ふたりの必然
雄英体育祭が始まる少し前のこと。嫌がらせを受けていた美琴ちゃんが普通科の生徒数人に連れ去られるという事件があった。
「久遠はここ最近、ずっと嫌がらせを受けていたんだ」
廊下の床に散らばった美琴ちゃんの教材や筆箱を見て轟くんがそう言うのを聞くと、かっちゃんはすぐさま廊下を駆け出した。それを追うように皆で手分けして居場所を探し回った。轟くんが先に見つけてくれて、すぐにクラスの共有トークにその旨を知らせてくれた。そのメッセージを見て僕もすぐにその教室へ向かったんだけど、そこには──
『誰に殴られたって聞いてンだよ!まずはそいつからブッ殺す!!』
美琴ちゃんのことで本気で怒っているかっちゃんがいた。僕はそれを見て昔のことを思い出したんだ。
◇◇◇
僕と美琴ちゃんが出会ったのは幼稚園の頃。あいかわらず何をやっても上手くできない僕をからかってくるかっちゃんから僕を庇ってくれたのがきっかけだった。
「やめなよ。いやがってるよ」
その声は今でもはっきり覚えている。それだけ衝撃だったのだ。そんなふうにかっちゃんにはっきり物を言える子なんてそれまでいなかった。当時からかっちゃんは他の子たちよりもあらゆることに優れていて、特別な存在だったから。
「うっせぇな!てめェはだまっとけ!」
「そんなこと言ってたらミツキおばさんにいいつけてやるんだから!」
「ずりぃぞ!!!」
「カツキがいじわるするからでしょ」
そんなふうに対等に言い合う二人を見て、僕はどうしてだか強い羨望を覚えた。あの頃の僕は何でもできるかっちゃんは一番身近な憧れの存在で、そのかっちゃんと対等に渡り合えるってだけで僕にとってはすごいことだったのだ。
「あ、あ、ありがとう!」
「ううん、気にしないで。ねえ、私もいずくって呼んでいい?」
そう言って微笑みかけてくれる美琴ちゃんはすぐに僕にとってもう一人の特別な存在になった。
美琴ちゃんは面倒見のいいお姉さんといった感じで、いつもおどおどしている僕のことを助けてくれるようになった。
かっちゃんみたいにかっこよくなりたいって思うと同時に、いつしか美琴ちゃんを守れるくらいの強い男になりたいと思うようになった。
──普通ならそういう感情を恋と結びつけるのかもしれない。
けれど不思議と美琴ちゃんをそういう目で見たことはなかった。きっと心の中で美琴ちゃんにはかっちゃん、かっちゃんには美琴ちゃん、という刷り込みが最初からあったのかもしれない。
その思いは今でもあまり変わらない。つい最近、美琴ちゃんはかっちゃんがどうして自分と登校しなくなったのかって悩んでたけどそんなの決まってる。
──美琴ちゃんを守るためだ。
普通科から目の敵にされている自分と一緒に登校することで、美琴ちゃんが嫌な思いをしないようにっていうかっちゃんなりの優しさだ。かっちゃんは自分からはそういうふうに言わないし、聞いたとしても絶対に認めないだろうけど。
いつだってかっちゃんの中で美琴ちゃんは大切な存在なんだ。
小学校5年生の時に僕のその思いは確信に変わった。
「ブース!ブース!」
美琴ちゃんが一つ上の学年の上級生の男子グループに度々からかわれるようになった。廊下ですれ違ったときや放課後の校庭など場所は様々で、美琴ちゃんが一人でいるか、僕のように何も言い返せない友達しかそばにいないようなタイミングを狙って。
その日も、僕と二人で帰っていた帰り道にその上級生たちは絡んできた。
「行こ、出久」
そういう時、美琴ちゃんは基本的に相手にしない。『こういうのは相手にしないのが一番いいの』といつもそう言っている。だからその日も僕の手を引いて、立ち塞がる上級生グループの隣をすり抜けようとした。
いつもならその様子を見て笑うだけのボス格の上級生はムっとしたように美琴ちゃんの手を掴んだ。
今思い返せばきっとあの上級生は美琴ちゃんに好意を抱いているが故にからかうようなことを繰り返していたんだろうってわかるけど、当時の僕はそんな気持ちなど想像もつかなかった。ただただ身体の大きな年上の男の子に絡まれて恐かった。
「離して!」
「うっせえ!!」
そう言ってそのボス格の上級生は美琴ちゃんのランドセルに付いていたキーホルダーを奪い取った。
「んだこれ?だっせぇの付けてんなあ?」
周りの連中と同じように「だっせぇ」とバカにするように笑っていた。
それは動物をモチーフにした可愛らしいデザインのぬいぐるみが付いているキーホルダーだった。UFOキャッチャーでしか手に入れられないもので、1年ほど前に幼馴染3人で遊んでいたときに、どうしても欲しいと言う美琴ちゃんのためにかっちゃんが代わりに取ってあげたものだった。あの時、かっちゃんも『だっせぇキーホルダー』って馬鹿にしていた。でも、嬉しそうに「ありがとう!」って満面の笑みを浮かべる美琴ちゃんを見てかっちゃんはどこか誇らしげでもあったんだ。
「返して!」
美琴ちゃんが反応したのが嬉しかったのか、ボス格の上級生は気を良くしたように笑っている。
「そんなに大切なもんなら宝箱にでも閉まっとけよ!」
そう言って、返して!と取り縋る美琴ちゃんを片手で押し返した。体格差もあるせいかよろめいて後ろに尻餅をついてしまった美琴ちゃんをすぐに僕は抱え起こした。
「美琴ちゃん、ここは一旦逃げて助けを呼びに行った方が・・・・・・」
「でも、」
そんなやりとりをしている間にも美琴ちゃんのぬいぐるみキーホルダーは踏まれたり蹴られたりしている。それを見た美琴ちゃんの目に涙が浮かぶ。悔しそうに唇をギュッと噛み締めている。美琴ちゃんが泣いているのを見たのはこれが初めてだった。
──大切な友達が泣いているのに僕は何もしないのか?
僕はそう自分を奮い立たせて美琴ちゃんを守るように立ち上がった。けれど小学生にしてはごつめの体型のボス格にギロリと睨まれ、それ以上は動けなくなってしまった。
──動け!動け!動け!!
そう心の中で叫んで、まさに負け覚悟で殴りかかろうと決意を固めた時──
「泣かせてんじゃねェ!!」
え?と思ったときにはもうボス格の上級生に跳び蹴りをくらわせるかっちゃんの姿が目に入ってきた。
かっちゃんの迷いのない蹴りに吹っ飛んだボス格の上級生はすぐに立ち上がれなかったけれど、周りの取り巻きが一斉にいきり立つ。体格差のある複数を相手にするのはいくら喧嘩が強いかっちゃんでもかなり不利な状況だった。
「おまえ前から生意気だと思ってたんだよ!!」
「ぶちのめせ!!!」
そんな掛け声と共に一斉に襲いかかった。
でも、かっちゃんは全く引く気はない。絶対に勝つ!!という闘志がみなぎっている。
途中美琴ちゃんは「もういいから!」と喧嘩に割って入ろうとしたけれど、止まりはしなかった。決着まではそう長くはかからなかった。ボロボロになりながらも辛勝して、かっちゃんはキーホルダーを取り返したのだった。
「おら」
かっちゃんからキーホルダーを受け取った美琴ちゃんは、大事そうにそれを胸に抱きしめた。
「ありがとう」
「別にてめェのためじゃねえ。俺の戦利品が足蹴にされてんの見てムカついただけだ」
「・・・・・・それでもありがとう。取り返してくれて」
泣き笑いのような表情でもう一度そう言った美琴ちゃんにかっちゃんは憮然とした、けれどどこか照れくさそうな表情になった。
「でも無茶しすぎだよー」
「うっせぇ」
かっちゃんの頬の傷に美琴ちゃんが手をかざすと、スッと傷が消えていく。
「勝手に治してんじゃねェ!」
「何それ」
文句を言いながらもかっちゃんの表情はどこか柔らかい。
──ほらね。美琴ちゃんにはかっちゃん、かっちゃんには美琴ちゃんなんだ。
かっちゃんの他の子には絶対見せないその表情に、そのとき僕は改めてそう思ったんだ。