short stories | ナノ




「―…夏くん、琉夏くん!」

長い眠りから覚めた時に目の前にあった美奈子の泣き顔。

正確には、歯を食いしばって泣き崩れないように耐えている顔だった。


一粒の滴がその頬をつたって、俺の頬に落ちる。


「……やっと戻ってきてくれた」


震える声と、その滴の温かさを感じたら、美奈子の気持ちが痛いほど俺の心に染み込んできた。


俺はなんてバカなことをしたんだ。
一つ間違えたら、こびりついて消え去ってくれない記憶を美奈子に植え付けてしまうところだった。

その消え去ってくれない記憶から逃れられない苦しみは、俺が一番分かっているのに。
そんな苦しみを、この世の誰よりも幸せになって欲しいと願ってやまない美奈子に与えようとしていたなんて。


それこそ耐えられない。


「美奈子、美奈子…ごめん。ごめんな」


美奈子は、謝ることしか出来ない俺の涙で濡れた頬を撫でながら、何度も首をふるふると振り続ける。


「ねぇ……お願いだから、一人にしないで……」


その言葉を聞いた俺は、返事することも出来ずに、泣きじゃくりながら美奈子の手を取り、ただ頷くことしか出来なかった。




ほんのりオレンジ色した光がもれる部屋へと続くアパートの階段を駆け上がる。


出迎えてくれる美奈子の陽だまりのような笑顔を思い浮かべ、マフラーを緩め、二人の合図のノックをゆっくりと3回繰り返す。


「美奈子、ただいま」

「おかえりなさい、琉夏くん」

開かれたドアの向こうにいるのは、誰より大事な愛しい人。


ドアノブに伸びたその手を取り、腕の中に閉じ込める。

驚いて一瞬固まった美奈子の身体の力はゆっくりと抜けていき、俺に身を委ねギュッと抱き締めてくれる。


愛したこと、愛されたこと。
それを忘れていくことが仕方のないことならば、何度も何度も記憶を塗り重ねていけばいい。

この温度、感触、息づかい、ふんわりと甘い香り、陽だまりのような笑顔。
繰り返し何度でも確かめて塗り重ねていけばいい。


それは生きているからこそ出来ること。

「美奈子、ただいま」


俺のいるべき場所を作ってくれたオマエの隣で、オマエだけを愛し続けるよ。
そして叶うのならば、俺の隣で幸せになって欲しい。


抱きしめた身体から伝わる温もりを手放そうとすることは、もう一生、ない。


-2/2-
prev next

[return]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -