番外編

変わらないもの



「勝己ー、過去問わかんないとこあるんだけど教えてー?」

 ノックはあったものの、許可する前に当たり前のように部屋に入ってくる幼馴染に俺は怒りよりも呆れの方が先にくる。こいつは馬鹿なのか?中3にもなって、男の部屋に危機感もなく入って来るなんて。しかも、部屋着のまま来たのか、Tシャツに短パンとかなり薄着だった。俺はベッドに寝転んだまま読んでいた雑誌にもう一度目を落とす。

「自分でやれや」
「やってわかんないから来たんだって」
「他の奴に聞け」
「だって雄英受けんのうちの学校で3人だけだし」
「俺は忙しいんだよ!」
「えー、雑誌読んでんじゃん」

 俺が遠回しに部屋に帰れと言っても鈍感なこの女は気付きもしない。だからといって、女が無防備に男の部屋に入ることの危険性をこいつに直接説きたくはなかった。そんなことしたら俺がこいつを意識してるみたいじゃねえか。

「んー・・・じゃあちょっと遠いけど出久の家行って来ようかな」

 問題解けないままなのやだしと、残念そうな顔で出て行こうとする美琴に気付けば俺は口を開いていた。

「・・・クソ、どれだよバカ女」

 この幼馴染が、あのクソナードの家に行って、ましてやあいつの部屋に入って勉強を教えてもらうような状況を作るくらいなら、俺の時間を差し出した方が遥かにマシなように思えたからだ。

「え?いいの?これなんだけどさ・・・」

 そう言って、バカ女はあろうことかベッドに寝転んだままの俺のすぐそばに腰掛ける。近えっ!!と叫びたくなる衝動を抑えつつ、俺もベッドに座り直して美琴が持ってきた問題集を覗き込む。すると、ふわりと甘い香りが俺の鼻腔を刺激する。シャンプーの香りだろうか、それとも柔軟剤の香りか。どちらにせよ、その香りは俺の心を揺さぶるには十分すぎるほどの威力を持っていた。女っぽい匂い発してんじゃねェ!!と怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られながらも何とか抑え込む。

「ねえ、勝己ってば!ちゃんと聞いてる?」
「ああ!?聞いとるわボケ」

 集中しろ俺。これはただの勉強会だ。それ以上でもそれ以下でもない。そう自分に言い聞かせながら、何とか平静を保つ。美琴がわからないのはどうやら数学の問題のようで、幸いにも同じ問題をつい先日解いたばかりのものだった。

「てめェ使う公式間違ってんじゃねえか」
「え?ほんと?あれ?これってどの公式だっけ?」
「貸せ」

 俺は美琴から問題集を奪い取って、間違えている箇所に印をつけていく。すると、美琴は身を乗り出して俺に顔を近づけてきた。よりはっきりと感じるようになった甘い匂いに頭がクラクラしてくる。何でこいつはこんなに無防備なんだ。俺が男ってわかってんのか?もっと警戒しろよ。

ーーー他の奴にもこんなんなんか?

 そう考えると、苛立ちにも似た感情がふつふつと湧いてくる。

「こんなヘボい計算ミスしてんじゃねえわカス!!」

 それゆえに自然、口調もキツくなる。

「ううっ、ごもっともです・・・!」

 しゅんとした様子で肩を落とす幼馴染に先ほどの苛立ちは少しだけ収まってくる。さっさと終わらせて追い出そうと思い、再び解説を続ける。

「この後はこの公式に当てはめれば解けんだろーが」
「ええ!?何で急にこの公式出てきたの?」
「急にじゃねえ!このタイプの問題にはこの公式って決まってんだよ!」
「うう・・・才能マン・・・!」
「こんくらい覚えとけや!」

 美琴はぶつぶつ言いながら、自分でもう一度問題を解こうと手を動かす。

「あ、でも確かに・・・これなら解けそうかも!」
「後は家でやれや」
「そうだね!うん、ありがとう勝己!」

 そう言って満面の笑みを見せる美琴を見て、俺の心はざわつく。それを誤魔化すように、俺はベッドから立ち上がる。これ以上この甘ったるい匂いの中にいたらどうにかなってしまいそうだった。そんな俺の気持ちなど全く知らないであろう幼馴染は、そのままベッドに仰向けに倒れこんだ。そして、俺を上目遣いで見上げてくる。その表情に思わず鼓動が早まる。そしてそんな自分にクソ腹が立つ。こいつわざとやってんのか?

「何かすっきりしたら眠くなってきた」
「人の部屋で寝んなや!!」
「いいじゃん少しくらいさー」

 そう言って、美琴は再び目を閉じようとする。俺は慌てて彼女の腕を掴んで起こす。

「さっさと帰れ!!」
「ええー、ケチ」

 不満げな声を漏らすものの、渋々といった様子で起き上がる幼馴染に俺は胸を撫で下ろす。

「またわかんないとこあったら聞きに来ていい?」
「ぜってえ来んな」

 即答する俺に、美琴はぶーっとガキみたいに頬を膨らませる。ふとこいつは昔からこんな風に頬を膨らませて「かつきのけち」とか言いながら拗ねていたことを思い出した。

 あの頃は男とか女とか意識する必要もなかった。心地いいから一緒にいる。それだけだったのに。幼馴染という枠組みに男と女という要素が加わってしまった今、俺とこいつの関係はこの先どうなってしまうのだろう。変わらないものなんてこの世にはないっていうのはわかってる。それでも、認めたくなくても、今のこの関係が崩れてしまうのを恐れている自分も確かに存在していた。

「めんどくせぇ」
「え?」

 ぽつりと呟いた言葉はどうやら彼女には届かなかったようだ。何でもないと言って、部屋を出るよう促す。

 扉をくぐって出て行く幼馴染の後ろ姿を見ながら、このままずっと変わらないでいてほしいと願う反面、心のどこかで変わってほしいと思っている自分もはっきり自覚していて、それがどうしようもなく嫌になるのだった。


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