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 ずいぶん前にラミネートされたであろう、ぺらぺらのメニューを覗き込む。たくさんあって迷っちゃうな。
「決まった?」
 机を挟んだ向かいに座る諏訪に声をかけると「おう」と即答された。
「うわ、待って」
 慌ててメニューを自分の方へ引き寄せる。青椒肉絲、回鍋肉、麻婆豆腐……ラーメンもいいな。お腹空いたから定食にしよう。中華に来たからには餃子も食べたい。一生決められないやつじゃん。でもお腹空いたし、早く注文したい。
「……決まった」
「ん。すんませーん」
 諏訪がお店の人を呼ぶ。人の良さそうなお母さんみたいな人が来てくれて私は回鍋肉定食、諏訪はラーメンを注文する。
「あと餃子2人前と、瓶ビール」
「えっいいな」
 私も飲みたい! と続けて口に出す前に諏訪が「グラス2個ください」と伝える。流石。はーい、とお母さんは明るく返事をして奥へ戻っていった。
「餃子もちょっと分けて」
「言うと思った」
 やれやれ、とでも言いたげな顔をしながらメニューを机の端に立てる。この"わかってますよ"感がなんだかとても嬉しくて、にやけそうになるのを水を飲んでごまかす。
「それにしても、こんなとこに店なんてあったんだな」
「ね! たまたま見つけたの」
 先週の学校帰り、たまには違う道を通ってみようと遠回りをしたときに見つけた。私の家から徒歩10分くらいの住宅地の中に、ぽつんと佇む小さなお店。入口のテントは店名が見えにくくなるくらい色あせていて、壁もなかなかに汚れている。こういう年季が入ったお店はすごくおいしそうな雰囲気があってとても好きなんだけど、なかなかひとりでは入りにくい。だから今度諏訪と会うときに絶対来ようと思っていたのだ。
「はいお先にビールね〜」
 お母さんが瓶ビールとグラスを持ってやって来た。諏訪が瓶を持つので、冷えたグラスを持って構える。銀色のラベルが少しずつ傾き、ビールが小さなグラスに注がれていく。おいしそう……早く飲みたい! 私も諏訪に注いであげて、ふたりで小さく乾杯する。
「お疲れ〜」
 キンと冷えた刺激の後に、鋭い苦味がやってくる。くう〜これこれ! 飲み込むとすっきりした後味。思わず息が漏れる。と、遅れて諏訪も息を吐いたので笑ってしまった。
「おっさんじゃん」
「うるせー。お前も似たようなもんだろ」
「労働のあとは格別だよね」
 私はバイト、諏訪はボーダー任務のあとだから一層おいしく感じる。今日もお互い頑張ったよね。「今日さあ、」バイト先で起きたトラブルを思い出した。諏訪の適当な相槌がちょうどよくて、どうでもいいことをたくさん話してしまう。聞いてなさそうでちゃんと聞いていてくれるところも好きだ。
「はいお待ちどおさま〜」
 話し始めてまもなく餃子がやってきた。皿が置かれると食欲を刺激するにおいが鼻を掠める。きれいな焼け目がついてとてもおいしそうだ。話の途中だけどそんなことはどうでもよくなって、テーブルに用意されている割り箸と醤油皿を諏訪に渡して自分も箸を割る。
「いただきます!」
 勢いよく齧り付くと、想像以上に熱くて思わず「あつ!」と声を出してしまう。いつも待てなくて口をやけどしてしまうのだけど、いい加減なんとかならないだろうか。息を吸ったり吐いたりして口の中の温度を調節しながら咀嚼すると、少しずつお肉と野菜の甘みが滲み出てくるように感じられる。……おいしい! 飲み込んで、再びビールに手を伸ばした。
「最高……」
「餃子うめーな」
「ね!」
 これはこの後の定食も期待できる。楽しみだな。


 お腹いっぱいで良い気分のまま店を出て、誰もいない住宅街をふたりで歩く。近頃は陽が落ちてもあまり冷えなくなって過ごしやすい。もうすっかり春だな。上着もそろそろいらなくなりそうだ。
「あの店、大正解だったね」
 私の勘は大当たりだった。その後の回鍋肉もとてもおいしかったし、諏訪はラーメンの後さらに炒飯も頼んでいた。少し分けてもらったけど炒飯もまた間違いないおいしさで、なんで今まであのお店に気付かなかったのかと後悔した。
「食い過ぎた……」
「おいしかったから仕方ない。また行こうよ」
「おう」
 あのお店はきっと私たちの行きつけ決定だ。メニューもいろいろあったから、食べたいものがたくさんある。次行くのが楽しみだ。
「お腹いっぱいで幸せ」
 隣を歩く諏訪の手を握る。ひとりで食べるご飯も幸せだけど、一緒においしいと言ってくれる諏訪がいるから、きっと何倍も幸せな気持ちになれるんだと思う。ただ一緒にご飯を食べるだけの日常が、特別で、大切な思い出になっていく。これってすごいことなんじゃない?
「……ねえ」
「なんだよ」
「キスしようよ」
 ぴたりと足を止めた諏訪が、何か言いたそうな目でこちらを見る。
「あっ、でも今口臭いかも」
 やめとく? と言おうとしたら諏訪の顔が近付いて、唇が押しつけられた。
「関係ねーよ」
 呟いて、再び口を塞ぐ。軽いキスのつもりだったのに、頭に手を回され予想外に深くなっていく。嬉しいけど、やめられなくなってしまいそうだ。繋いだままになっていた手をぎゅっと握ると諏訪がぴくりと反応し、ゆっくりと唇が離れた。
「……おいしいね」
「アホか」
 私の視線を遮るようにぽんとおでこに手を置き、ふいっと向こうを向いて歩き始める。手を引かれて、つられて私も足を進める。照れちゃって、かわいいやつめ。帰ったらもっといっぱいしてあげよーっと!



20230321