カーテンを開けると、すぐに日差しが入ってきて目を細める。もうすっかり日が昇っている。三限の講義に出なければ。再び眠りにつこうとする頭をなんとか起こして、ベッドを降りた。 ぼうっと目を閉じたまま歯を磨く。今日、学校に誰かいるかな。ああ、諏訪がいるな。昨日「明日ちゃんと学校来いよ」とか言われた気がするから、任務はないってことだろう。あれ昨日……諏訪……? 歯ブラシを持つ手が止まる。そうだ、付き合うことになったんだ。 昨晩の記憶が再生される。どうしよう、恥ずかしい。どんな顔して会えばいいんだろう。酔っていたとはいえ、展開が急すぎた。諏訪も結構飲んでいたはずだし、後悔しているかもしれない。いや、そもそも覚えているのだろうか。 諏訪は基本的にお酒を飲んで記憶をなくすことはないから、完全に忘れてるってことはないはず。帰る時もちゃんとまっすぐ歩いてたし。今日会ったら一応覚えているかどうか確認して、後悔してそうだったらなかったことにしよう。今ならまだ戻れる。大丈夫。自分に言い聞かせて、再び手を動かした。 大教室のいつもの場所に陣取って、辺りを見回す。諏訪はまだ来ていないようだ。……なんだか緊張してきた。昨日から緊張の連続で胃がおかしくなるかもしれない。今日来なかったらどうしよう。こんな変な感じで時間を置くのはちょっと嫌だな。次会った時、どんなテンションで話せばいいのかわからない。諏訪はちゃんと学校に来る方だからボーダーの用事とかでない限りは来ると思うんだけど。とにかく落ち着かないから早く授業を始めてほしい。 手持ち無沙汰になり、机に突っ伏して授業が始まるのを待っていると、ドカッと椅子が揺れた。 「……おはよ」 「おう」 昨日恋人になったばかりの男が隣に座っていた。 「昨日、ちゃんと帰れた?」 何を話せばいいかわからなくて、わかりきった問いを投げかける。案の定「あたりめーだろ」という返事。そりゃそうだ、結構飲んでいたと言ってもいつもよりちょっと多いかな、ぐらいだったから。他に何か言うこと……いつも何話してたっけ。考えても全然出てこない。 「……昨日の記憶、ある?」 用意していた質問を口に出した。反応を窺おうと思っていたのに、諏訪を見ることができない。 「ある」 「……」 「お前こそちゃんと覚えてんだろーな」 覚えてる、と言おうと息を吸った瞬間チャイムが鳴り、口を噤む。音が終わるとすぐに教授が話し始めて、何も言えなくなってしまった。 やっぱり諏訪も覚えていた。昨日のことをどう思っているかはわからないけれど、忘れられていなくてよかったと思った。私も覚えてる、とルーズリーフに書いて見せようかと考えたけれど、恥ずかしくてやめた。そのあとどうしていいかもわからないし。授業が終わったら直接話そう。心に決めて、教授の話に耳を傾けた。 「みょうじ」 はっとして目を覚ますと、諏訪が手元の出席票を指さしていた。 周りがざわざわと騒がしい。もしかして、ずっと寝てしまっていたのだろうか。早く書けと言われるがまま、急いで学籍番号と名前を記入する。せっかくICカードで出欠が取れるというのに、この教授は手書きの出席票を使う。ICカードだと、入口で読み込ませてそのまま立ち去る人がいるからだ。私も別の授業でたまにやる。真っ白なままのルーズリーフを片付けていると、チャイムが鳴った。 「寝てた……」 「速攻だったな」 「まだ眠い」 「帰って寝ろ」 今日はバイトだからまだ眠れないんだよなあ。一旦帰って寝ようかな……って違う。話をしなければいけないのだ。諏訪があまりにもいつも通りだから普通に帰ろうとしてしまった。 「諏訪、ちょっと話そう」 慌てて呼び止めると面食らったような顔をして、すぐに元に戻った。 「お前、飯食った?」 「え、ううん」 「食堂行くか」 頷いて席を立つ。この状況でご飯なんか食べられるだろうか。一瞬思ったけれど、食堂のメニューのことを考えるとすぐにお腹が鳴った。単純な体だ。 お昼を過ぎた後の食堂は閑散としていて、私たち以外には数えるほどしか人がいない。 「いただきます」 二人揃ってすぐに食べ始める。どうやって切り出せばいいんだろう。また緊張がやってくる。昨日から心臓が過剰に働きすぎだ。 「昨日のことだろ」向かいで蕎麦を咀嚼していた諏訪が言った。 「え?」 「話」 「え、ああうん」心の準備が整わないまま話を振られ、動揺してしまう。まさか諏訪から言われると思わなかった。 「ど、どうする?」 「どうするって」 「本当に、付き合う?」 ちらりとこちらに視線を寄越し、麺をすくい上げる。 「……お前はどうなんだよ」 ズズッと小気味良い音が閑散とした食堂に響いた。 「諏訪が、いいなら……?」 「ならいいんじゃねえの」 投げやりというか、適当というか……諏訪は本当にこれでいいのだろうか。本人が良いと言っているから問題はないと思うが、いまいち諏訪の考えていることがわからない。 「付き合うっつっても、別に今までと変わんねえだろ」 ふたりで飲んだり、映画を観に行ったり、こうして食堂でだらだらしたり。言われてみれば、確かに。というかこの関係を続けたくて付き合おうと言ったのだから、当然か。 「じゃあ……よろしくお願いします」 「おう」 じわっと胸のあたりがあたたかくなって、顔がゆるむ。昨日はただの思い付きだったけれど、なんだかしっくりくるというか、嬉しいな。思わずへへ、と変な笑いがもれた。 「なんだよ」 「よかったな〜と思って」 「……麺伸びるぞ」 はーい、と間延びした声を返す。改めていただきますをして、少し冷めてしまったうどんに手をつけた。思い切りすすれるから、これくらいの方がいいかもしれない。 とにかく、これで諏訪とこれからも今の関係を続けていける。私の大学生活、もう安泰じゃないか? 20210506 |