緩やかに過ぎる昼さがり。目前に迫る秋の景色に目を奪われながらも、目の前に腰掛けた紅覇さまの息遣いを感じていた。
そっと瞼を閉じている紅覇さまは、長いまつげのその奥で何か夢でも見ているのだろうか。紅覇さまが眠っている時、それは何よりも可愛らしい寝顔でくぅくぅと寝息を立てているのだ。


そんな甘やかな時間。永遠に思われる静かな時間。


「お兄様!付き人さんをお借りしますわぁ!」

大声を上げて入ってきた方が、いた。


【第十八夜 切なさの精度】

「っ!!!こう、ぎょく??」

眠気を振りおとせない紅覇さまの声がゆるく部屋に響く。まだ状況を理解できていない様子の紅覇さまは、わたしに説明を求めるかのように視線を向けたが、こちらだっていきなりのこと。紅玉さまがどうしてこの場所にいるのかさえわかっていない。

「ですからぁ!付き人さんを…えっと、コーデリアさん?を、お借りしようと思いまして」

「コーデリアを?紅玉が?なんで!」

ますますわけがわからない。紅玉さまがわたしを必要とする意味が。困り果てたわたしは、紅覇さまの背に隠れて見たけれど、紅玉さまの実力行使により部屋の外まで引っ張り出されてしまった。

「まてよ紅玉!」

「すぐ!用事がおわればすぐ返しますからぁ」


わたしと手を繋いで廊下を走り抜けて行く紅玉さまは、お姫様というよりはなんだか、小さな女の子のようで。
背後から聞こえる紅覇さまの声に、のちのお仕置きのことで心を潰しながらも、彼女の手を振り払うことはできなかった。





「私とコーデリアさんは、お友達ですわよね?」

「お友達、なのでしょうか…」

「お友達なの!」

中庭まで手を引かれてきたそこで、ようやく息を整えた紅玉さま。彼女がわたしの目をしっかりと捉えてお友達ですわ、と念を押すように言葉を足した。

お友達。実はわたしにも、その概念はわからない。長い間幽閉されていたわたしには、今はもういない姉さまと下女くらいしか話し相手がいなかったからだ。
だから、紅玉さまが言い張るお友達とやらがどういうものかわからないのだけど。否定しまっては彼女がすごく悲しむことだけはわかっていたので、小さくうなずいて見せた。

「じゃあ、行きますわ」

「どこに?」

その言葉を無視して、中庭をしばらく歩いて行った先。その場に立って空を見上げる黒い影があった。

「ジュダルちゃん!」

ジュダルちゃん、と呼ばれたその影は、紅玉さまの方をゆっくりと振り返って不健康そうなその顔によくわからない笑みを浮かべた。

「よぅババア。おまえも凝りねぇな」

「今日こそお友達、連れてきましたわぁ」

きゅっと繋いだ手に力を込められてわたしは、ジュダルさんの前へと押し出された。
彼は、じっとりと下から上へ視線を動かしてわたしをみる。それから、数十秒顔を凝視したあと

「あっ、こいつ。紅覇の農民娘じゃねぇのか?」

そう声を出した。

「正真正銘、私のお友達ですわぁ。ね、コーデリアさん」

「えっと、はい。そうです」

肯定すれば、ジュダルさんはふんと鼻を鳴らして顔を背ける。わたしに興味をなくしたように。

「紅覇だけじゃなく、ババアにまでいいようにされて農民は辛いなっ」

そんな物言いに、かちんときた。わたしは、紅覇さまにも紅玉さまにも、そんな風に思ったことなどなかった。むしろ、よくしていただいていると思っている。それに彼らがわたしをいいように使ったところで、利点なんでないのだ。

怒りが、こみあげる。

「そんなことないですっ!紅覇さまも紅玉さまも、わたしをいいようになど使ってません」

「あっそ」

振り返らずにそう返事した。
歩き出した彼に舌を出して子供っぽく嫌悪を表現したのは紅玉さま。
どうにも、あのジュダルだとかいう方を好きになれないわたしは、小さくため息を吐いて、その怒りごと忘れてしまおうとそっと思った。








「コーデリアっ!」

紅玉さまと別れたころには、陽はもう傾いていた。紅玉さまはあれから、済んだ用事の後にたくさんの場所に連れ回してわたしを友達だと紹介し、わたしを自室へ招き入れて着せ替え人形のように、イイヨウニ使っていた。

だから、こんなにも遅くなってしまった。

紅覇さまはお部屋の真ん中で仁王立ちになって、目を細めていた。怒っている。
恐怖にすくむ身体を無理やりに奮い立たせて紅覇さまの前にかしずいた。

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

最初の一発は、思いの外強かった。
顎のしたを蹴り上げた紅覇さまの足。その衝撃でじんわりと口の中に広がる鉄の匂いが不快で、気持ち悪くて、それでいて。


「ジュダルが、」

あまり聞きたくもないその人の名を、紅覇さまは小さくつぶやく。

「ジュダルが、お前のこと、バカにしてた」

弱々しく吐いた言葉とは裏腹に、たて続けにわたしの顎を蹴る。
バランスを崩して横になったわたしのお腹に、さらに数回、力任せな蹴りを入れる。
息さえも、ろくにできないで。痛みに耐えるしかないわたしは、紅覇さまのお顔をじっと見つめていた。
怒りが滲んだ瞳からぽろぽろと溢れていたのは、どんな感情からくる涙なのだろうか。一体、あのジュダルという黒い影は、紅覇さまに何を言ったのだろうか。
鈍く骨に響く痛みを忘れたくて、一生懸命に紅覇さまのことを考えた。


「こうはさま?」

「僕には、僕が…。何をしてもお前、怒らないんだよねぇ…」

「おこ、る?」

さみしげな声でおうむ返しに怒る、と口にした紅覇さまはそれきり暴力を止めた。
すとん、と床に崩れ落ちて口から血をながるわたしを濡れた瞳でじっと見つめていた。

その感情の意味なんて、わたしにわかるわけない。

「紅覇さまに、おこるなんて、ありえませんよ」

ねっとりとした息とともに言葉を絞り出して、微笑んでみた。
紅覇さまは、うれしそうなさびしそうな、悲しそうな、そんな顔をしてただじっとわたしの顔をみつめていたのだった。