番外編

甘い唇の誘惑



「お待たせ」

 待ち合わせ場所に現れた美琴はどこか大人っぽい雰囲気の柄の浴衣を身にまとっている。更には髪の毛を編み込んで高い位置でまとめているため、普段は見えないうなじが露わになっていて──いつもと違う雰囲気に爆豪の心臓はドキリと高鳴った。

「おっせえわ」

 けれど、咄嗟に口から出てきたのはそんな言葉。美琴は口を膨らまして「遅刻はしてないじゃん」と拗ねている。

「勝己は浴衣じゃないんだね」
「ンなかったりぃモン着てられっかよ」
「悪かったですね、かったるいモノ着てきて!」

 そう言って美琴はプイっとそっぽを向いてしまった。本格的に拗ねてしまったようだ。もしかしたら、せっかく時間をかけて着付けしてきた浴衣のことを言及しない爆豪に対して、恨みがましい気持ちにでもなっているのかもしれない。
 けれど、どれだけ本音では『クソ可愛いな』と思っていたとしても、爆豪という男はそれを素直に口に出せるような人間ではない。

 今日、2人は市内の花火大会に一緒に行く約束をしていた。「あんなゴミゴミしたとこ絶対ェ行かねえ」と最初は突っぱねていたのだが、美琴がどうしても行きたいと粘ったのと、自身の母親がそれを後押ししたのとで、結局爆豪が折れる形で行くことになったのだ。

「わ、すごい人だね!」

 花火大会の会場となる駅のホームに着いた時点で既にすごい人混みだった。改札から出るのにもかなり時間がかかるだろう。いきなりうんざりした気持ちになる爆豪だったが、「楽しみだね」と瞳をキラキラ輝かせる美琴を見ていると「やっぱ帰んぞ」とは言えなかった。








「出店いっぱいあるね!花火上がるまでまだ時間あるし見てみようよ!」

 川沿いに延々と並ぶ屋台に美琴ははしゃいでいる。「焼きそば食べる?」だとか、「ヨーヨー懐かしい!」だとか、まるで子供のように。
 片手にリンゴ飴、片手にヨーヨーを持って上機嫌な幼馴染みの様子に、どうしても頬が緩んでしまうのを自覚していた。

「ね、見て!あのぬいぐるみ可愛い!射的やっていい?」

 どうやら欲しいぬいぐるみがあるみたいで、そう言うと、美琴は射的コーナーで立ち止まった。店主のおじさんも「可愛いお嬢ちゃん、100円引きでやってかない?1発おまけするよ?」とおだてるものだから、本人もすっかりやる気になっている。
 爆豪に両手のものを預けて、早速店主から渡された銃を構えている。そのあまりに真剣な表情に、爆豪は内心『可愛いなクソ』と思っているが、もちろん口には出さない。
 1発目、全く別方向にコルクは飛んでいく。2発目、これも全くかすりもしない。おまけしてもらった弾は残り後1発。見かねた爆豪は仕方ねえなとばかりにアドバイスしてやることにする。

「照準は合わせてんだろ?」
「うん・・・・・・でも手がぶれちゃって」
「台にひじ置け」
「こう?」

 美琴は言われたとおりに、台にひじを置くが、角度がよろしくない。

「こうやって自分の腕を3脚の代わりにすんだよ」

 言いながら、美琴の腕の角度を調整してやっていると、すぐ近くに美琴の顔があることに気が付いた。美琴の顔は耳まで真っ赤に染まっており、自分が後ろから覆い被さるようにして美琴に触れているということを自覚して、爆豪は慌てて離れた。

「あ、ありがと・・・・・・」

 美琴は真っ赤な顔のまま気恥ずかしげにそう言った。結局、ぬいぐるみを落とすことはできなかったけれど、3発目は見事お目当てに命中したので美琴はそれだけで満足したようだった。
 
「次、かき氷食べようよ!」
「まだ食うんか」
「食後のデザートは別腹!」

 焼きそばにフランクフルトにたこ焼きにフライドポテトに・・・・・・と気がつけば爆食いしていた2人だったが、美琴はまだ満足していないらしい。

「勝己は何味にする?」
「何でもいいわ」
「じゃあテキトーに買ってくる!」

 そう言うなり、美琴はさっさと列に並んでしまった。手持ち無沙汰になった爆豪は、隅に寄ってスマホ片手にしゃがみ込んだ。アプリのゲームで時間を潰していると、ふと、美琴が知らない誰かと話していることに気がついた。列の後ろに並んでいる大学生くらいの男二人組だった。美琴の表情は別段困っているという感じでもないが、ムッとした爆豪は立ち上がると、そちらへと向かう。

「まだかよ」

 爆豪が話しかけると、途端に大学生二人組は気まずそうに目を逸らした。クソが。ナンパしてんじゃねえ。つうかてめェもへらへらしてんなや。気付けや。と、心の中だけで罵倒する。口に出してみみっちい男と思われたくない。

「もうすぐだよ。あっちで待ってていいよ?」
「てめェ、2つも持てねえだろ」

 片手にリンゴ飴、片手にヨーヨー、自分の今の状況を思い出したのか、「確かに!」と納得している。
 美琴の言うとおり、すぐに順番が回ってきた。美琴はイチゴ味、爆豪はブルーハワイ味のかき氷を手にその場を去る。ちなみにあのナンパ男2人組は二度と話しかけてくることはなかった。

「もうすぐ花火上がる時間だね。何か近くに公園があるらしくて、結構穴場らしいよ」
「あ?ンでそんなの知ってんだ?」
「さっきのお兄さんたちが教えてくれた」

 それ確実に連れて行こうとしてんじゃねえか!また先ほどの苛立ちが舞い戻ってくる。

「行ってみる?」

 辺りを見渡しても、既に観覧スポットは人という人で埋まり尽くしている。いよいよ人混みにうんざりしていた爆豪は『穴場スポット』とやらに行ってみるのも悪くはない気がしてきた。情報源は全くもって気に入らないけれど。

「あ、この公園のことじゃない?」

 スマホの地図アプリで調べてたどり着いたのは、先ほどの喧噪とはほどよく離れた川沿いの公園だった。色とりどりの花が植えられた花壇が横長に並んでいる。ところどころに設置されたベンチは同じく花火目当てだろうカップルやらグループでポツリポツリと埋まっている。

「あそこ空いてるよ」

 早速見つけた空きベンチに2人は腰掛けた。歩きながら食べていたので、爆豪のかき氷は既に半分以上なくなっていた。美琴も同じようで、外気温でほとんど溶けてしまっているかき氷を半ば飲むようにして食べている。

「あ、始まった!!」
「ああ」

 次々と打ち上がっていく花火を二人はベンチに並んで座って見上げている。花火自体にはそれほど興味のない爆豪は、目を輝かせて打ち上げ花火を見上げる幼馴染みの顔を横目でこっそり窺い見る。
 イチゴ味のかき氷を食べているせいだろうか、公園の外灯に照らされた美琴の唇は艶めかしいほどに赤く染まっている。それと相まって、浴衣から覗くうなじ部分もやけに目について、爆豪の胸の鼓動は高鳴った。

──今キスしたらイチゴの味がするのだろうか。

 そんな考えが頭をよぎる。じっと見つめていたせいか、美琴が爆豪の視線に気がついたらしい。なぜか急に吹き出した。

「はは、勝己、唇真っ青!」
「・・・・・・てめェも真っ赤だろうが」
「かき氷食べると絶対こうなるよね」

 そう言って、美琴はそれを示すように真っ赤になった舌をペロッと出した。本人に全く他意はないのはわかっているが、爆豪は思わずギクリとした。引き寄せてその赤く染まった唇を貪りたい衝動に駆られたのだ。そんな自分に驚いて、爆豪は思わず目を逸らした。けれど──

「勝己も舌見せてよ」

 美琴は平然とそんなことを言う。こいつわざと言ってんのか?と、爆豪は少し苛立たしい気持ちになってくる。

「ねえ?」

 そう言う美琴の雰囲気は普段とは違ってどこかあだっぽくて、爆豪は困惑する。艶かしく微笑んだ美琴が爆豪のひざに手を置いてそっと顔を寄せてくる。その唇はあいかわらず怪しい赤色を帯びていて、少し開いた唇から覗く舌はもっとあでやかな朱色で──

 気がつけば、爆豪は近づいてくる美琴の肩を押さえ、その唇に自身のそれを重ねていた。驚きながらも、なぜか美琴は抵抗することなく、爆豪のキスを受け入れている。何度も何度も貪るように角度を変えて、柔らかい唇の感触を味わうように堪能する。

──イチゴの味がする。

 もっと味わいたい。もっと、もっと。そんな衝動に駆られるまま、自身の舌を差し込もうとした時──

「は?」

 美琴は視界から消えていた。美琴だけじゃない。打ち上げ花火も、座っていたベンチも、公園も、全部、全部。
 見えるのは真っ白な天井。ゆっくりと顔を横に向けると、見慣れた景色が視界に入ってくる。そこは紛れもない──寮の自分の部屋だった。

──夢・・・・・・?

 途中まではなんだか覚えがある。実際の過去の記憶だ。あれは中学の時に一緒に行った花火大会のときの記憶だ。かき氷を一緒に食べたあたりまでは、爆豪の中に思い出としてはっきり残っている。

──けれど、最後のは・・・・・・?

 まるで誘惑するように微笑んだ美琴の真っ赤な唇を思い出して、爆豪は愕然とする。

「なんつー夢見とんだ俺は・・・・・・!」

 自分に呆れて、渇いた笑いが溢れる。そもそも今年は色々あって花火大会など行ける余裕はなかった。というか神野の後はどこにも出かけることはなかった。
 そんな抑圧された自分の願望が見せた夢だとでもいうのだろうか。
 それならば・・・・・・と思う。夢ならば、もう少し長く見せてくれてもよかったんじゃねえか?と、爆豪はいいところで目が覚めてしまった自分を心の中で恨まずにはいられなかった。

 その後──
 当分の間、爆豪は本人を目の前にして、夢の中のあの艶かしい出来事を思い出しては、罪悪感に苛まれていたことを誰も知らない。


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