生きていくのに何が必要であろうか。

愛情を交わすことのできる恋人、寄りべとなる人生のパートナー、支え合う友人。暖かい家族。人によってはその答えは違うだろう。

立ち尽くすりんに、ひろしもシロも、声をかけることができなかった。何も、できないのだ。その絶望を、理解することなど出来ない。

生きていくのに何が必要であろうか。

記憶を失ったりんには、そもそも恋人も、パートナーも、友人も、家族もいない。どんなものかは知っているが、それらは遠い、どこかの御伽噺のような曖昧な形であり、到底欲しがるようなものではなかった。

生きるために、必要なものは何か。りんにとって、それはたったひとつだった。
色のない、青い瞳が力無く閉じられる。それは明らかに逃避だったが、耐えきれない現実を、すぐには受け止めきれなかった。

だが、それでも現実は変わることなどありあえない。



財布の残金が、80円である現実から。



「おっ帰りー。邪魔してんなー」
「・・・はあああああああああ」

穢れ無き聖騎士の名前を持つ男、アーサー・O・エンジェルは自室に帰った瞬間に堂々とカップ麺を啜る憎き悪魔の姿を認めて、肺の中から溜息を吐いた。この悪魔、事ある毎に天敵であるはずのアーサーの部屋に入り浸る。
そりゃあ何かあれば来ればいいと、慈愛の精神でもってうっかり”鍵”を渡してしまった訳だが、それがいけなかった。遠慮のえの字も見せずに押しかけるりんに、流石は悪魔、利用するものはなんでもするのかと、嘲笑って見てもどこ吹く風で、今ではもう、諦めの境地に達している。

「相変わらずおキレーな顔してんのに、食生活貧しいのな」

大きなお世話である。安くて早くて腹の膨れるこの世界に誇れるジャパンの発明品の偉大さを、この知恵足らずな悪魔は知りもしないのだろう。だいたい聖騎士なんざ名誉だけついて回るものの、給料は安く、仕事は過密に尽きる。それでもまだ、悪魔を滅するだけなら我慢はできるが、言う事聞かない部下の管理やら脂ぎった視界の暴力のおっさんとの会食やら始末書の提出やら報告してこない部下の管理やらとにかく雑務が多すぎるのだ。帰る時間も深夜に及ぶ事が多く、どこか店を探す元気も、買う元気もない。かといって家政婦を雇うには、色々恨みを買いすぎていた。すぐに殺されるか毒を仕込むような家政婦に身の回りの世話をさせるような、精神破綻者では、今のところない。

「・・・追い出されたいか、悪魔」
「なんだよ、一応心配してやってんだぜ」
「鼻ほじりながら言うセリフではないな。汚らしい」

一体なんの用だと、アーサーは純白の白いコートを脱いだ。色々仕込みがあるとはいえ、重すぎるのではないのかと以前から装備部に打診しているのだが、一向に改善する気配はない。りんの足元に寝そべっている白いぬいぐるみの元の魂も、やはり同じような悩みを抱えていたのだろうか。いや、それにしても享年51歳に至るまで最弱といえども曲がりなりにも聖騎士だった訳で、それにしてはいつも飄々としていた、気がする。あれはつまり、辛いのを隠してたのか?それとも何か秘策が?そこんとこどうなんですか、先輩!

「何じっと糞ジジイみてんだよ、きめえな」
「・・・何でもない。疲れてただけだ。用事を言え」

疲れてんのか、と、心配気な顔をした悪魔の手がアーサーの頬に伸びる。それを振り払おうとしないのは、疲れているからだと、アーサーは自分に言い訳をした。あるいは、これも、悪魔の罠なのだ。

「いや、金がなくなっちまってさ、仕事ねえかなってきたんだが」
「この前斡旋したばっかりだろう」
「金もらう前に逃げちまってさ」

久しぶりにまとまった金が入ると、景気良く有り金全部はたいてカレーの材料費に使ってしまったのが、不味かった。ぬいぐるみのひろしはそもそも食事を取らないし、シロはいざとなったら自分で食料を獲れる。しかしりんは、人間の食べるものしか食べたいと思わなかった。だとするならば、仕事をせねば、ならぬ。しかしそれ程器用でないお陰で人の世界に完全に紛れることができず、こうしてふらふらとアーサーの前に現れては、イレギュラーとも言える仕事を請け負っていたのだ。

「なあ最近もしかしてこんなんしか食べてねえの?」
「だとしたらなんだ」

卵焼きひとつ満足に作れない聖騎士を嘲笑うのか。時間を持て余している貴様と違って料理にうつつを抜かす暇があれば悪魔の一匹殺すことが有益だと、知っているか?
常時であれば、そうやって悪魔を罵り、憤ったりんを苛立ちの解消とばかりに少々痛めつける訳なのだが、しかし、アーサーはなにぶん、その時あまりにも疲れきっていて口を開くのも億劫だった。

アーサー、

と、慈しみが込められた名前が呼ばれる。
憎き権化、悪の象徴たる青い瞳がゆるりと、歪んだ。

「食事、作ってやろうか?」

思わず、現役聖騎士はその悪魔の誘惑に、頷いた。


その後、見るに見兼ねた元聖騎士による現役聖騎士へ、いかに仕事を他人に押し付け、上司に責任をなすり付け、部下の世話をせずにすむかというレクチャーがなされたとかなされなかったとか。






「にゃははははは」
「何思い出し笑してるんですか、気持ち悪い」
「いやークソバカハゲが昼に、手作りの弁当持って来やがってさーそれが意味の分からん海苔弁だった訳よ。最近できた彼女と喧嘩したみたいでさっぷぶっ。思い出しただけでもwwwwざまあwwww」
「・・・へー彼女いたんですか」
「シャツの皺とかそのまんまだから、ありゃ家事はできない女だな。だけど料理はプロ級と見たね。あいつの弁当超うまそうだしって、雪男、どこにいくんだ?」
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