小説 | ナノ





エンジュシティ、マツバ様宛て (マツミナ・ミナマツ)






5月23日、木曜日


今日、僕宛てに


ミナキ君から手紙が届いた。



ブロロロロロロ――…………

遠退くエンジン音…ああ、バイク?の走り去る音が、ああ、郵便の人だろう。ぼんやりとした散漫な意識はうすら、としか浮上しない。すっかり春めいた町の匂いに眠気を誘われ転寝をしていた、無論、ジムは休みだ。掃除も洗濯も、その他の家事だって一息ついてる、誰にも咎められる事の無い午睡、と言う名の惰眠を貪り直す為に緩慢な動作でずり下がったタオルケットを引き上げ、一緒に寝ていたポケモンを抱え直……すつもりだった。だが掴む筈の質量を逃し、生暖かい体温が爪先迄満ちた腕は空を掻く。
…可笑しい、さっき迄懐に感じていた質量が明らかに足らない。仲良くしている上目蓋とした目蓋の仲を僅かに裂いて胸元を見下ろせば僕の服に顔を埋め細い寝息を立てるヤミラミの姿はあれど、もう一匹の姿が無い。
「…ゲンガー?」
呼ぶとのすのす、と言わんばかりの歩き方でゲンガーが曲がり廊下から此方へ向かってきた。その手には白い、長方形の何かを持っていて其れを僕に差し出した後にタオルケットをめくりまた寝直そうとしているのか、頭の棘が鎖骨あたりに当たって少し痛い。そのチクチク、ゴリゴリで僕も微睡みは薄れていたが手渡された長方形の紙に書かれた「ミナキ」と言う文字に僕の意識は完全に覚醒してしまった。さようなら、僕の昼寝時間。でもごろごろは止めない
それは何の変哲も無い、町のお土産上げ屋で売っている様な観光名所の写真を印刷した絵葉書に、僕の住所と自分の名前を書いただけの、唯唯送りつけられた絵葉書だった。この前こってりと絞ってやったのが効いたのか堪えたのか、やっと連絡をする気になったらしい。今更だ、と葉書を眺めながら肩を竦めた。だが、呆れよりも上回る感情が胸の中で滲み、染み渡っていくのが解った。

その何の変哲も無い絵葉書は、手紙なんて代物ではなかったが、それでも僕は嬉しかった。あまりにも嬉しくて何度も何度も眺めすかめ、居間の戸棚の一番上の段の中に飾ろうと後日写真立てを買いにいったくらいだ。

その後もミナキ君は訪れた街々から僕宛てに生存報告の絵葉書を送ってくるようになった。相変わらずメッセージも何も無い、唯、表に僕の名前と僕の家の郵便番号と住所と、自分の名前を書いて送りつけてくる。移動毎に送ってくる訳ではないが以前よりは掴める様になった友人の動向に大袈裟かもしれないが、肩の重荷が軽くなった気がした。そしてこの絵葉書は別の楽しみを僕に齎した。
町の観光名所や自然、ポケモンが写されたり祭りのワンシーンが切り取られたりした絵葉書はエンジュの町並み以外を殆んど知らない僕に目新しさとなんとも言えない温かさを与えてくれた。数々のトレーナーや町の人達、足腰の軽い友人が語ってくれた景色が目蓋の裏だけでなくこうして形となって、はたまた想像も付かなかった結果として現れたのだ。まるでその場に行った様な疑似体験を夢に見た日もある、それらはテレビや雑誌を見ればあっと言う間だしもっと世間の情報は集まるんだろうが生憎、そこまで情報媒体に興味は無いし自分の性質上あまり見たいとも思わなかったからこの絵葉書は僕にとって本当に嬉しい贈り物になった。本当、前の饅頭や煎餅とは大違いだ。
まるでアルバムが徐々に出来上がっていく様な収集の楽しみも運んでくるのか、元々飾り気の無かった戸棚の上から一段目は僕とミナキ君の写真と絵葉書に満ち溢れていった。それを見る度何とも言えない幸福感と微かな淋しさが胸の中を渦巻いていく。愛しのポケモンと葉書を愛でる日々に、もう1人、騒がしい友人が増えてくれたら良いのに。等と言うささやかな我が儘が原因なのは自分でも解っていたから、苦笑いするしかなかったけれど。唯々心配や焦燥を感じながら過ごす日々に比べたら、断然楽しい日々に違いは無かった。

「マツバ、そんなに気に入ったのか?その葉書」
件の友人が泊まりに来ているのに、戸棚に飾られた絵葉書を見つめていた僕に、友人―ミナキ君は少し怪訝そうに声をかけてきた。だが、前々から望んでいたシチュエーションが叶った僕は素直に返答する。ポケモンもいるし、卓袱台にお茶と茶菓子と他の絵葉書が乗っていて其れを囲んでの昼下がり。与太話をするには調度いい塩梅だ。
「だって、君がちゃんと連絡くれるのが嬉しかったから。初めて貰った葉書は思い入れがあるんだ」
「何の変哲も無い絵葉書じゃないか」
「その何の変哲も無い絵葉書すら君は寄越さない人だったからね」
「さ、最近ポケギアだって持ってるだろ?」
「ミナキ君のポケギアはよく電源が入って無いからね、そしてよく充電が切れている」
君に繋がった試しは無いよ?機械的なアナウンス以外に答える者の無い連絡機器…この事を何て言うかミナキ君知ってるかい?『宝の持ち腐れ』って言うんだよ?
「ぐ…でもマツバのポケギアも調子が悪いじゃないか、何時も繋がりにくいんだぜ?だからわざわざ葉書出してやってるんじゃないか」
「すぐ壊れちゃうんだ、ポケギア」
そう言ってマツバは紫と黒のカラーリングを施されたポケギアを机の上に置いた。外装は綺麗なもので、一見して調子が悪いだの故障しているとは思えない。
「やっと修理から戻ってきたんだ」
なんだ、修理したのか。じろじろ見ても異変に気付かなくて当然だ。
「何処か電波の出る所にでも置いたんじゃないのか?」
「何でだろう…変な所に置いてないのに」
「乱暴に扱ったりしたか?それかポケモンにいじられたんじゃないのか?」
「ポケットに入れて、ジムに行くだけだから。ポケットに入りっぱなしだし、変な場所に置き様が無い。第一、僕の持ち場には机が無い。ポケモンもボールの中だし…」
「……ジムに持って行ってるのか?」
あのゴースト系ポケモンの巣窟と化しているエンジュジムに?
「家に置いといてどうするんだい?連絡をする為のものなんだろ?」
「…………」
それを世間では心霊現象と言うんだぜ?マツバ……言うべきかどうか未だ悩むが、マツバの視えてる世界は私達の世界とちょっと違うってマツバも知ってる筈だから、もう少し視野に入れて欲しいもんだぜ。
「でも、僕は絵葉書で良かったと思ってるよ」
顎の下に手を添えて腕組みして、今言ってやるべきか否かと逡巡していた私にマツバが切り出したのは何だかマツバらしいが時代遅れな一言。今更アナログだろ?葉書なんて、メールで済む事を態々紙で伝えてる。絵葉書でも送ってやればいいかなんて売店で思いつき、始めた私には馬鹿にする事が出来ないけれど。
「知っての通り、僕は長いことエンジュを離れる事は出来ないから君の便りが一切なかった今迄はとてもとても心配だったんだ。万が一何かあったとしても直ぐに駆けつけてやれないし、助けてやれるにしても後手後手になる事はほぼ決まっているから祈り、待つ事以外僕には何も出来なかった」
其れが今はどうだい、何も出来ないと心を苛み、祈りも唯待つという行為にも倦み疲れた精神は、何と無しに鳴りを潜めまっとうな形を築いている程だ。

「遠くから、定期的とは言わないけど届く様になった便りが」
あの不安と泥沼の様な心の闇に飲まれ食われ続けたあの日々が、なんとまともな方向に向かっている事か。不測の事態に駆けつけてやれないと言う現実が変わった訳じゃないのに、穏やかな浅瀬に立つ心持ちか、波打ち際で波を楽しむ余裕の様なものすら感じる。

「君が無事で有ると言う証明を僕に伝えてくれていると言うのが」
その証拠が形となって僕の傍にいてくれる。それこそ紙切れと言われたらそれまでの絵葉書は、僕にとっては友人の足跡であり欠片にも等しい。愛しのポケモンとその欠片は僕の心を支えてくれている。何と頼もしい事か何と何と!!

「堪らなく、嬉しい。安心してるんだ、旅が無事に進んでるって解ったから」
君がちゃんと、無事に生きている。この絵葉書は君の目線そのものだ、この景色を通してスイクンを追っている。そんな君を想像出来た、初めてだった。
どうやって旅してる?ちゃんと食べて、風や雨を凌いで寝ているかい?怪我はしてない?危ない目には遭ってないかい?そんな言葉ばかりが頭を埋め尽くして、スイクンを追う君の姿は上手く描けた事がなかったんだ。でも、もうそんな事は無い、だって、余裕の無い旅で葉書なんか出せる訳が無いのだから。
「…マツバ、そんなに私の事を心配していたのか。……お前の気持ちに私はちっとも気付いてなかった。すま」
「それに」
「それに?」
マツバの気遣いに謝罪しようとしたミナキの言葉をマツバが遮った。まだ、大切な事でもあるんだろうか?俯きかけた顔を上げマツバを見る。マツバの顔は真剣と言うより普段どおりの、食えない顔だった。
「不定期な手紙の様がまるで遠距離恋愛の恋文みたいだなって、」
「こいっ……っっ」
ぐらりと眩暈がする様に視界が回る。こいぶみ…なんてロマンチストだ君、マツバ。そんな事言う為に私の謝罪を遮った、と言うかぶった切ったのかお前。食わされた……食わされた儘では何か悔しいな、私だってからかうくらい出来るんだぜ!
「恋文だって言うのに、お前からの返事は無いじゃないか。私は片想いの乙女かなんかかい?」
きょとん、と言ったマツバにしては珍しく拍子抜けした様な顔に、間を置いて私は失敗したと感じた。からかい方をしくじったんだ。
まるでこれでは返事が欲しいと強請っているようではないか、ミナキは直ぐにこの失言に気付いたが考え無しに飛び出した言葉はもう返ってこない、何とか取り繕おうと顔を上げて弁明を紡ごうとした時、まるで関係無い風に告げられた。
「近い内に帰っておいでよ、」
マツバには明日にはエンジュを発つ、とはまだ言っていない。なのに、帰宅後の話をされている。嗚呼、明日の事がバレているんだ。相変わらず恐ろしいんだぜ?屹度視ようとして視た訳じゃないだろうけれど。
そして次に発せられた言葉は色んな意味で恐くて、恥ずかしかった。

「ミナキ君が戻って来る迄に、ちゃんと返事書いておくから」

その後じわじわと顔中真っ赤になってしまったのを、柔らかく笑うマツバにからかわれた。





これ、5/23の恋文の日にあげようしてたんだぜ?…信じられん


13/10/9