short stories | ナノ





美奈子からの電話で、今まで遥か彼方に行っていた意識が一気に現実に引き戻された。


美奈子のことは好きだ。大好きだ。
こんなにも大好きなのに、ふわふわしていて自分の存在すらも希薄な俺が、あいつを心から幸せに出来るという自信はない。

そう、たとえば柔道部の不二山のように「これが自分だ」という揺るがないものを持ってるヤツの方があいつを幸せにしてやれるんじゃないか、なんて思ったり。

…そう思うこと自体、かなり、いや、めちゃめちゃ悔しいけど。

そんなことを考えていたからか、1階から上がってくる足音に気付けなかった。

「おい、ルカ。チッ、何度呼んだと思ってんだ。ったく、今日はオマエが食事当番だろうがよ。」

「あっ……ああ、そうだっけ?ごめんごめん、忘れてた。いつものでいい?」

「……………いつものって、ホットケーキか?オマエちったあホットケーキ以外のものも覚えろ。もういい、今日は俺が作る。その代わり下に来て手伝え。おら、行くぞ。」

急にコウの声が聞こえたもんだから、いつもの俺に戻る余裕がなかった。
コウはこんなおっかない顔して、人の気持ちに敏感なヤツだ。わずかな表情や声のトーンの違いから瞬時に相手の感情を読み取る。
この沈黙は…バレたかな?

そう思いつつ、コウの後について階段へ向かう。

「…おい、ルカ。知ってっか?人間ってのはよ、ゆらゆら揺らいでこそ、人間なんだと。」

「ん?急に何言ってんの、オニイチャン。なにそれ?」

「だから人間ってのは不安定でもいいんだ。揺らぐことが出来るってのは人間だけの特権ってもんだ。それだけは覚えとけ、バカルカ。」

「俺、国語苦手だからコウの言ってること全然わかんないよ。」

「いいからそれだけは覚えとけ、わかったな。」


それだけ言って、コウはすたすたと階段を下りてカウンターキッチンへ入っていった。


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