「琉夏くん、いるー?入るよー?」
一階から上がってくる足音が近づくとともに、意識がはっきりとしてくる。
「もうっ、琉夏くんったら午後からサボったでしょ!しかも鞄置きっぱなしだったし」
学校に置き去りにされた何も入っていない俺の鞄をそっと置いた美奈子は、いつものように俺から少し離れたところに腰掛けた。
何も答えない俺を不思議そうに一瞬見つめたけれど、その目線はすぐに見覚えのない紙袋に移った。
他人の心の機微に人一倍敏感な美奈子は、自分自身でさえ気づかない歪みみたいなものに誰より早く気づく。
そして、相手に気づいたことを悟られないように丁寧に取り除いて代わりに足りないものを満たす。そういうことを何の意図もなく、自然とやってしまう人間だ。小さいときからそうだったから、美奈子の生まれつきの性質なんだろう。
なのに、今日は違う。
その理由を、その意味を痛いほど知っているのは紛れもないこの俺だ。
だけど、すんなり認めてしまうのはいやだった。
「……なあ、美奈子」
呼び慣れている名前なのに、初めて呼んだときのように緊張したせいか声が掠れる。
いつもみたいに、心配そうな顔してのぞき込んで。
どうしたの、何かあった?って聞いてほしい。
そして、ちゃんと俺を見て。
「んー?」
一縷の望みを託して発した言葉に返ってきたのは、心ここにあらずな一言だった。
俺に目線を向けてくれたけど、俺を見てはいない。
ああ、やっぱり。
かなしい?むなしい?つらい?
そんなんじゃない、ただ痛いだけだ。
だけどその痛みは、俺に事実を理解させてくれた。
わかりたくなかったけど、ホントはあいつと一緒にいる美奈子を見たときからわかってた。
美奈子にとっての特別は俺じゃないことを。
「……オマエさ、今日の昼休みアイツからバレンタインのお返しもらったろ?」
「え、え、え、な、なんで知ってるの?」
「俺もさ、チョコのお返しを渡そうと思ってたんだよね。ほら、あのチョコすごく高かったでしょ?だからちゃんとお返ししないとなって思って」
「あ、そのときに見ちゃった?それならそのときに声かけてくれたら良かったのに」
「いやー、それは野暮ってもんでしょ?」
「そ、そんなことないよー」
なんて、頬を赤らめる美奈子をからかいながら笑いながらいつものようなやりとりを重ねる。
気づいてほしかったけど、気づかれなくて良かった。
俺、美奈子のことめちゃくちゃ好きだったな。
俺なんかのために一生懸命に笑ったり怒ったり叱ったり泣いてくれたり。
そんな日々をいつか思い出しながら笑える日が来ると思えた。
懐かしいけれど、決して色あせはしない日々を。
「ああ、そうだ。ちゃんとお返ししなきゃね?ほら、手出して」
そっと差し出された手に用意していたプレゼントをのせると、俺の胸をぎゅっと締め付けてくるいつもと同じ笑顔をくれた。
始まってもいないうちから終わりを迎えてしまった恋。
俺だけしか知らない恋。
その恋心も色あせることなく、ずっと俺の中に生き続けていくのだと思う。
俺を形づくるものがまた一つ増えたことが、なぜかとても嬉しかった。