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 火照った体でのれんをくぐる。久しぶりの温泉に浮かれ、つい長湯をしてしまった。彼はもう部屋へ戻ってしまっただろうか。あたりを見回すと、長椅子に腰掛ける彼を見つけた。
 浴衣姿があまりにも様になっている。遠くを見つめる視線が憂いを帯び、そこだけ世界が違っているような――ただぼうっとしているだけだろうけど。いつもと違う彼に目を奪われその場で立ち尽くしていると、彼がこちらに気がついた。振り向いただけで、ドキっとする。彼が立ち上がったので、慌てて私も彼の元へ向かった。
「ごめん、お待たせ」
 匡貴は「いや」と呟き、じっとこちらを見たかと思えば「行くぞ」と私の背中をぽんと押す。
 付き合って一年。忙しい彼には難しいかもしれないと思いながら「記念に旅行に行きたい」と言ってみたところ、意外にあっさりと受け入れられた。いつもはデートでもあまり遠くへ行かないから、今日は朝から浮かれっぱなしだ。大浴場から離れ、エレベーターに乗る。扉が閉まると同時に、そっと彼の腕に手を回した。いつもは外で腕を組むことはそうないけれど、今日くらいはいいよね。
「……おい」
 なんて思いもむなしく、制止の声がかかる。「え〜今だけ!」そう言うとひとつため息をついたけれど、特に何も言わなかった。人に見られるのが嫌なだけで、これ自体は匡貴だっていやじゃないもんね。思わず顔がにやける。早く部屋に行って思い切り抱きしめたい。ぎゅっと手に力を入れると同時に、エレベーターの上昇がゆっくりになる。間もなく止まったので腕を離した。本当に一瞬だったな。扉が開いたそこには誰もいなくて、手を離したことを後悔する。惜しいことをした。先を行く大きな背中にうずうずしながら、エレベーターをあとにする。
 部屋に入り鍵がかかったのを確認すると、すぐに後ろから抱き着いた。勢いよく飛びついてしまったせいか、また「おい、」と言われたけれど、気にせず背中に顔を押し付けてぎゅうぎゅう抱きしめる。もう少しこのままでいさせて。
「なまえ」
 呼ばれたのでしぶしぶ腕の力を緩めると、匡貴の体がこちらを向いた。顔を覗き込むとキスされる。唇はすぐに離れ、今度は正面から抱きしめられた。もしかして匡貴もこうしたかったのかな、と思うとにやけてしまう。都合よく考えすぎだろうか。
 まだ湯冷めしていない体は温かくて、さらさらとした浴衣の感触が気持ちいい。大きく息を吸うと、いつもとは違う匡貴の匂い。備え付けのボディーソープかな。とにかく旅行に来たって感じがする! さっきからテンションが上がりっぱなしだ。変態か私は。
「いつもと違う匂いがする」
 言ってから、しまったと思い「あ、臭いとかじゃなくて」と顔を上げ、慌てて付け足す。匡貴が背中を屈めるのがわかったのでキスされるかと思いきや、彼の唇は私には向かわず首元へ。すん、と短く息を吸うのがわかった。
「……そうだな」
 呟くような声が聞こえて、首に唇が触れる感触。予想していない行動に思わずびくっと体が反応した。それに気を良くしたのかもう一度首、耳の後ろと唇が触れていく。
「っあ、待って……」
 なんて言ったところで待ってくれるはずもなく。腰を支えていた手はお尻へ向かっている。どきどきぞくぞく、予想外に盛り上がってしまってたまらないけれど、今はもう少し我慢してもらわなければ。
「まさたか」腕をぺちぺちと力なく叩くと、動きが止まり不満そうな声が聞こえた。
「……なんだ」
「っごはん、行かないと」
 時計を見た匡貴は「そうだな」とあっさり手を離す。夕食まであと5分を切っていた。「ご、ごめんね」なんだか気まずい。匡貴はバツが悪そうな顔をして「いや」と視線を遮るように手で私の目を覆う。あれ以上してたらやばかった。多分、彼も同じだろう。
 お互いどこか恥ずかしさを誤魔化すように素早く荷物を整理して、夕食の会場へ向かう。もちろん時間は間に合った。

 食事を終え部屋に戻ると、見るからにふかふかな布団が横並びで敷かれていた。どきっとしたけど、今はお腹いっぱいでそれどころではない。
「苦しい……」
「無理して食うからだ」
「もったいないじゃん! 全部おいしかったし」
 テレビをつけて広縁の椅子に腰かける。匡貴が水が入ったコップを私の前に置き、向かいに座った。
「ありがとう」
 温泉とお酒で熱くなった体に、冷たい水が気持ちいい。
「あのお酒、おいしかったよね」
「ああ」
「売店に売ってるかな? また飲みたい」
「朝食の時にでも見に行くか」
「そうする」
 帰ってから、また匡貴と飲みたいな。
 それからお土産の話や明日の予定の話をしたり、浴衣姿の匡貴を写真に収めたりしていたら時間はすぐに過ぎていった。お腹も落ち着いて、いつもより早く眠気がやってくる。今日いっぱい歩いたからかも。しかし、まだ寝るわけにはいかない。
「ねえ」
「なんだ」
「お風呂入ろうよ」
 部屋の。
「……大丈夫なのか」
「えっどういう意味で?」
 匡貴がはあ、と息をつく。「苦しいんじゃなかったのか。それに酒も飲んだだろ」
「全然大丈夫!」
 せっかく露天風呂付きの部屋を取ったのだ。もちろん入るでしょ。そのためにお酒も控えめにしたし。というか部屋を予約してくれたのは匡貴だし、絶対そのつもりだったよね?「匡貴がしんどくないなら入ろうよ」「……わかった」ほらね!

 目の前には、檜の浴槽に浸かる匡貴の大きな背中。……どきどきしてきた。付き合って一年、一緒にお風呂に入るのは初めてだったりする。お互いの体なんてもう何度も見ているけど、そういう時とはまた違うから。緊張しながらそっと足をお湯につけると、思ったより底が深くて思わず「うわっ」と声が出た。
「おい、気を付けろ」
「待って! 今こっち見ないで!」
 咄嗟に匡貴の視線を隠そうと顔に手をかざすと、ぺちっとぶつかる感覚。焦って勢いのままもう片方の足もばしゃっと音を立てて突っ込み、慌ててお湯に体を沈めた。
「ご、ごめんなさい」
「……気を付けろと言っただろ」
 そう言って、顔にかかったお湯を手で拭う。
「はい……」
 恥ずかしい。こんなところでやらかしてしまうとは。体を見られた方がましだった。いや、体も見られてしまったのでは? もう一度「ごめんね」と言うと「怪我はないか」と返される。
「大丈夫です」
「ならいい」
 匡貴は疲れた、と言わんばかりに息を吐き、両肘を浴槽の縁にのせて後ろにもたれかかる。濡れた肌と、少し上を向いた首元があまりにも色気を放っていて、思わず目が釘付けになる。まさに水も滴るいい男……!
「なんだ」こちらに向いてドキっとする。視線を送っていたのがばれた。
「かっこよくて見惚れてた」
「……向こうを見てみろ」
 言われたまま匡貴が顎で指した方を見上げると、暗闇の中にきらめく星たち。「わ……きれい」プラネタリウムみたいにたくさん見えるわけではないけれど、いろんな光の強さの星がそこかしこに散らばってとてもきれいだ。
「……ありがとう」お湯の中で匡貴の腕を捕まえて、体を寄せる。
「何がだ」
「今日、一緒に来てくれて。すっごく楽しい」
 顔を向けると、私のへらりと力の抜けた顔に釣られたのか、匡貴も力みが取れたように微笑む。こんな表情を見られるのは、きっとこの世で私だけではないか。
「そうか」
 頬に濡れた指が添えられる。その手が、顔が、すごく優しくて、心の底から私のことが大切だと言っているようでたまらなくなる。
「匡貴は? 今日楽しかった?」
「……そうだな」
 頬に触れた指が顎の方へと滑っていく。真っ直ぐ私を見つめる視線に胸を熱くしながら、目を閉じた。
「……幸せすぎて明日死ぬかも」
「馬鹿なことを言うな」
 至近距離で見つめ合って、今度は深いキスが始まる。夜はまだまだこれから。




20230611