴方に会ったから、ワンスクープは幸運を授かったのよ」
だからヤーコン、また私に会ってくれないかしら?このパーラーでも、他のカフェでも、何処だっていいから。





実は好きなんです、この二人の組み合わせ。

13/11/24