分岐

顔がタイプって言っただけなのに




「五条先輩、顔だけはタイプなんですけどねー」

 本人を目の前にしてそんなことを言ってしまえるのは、いつも私をからかってばかりいる先輩のことなんかちっとも好きじゃないからで。
 今日も今日とて帳を下ろし忘れて破壊行為(一瞬で呪霊は倒したものの建物を全壊させた)を行った五条先輩が罰として与えられた仕事を無理矢理手伝わされている。
 教室の隅っこの席で黙々と大量のお札のチェックをしている私を、隣の席(ちなみにそこは七海くんの席なので後で五条先輩が座ってたって言うと嫌な顔するだろうな)に座ってサングラスをくるくる器用に回しながらただ眺めるだけの先輩は、私の言葉を聞いてニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

「へー、ってことはお前実は俺のこと好きだったわけ?」
「はいー?んなわけないでしょうが。顔がタイプって言っただけです」
「どう違うわけー?」
「全然違いますよ。私は性格重視なのでいくら顔がタイプでも先輩みたいな人は好きにはなりません」
「それって俺が性格良ければ好きになるってこと?」
「いいえ、先輩の性格が良くなることはないので好きにならないってことです」

 お前ムカつく、と隣から長い足でゲシゲシ椅子を蹴られたけれど、そんなのはいつもの嫌がらせの数々に比べれば屁でもない。

「でも俺くらいのイケメンとなると探してもなかなかいないでしょ?」
「まあそれは否定しないです。自分で言うな、ですけど」
「タイプの顔が近くにいて付き合いたいとか思わねーの?」
「思わないですよ。先輩の女関係クソって知ってて付き合いたいとか思うわけないです」
「俺、本命は大事にするタイプだよ?」
「その発言が既にクソだってことに気が付いて下さい」

 そう言うと先輩はなぜか「つまんねーの」と不貞腐れている。
 つまんなかろうが何だろうが、それが私の本音だった。
 そもそも五条先輩が誰か一人に本気になっている姿が想像できない。いつも「彼女できたー」と「別れたー」の間隔が短すぎるし、その次の「彼女できたー」までの感覚も短すぎる。おそらく告白されたのを可愛ければとりあえずオッケーしているのではないだろうか。どこでそんな出会いがあるのかと不思議に思っていたが、この人と以前出かけたときにやたら逆ナンされていたのを思い出し、この人には出会いなんてその辺に転がっている石ころみたいにありふれたものなんだろうと結論づけた。
 いくら顔が好みであったとしても、そんな先輩を本気で好きになるなんてどう考えても不毛すぎる。

「っていうかそろそろ先輩も手伝って下さいよー。私一人じゃ終わんないですって」

 そもそも私は関係ないというのに。お前みたいな雑魚はこういう地味な作業で役立て、とかいう訳の分からないとんでも理論で無理やり押し付けられたのだ。まあ確かにお札のチェックや整理も大事な仕事の一つだけど、先輩の罰なのだからせめて少しだけでも自分でやるべきだと思う。

「めんどくせぇからヤダ」
「夜蛾先生に言いつけますよ」
「えー、チクリとかだっせぇ」
「パシリも十分ダサいですよ」

 ダメだ、この人。全くやる気なし。どこかのタイミングで夏油先輩にメールして助けに来てもらおうと決意を固めた時、ふと、すぐ真横に五条先輩が立っていることに気がついた。

「ついに手伝う気になってくれたんですね・・・って、五条先輩?」

 私の座っている背もたれに手をやり、こちらを見下ろしている五条先輩の顔がどんどん近づいてくる。
 へ?どどどどういう状況?
 どうしてこの人はこんな真剣な目で私を見つめて、顔を近づけてくるんだろう。
 私はゆっくりと近付いてくる空色の瞳に釘付けになったかのように動けない。
 やっぱり顔はタイプなんだよな、ともう目の前に迫る整った顔立ちを見て一瞬そんな場違いな感想が頭に浮かぶ。
 ってそんなこと考えてる場合じゃない。
 
「せせせ先輩っっっ!!」

 私は先輩の唇がほとんど私のそれに触れそうになる直前、先輩の肩を力いっぱい押し返した。
 けれど私の力いっぱいではそこまで先輩との距離を広げることはできず、まだほんの目の前に先輩の整った顔がある。

「何?」
「何じゃねーですよ!何しようとしてるんですか!」
「キス」
「どどどどうして私と先輩がキスするんですか!」
「理由、いる?」
「いるに決まってるでしょーが!」

 えー、と先輩は屈んでいた腰を伸ばすとそのまま隣の席にもう一度座り直した。
 そうして私はやっとのけぞっていた体勢を元に戻すことができた。
 危ない危ない。私の大切なファーストキスが理由もなく奪われてしまうところだった。
 でも、今のは一体何だったのだろうか。なぜ、先輩は突然私にキスなんてしようとしたのだろう。顔がタイプと言われて舞い上がるほど先輩は恋愛慣れしていないわけでもあるまい。

「お前、慌てすぎ。顔真っ赤だし。ウケる。やっぱ俺のこと好きなんじゃねーの」

 隣の席で私の方を指さしてゲラゲラ笑い転げる先輩を見ていると、どうやら私はからかわれていたらしいということがわかる。
 は、腹立つ、この人・・・!ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがって。
 顔が良くてもそんな性格だからどの彼女とも長続きしないんだバカヤロー!!
 心の中で思いつく悪態をつくものの、もちろん後が怖いので口には出せない。
 っていうか付き合ってもいない、かわいい後輩に、冗談でもキスなんかしようとすんなっつーの。あのまま止めてなかったらどうなっていたのかを考えると恐ろしい。

「残念だったな。大好きな先輩とキスできなくて?」

 先輩はパニクってる私がそこまでおかしかったのか、未だに笑いを止めない。
 くそ。どうにかしてこの目の前の笑い転げる男に一泡吹かせてやりたい。何か手立てはないだろうか。
 そう思った私はとりあえず思いついたことを行動に移すことにした。

「ーーー五条先輩、ひどすぎます」

 そう言うなり私は両手で顔を覆った。泣いているように見えるようヒック、ヒックと嗚咽を漏らす。あまり演技過剰にならないように気を付けながら。
 自分で言うのもなんだが、かなり上手く演技できている気がする。
 といってもこの性格クソ男に涙が通用するのかは別の問題だ。「泣いてやんのー」とからかってきたら「泣いてねーよ」と即効ネタばらしするつもりだったんだけど、返ってきたのは全く別の反応だった。

「は?なに、泣いてんの?マジ?」

 目を手で覆っているので表情は見えないが、声音から五条先輩が少し焦っているのがわかる。
 あれ?先輩、もしかして騙されてくれてる?
 そう思うと騙してやったという愉快さに笑みが溢れそうだったが、バレては元も子もないので何とか耐える。普段の数々の嫌がらせの仕返しとばかりに私は更に演技を続ける。

「ドキドキした、私が、ば、馬鹿みたい・・・じゃないですか・・・」

 それっぽく、しゃくり上げながら言葉を発してみるとこれも思った以上の出来だった。
 ふふふ。さあ、先輩。自分の行いをしっかり反省してその腐った性格を少しでも改善してください、と内心ほくそ笑んでいると、いつのまにか椅子ごと側まで移動してきた五条先輩に腕を引かれ、そのまま力一杯抱き締められた。私の顔がぽすっと先輩の胸にうずまる。

「・・・ごめんって」

 ボソッと呟くように発せられた甘い声音に私は動けなくなる。五条先輩の息遣いがすぐ側で聞こえて、私の心臓の鼓動は爆発しそうなくらい高鳴っている。
 な、なぜ?泣き真似で動揺させるつもりが、完全に私の方が動揺させられてしまっている。
 でも今は悔しさよりも、抱きしめる先輩の腕の逞しさとか、仄かに香る先輩の匂いとか、頭に感じる先輩の吐息とか、そういうものが私の思考回路を奪っていく。
 って、ダメだ。これは泣いている後輩を先輩なりに慰めようとしているのだろうか。けれど恋愛初心者の私にはその慰め方はレベルが高すぎて心臓がもたない。早いところネタばらしして離してもらわなければ。

「せ、先輩・・・」

 私を抱きしめる先輩の腕の力が緩んだので、私はとりあえず離れようと先輩の胸から顔を上げた。そうすると、先輩の右手が私の左頬にそっと優しく添えられた。そのまま先輩の右手は私の後頭部へと回りーーーぐいっと引き寄せられた。気がつくと先輩の恐ろしいまでに整った顔がもう目前にあってーーーって、あれ?これってさっきと同じ状況では?
 抵抗する間もなく、そのまま、先輩の唇が私の唇に重なった。

「ん・・・っ!!」

 離れようとする動きを察したかのように、後頭部へと添えられたは先輩の手に力がこもる。

「ちょ、せん・・・んんんっっ!!」

 口を開いたのは完全なる私の判断ミスだ。その隙を逃さず、またたくまに熱く湿った感覚が口内にねじ込まれた。強引な始まりだったのに舌の動きは思ったよりも優しく、ゆっくりと探るように私の舌を絡め取っていく。チロチロと舌先で私の舌をゆっくり撫でるその動きに「ん・・・っ」と思わず声が漏れてしまう。
 離して、と言いたいのに、先輩の舌遣いに翻弄されるばかりで碌な抵抗もできない。できないなりに精一杯先輩の胸を押そうと気をやると、無防備になった口内をより一層深く犯された。先輩の舌の温かさとなまめかしいその動きにゾクリと背筋が痺れる。目尻に涙が浮かんだのは嫌悪感かそれとも別の何かか。
 先輩の唇が一旦離れ、目尻からこぼれ落ちた一滴の涙をそっと舌で舐めとった。
 私は後頭部を抑える先輩の手の力が弱まったのを見逃さず、慌てて椅子から立ち上がり先輩から距離をとろうとしたのだがーーー腰に全く力が入らず、椅子だけが倒れてみっともなくその場で尻もちをついてしまった。
 今、私、何してた?何されてた?
 あまりのことに、私は床に座ったまま、呆然とあがってしまった息を整えることしかできない。心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うくらい激しい鼓動に、言葉も発せない。
 おそるおそる先輩を見上げると、にっこりとあいかわらずの私好みの美しい顔で微笑んでいる。

「俺を下手くそな演技で騙そうとした罰な」

 その口から出たのはそんなふざけた言葉で。騙そうとした罰って、最初に騙してきたの、先輩の方なのに。そう言いたいのにやっぱり私の口は開いてくれない。未だに尻もちをついたまま真っ赤な顔をして立ち上がれない私を、「罰じゃなくてご褒美になっちゃった?」と先輩は嬉しそうに見下ろしている。ふざけんな。先輩なんて好きにならならないって何度も言ってるのに。顔がタイプなだけって言ってるのに。
 そんな私の言葉にならない思いは先輩にしっかり伝わったようでーーー

「俺をタイプだなんて言って、もう逃げられると思うなよ」

 にんまりと笑みを浮かべて発された先輩の恐ろしい言葉に、「タイプと好きは違うんです」と私は心の中で叫ぶことしかできなかった。




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