暑さは日に日に薄くなってゆく。
空に浮かんだ青色がゆっくりと西へと流れて行く。
禁城の窓から見える景色に夏の背中を重ねながら、見下ろした視線の先には美しい桃色の、絹のように滑らかな髪の毛が一際美しく輝いていた。
こぼれ落ちる汗が、太陽となってきらきらきらきら。身の丈に合わない大剣を右に左に振り回しては、空気を切り裂く小さな体の主は紅覇さま。

いつまでみていても飽きないその姿を、死ぬまで眺めていたいけれど、そんなことをしたならばわたしは今すぐ首と体が"さよおなら"してしまうだろう。
名残惜しく視線をそらすと、ちょうどすぐそこにわたしの目的の場所、書庫の大きく構えられた古めかしい扉がすぐそこに見えた。

【第十六夜 沈む蝶々の憂鬱】


中にはいると、右手奥の本棚に歩を向けた。紅覇さまから数冊、ジンについての文献を用意しろと預けられている。
視線を流せば、頭の上の方にお目当ての本があった。からりと乾いた埃っぽい空間で、どうにか本が取れないものか右往左往しているところで、一つ声がした。

「どの本がほしいんだ?」

あの本を、と言いかけて口を噤む。懐から紙と筆を取り出して振り向いたその先にいたのは、赤髪でおかしな髭を生やした男の人。確か、紅覇様のお兄様、紅炎様だ。

「…こんな紙でやり取りしてるのか。紅覇はここにはいない。口で話せ」

「あっ…も、申し訳ございません」

取り上げられたわたしのコミュニケーションの全て。紙と筆は紅炎様の大きな手にすっぽりとハマって、取りかえすだなんて恐れ多いことはわたしにはできない。

「一番上にある黒い本が欲しいのです」

「これか」

ゆっくりとした仰々しい動作だった。たったひとつのことをしているだけなのに、そこだけが切り取られて確立した世界を持っているかのよう。
紅覇様が持つものとはまた違った、人を魅せるその姿にみほれていると、例の本がわたしの前へと差し出された。

「紅覇の使いなのか?」

「はい。紅覇様の鍛錬が終わるまでに用意しておこうと思いまして」

ぼそぼそと口の中で言葉を作る。ここは、ひとつ咳をしただけで部屋の隅っこから隅っこまで響き渡ってしまうくらい静かだった。

話すこともなく、礼をして紅炎様の元から立ち去ろうとした時だった。肩におかれた手が、わたしの歩を止めた。

「お前は、なにを考えているんだ?」

「え?」

振り向いた先の視線は、深い赤に沈んでいた。真意の読み取れない暗い色した瞳に、わたしだけを映している。なにを考えているか。紅炎様は、何を。

「私は、紅覇様の為に……生きていたいと考えています」

「…そうか。すまなかった。またいつか、ゆっくりと話をしよう」


紅炎様の背中が遠ざかる。どくどくと響く心臓の音に、胸の中に渦巻く不安の色が溶け出した気がした。