「また会いましたね」 「偶然です」 「運命ですね」 目の前のまだ名前も知らない、前髪をきっちり7対3に分けた男の人は、何を言っても無駄だと観念したように大きく息を吐いた。有休って最高だな。この人にまた会えたんだから。平日の昼間じゃなかったら、会えなかったかもしれない。 「約束、覚えてますか?」 「約束なんてした覚えはありません」 「したんですよ」 「気のせいでは?」気のせいな訳がない。 先月のこと。仕事帰りに立ち寄った店で酔っ払いに絡まれ、困っているところをこの人に助けてもらった。その姿があまりにもかっこよくて、思わず「連絡先教えてください」と言ったところ、断固拒否された。それでも諦められなくて「じゃあ次! 次また会ったら、私とお茶してください!」とお店でわめいたところ、「わかりましたから黙ってください」と彼は言った。言わせた。多少お酒は入っていたが、私の記憶に間違いはないはずだ。私はお酒で記憶をなくしたことはないし、何よりこんなに鮮明な記憶が残っている。 彼は絶対に覚えている。覚えている人の反応だ。 「今日はお仕事は?」 「……終わりました」 「じゃあ、良いですよね」 返事の代わりに、また、ため息をつく。心底面倒くさそうな彼とは反対に、私は満面の笑みを浮かべる。 スーツを綺麗に着こなす彼は、ケーキを食べる所作もまた、美しかった。 「七海さんは、おいくつなんですか?」 名前は、今さっき知った。下の名前は教えてもらえなかった。"ななみ"という名前も、嘘なのかもしれない。 「……27です」 「えっ同い年」運命ですね、と言うと「27歳の人間なんてその辺に幾らでもいます」と一蹴される。 「お仕事は?」 「教える必要はありません」 「そこをなんとか」 「……以前は証券会社に勤めていました」 「今は?」 「教える必要はありません」 「……危ないお仕事だったり?」人に言えない仕事といえば、で頭に浮かんだことを冗談のつもりで口にすると、一瞬ためらい「……そんなところです」と返ってきた。 「ですから、もう私には関わらない方が」 最後に残したショートケーキの苺をフォークで刺しながら、やんわりとお断りされる。危ない仕事というのは十中八九嘘だろう。「あなたに脈はありません」とか「迷惑です」とか、はっきり言えばいいのに。そもそも私が勝手に言った約束なんて無視して行ってしまえばよかったのに。七海さんはきっと、優しい人なんだろうな。こんなの、ますます気になっちゃうよ。 「いやです」 せっかくまた会えたのに、諦めるなんて嫌だ。この人だって、思った。七海さんのこと、たくさん知りたいのに。続ける言葉が見つからなくて黙ってしまう。 「貴方は?」 「え?」 「あなたの職業」 カップを持ち上げる。ただ紅茶を飲んでいるだけなのに、何故こうも様になるのだろう。 「会社員です。普通の」 「今日はお仕事は?」 「有休取りました」 「そうですか」「……気になりますか?」私のこと。「いえ」そうですか。 気が付いたら、足が勝手に向かっていた。 たまに訪れる喫茶店で見かける女性。携帯の画面を眺めて顔を顰めたり、手で口を覆って笑いを堪えたりと、感情豊かな人だと思った。こちらが見ていることに一切気付かない程夢中になって、その画面には一体何が映っているのだろうと考えたこともあった。 酔っ払いは私を見て「なんだこのリーマン」と突っかかって来たが、飛んできた拳を避けるとすんなり引いていった。自分もそのまま立ち去ろうとすると「連絡先教えてください!」周囲の視線を集めた。真っ赤な顔をした彼女が立っていた。彼女のあんな顔は、初めて見た。 恋愛は良くも悪くも、様々な感情を生む。呪術師が呪いを生むことはなくても、相手が負の感情を抱くことは目に見えている。「愛ほど歪んだ呪いはない」先輩の言葉を思い出した。そもそも、私達呪術師に恋愛している暇などあるはずかない。 携帯が着信を知らせる。画面を見ると、たった今頭に浮かべた相手。用件は大体想像がつく。 「すみませんが、急用ができました」 残りの紅茶を流し込み、会計の伝票を持って立ち上がる。 「また、会ってくれますか?」 答えられない。"嫌です""会いたくありません"と、言うべきなのに。 「連絡先教えてください」 「教えられません」 「じゃあ、またどこかで会ったら、教えてください」 教えられない。それに、どうせもう会うことはない。あのカフェももう行くことはないだろう。 「また、」 「とにかく、私は行きます」 言葉を遮り、レジへ向かう。 「また! 今度!!」 またあの騒々しい声が店内に響く。声の方を向くと、満面の笑みでこちらに手を振っていた。 すぐに会計を済ませ、店を出る。鳴りっぱなしの携帯に応答すると、「やっほ〜元気?」また別の騒々しい声が聞こえてくる。 「何ですか」 「……なんか良いことでもあった?」 「ありません。それより用件は何ですか」 もう会わないのに。私達に"また"も"今度"も無い筈なのに、次会った時のことを考えている自分がいる。 確かにこれは、呪いかもしれない。 20201011 |