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 偶然だった。
 偶然デート中にバケツをひっくり返したような雨が降ってきて、偶然二人とも傘を持っていなくて、偶然雨宿りできそうな場所もなくて、そこは偶然生駒さんの家の近くで。

「俺んち、来る?」

 偶然、生駒さんの家にお邪魔することになった。



「ちょっと待ってて、風呂の準備してくるわ」
「いいですそんな」
「体温めな風邪ひくで」
「全然寒くな、」
「ええから」

「全然寒くないので大丈夫です、ありがとうございます」を言い切る前に生駒さんは家の中に入っていってしまった。ただ雨が落ち着くまで雨宿りさせてもらえればいいと思っていたので、なんだか気を使わせてしまって申し訳ない。
 全身ずぶ濡れ、服からぽたぽたと水滴を落としている状態で追いかける訳にもいかず立ち尽くしていると、すぐに部屋着に着替えた生駒さんが戻ってきた。

「上がって、風呂そこやし」
「えっあの、」
「ええから」

 二度目の「ええから」に押され、軽く服を絞ってから家に上がる。生駒さんの一人暮らしの家は入ってすぐにキッチンで、その向かいに脱衣所とお風呂があるという間取りだった。一人暮らしの誰かの家に入るのは初めてなのでよくわからないが、これが普通なのだろうか。とにかく部屋の中に水滴を落とすことにならなくてよかった。

「着替え、俺ので悪いけどこれ使ってな。今着てる服はこん中入れてスタート押せば乾くから」
「は、はい」
「風呂まだなんも溜まってへんけど、もうちょっとしたら溜まると思うし。あとドライヤーもそこあるから使ってな」

 早口で言うだけ言って生駒さんは脱衣所のドアを閉めて去ってしまった。これはもう、入るしかないのだろう。雨宿りだけと思ってはいたが、服が張り付いて気持ち悪かったのでありがたくお風呂を借りることにした。


「お風呂ありがとうございました」
「……」

  部屋にいる生駒さんに声をかけると、こちらを振り向いた生駒さんは時が止まったように固まった。

「生駒さん……?」
「あ、ああ、うん。俺も入ってくるわ。」

 すきにくつろいでな、と言い残してそそくさと部屋を出ていった。やっぱり生駒さんも早くお風呂入りたかったよね……家主より先にさっぱりしてしまって申し訳ない。けれど、私を優先してくれる優しさはとても嬉しかった。
 生駒さんが去った後の部屋にひとり。部屋を見回すと、あたりまえだが自分の部屋とは全然違って、男の人の部屋だなあ、と漠然と思う。お風呂にあったいかにも男性用のシャンプーや洗顔も、今借りている部屋着のスエットだってそうだ。ここは生駒さんの、男の人の家なのだ。今更意識すると同時に、いつか友人に言われたことを思い出した。

"まだしてないの?"

 その時はキスもしていなかったし(信じられないと言われたが)、そんなのはまだまだ先の話だと思っていた。けれど今はもう、初めてキスをしてから三ヶ月は経っている。もしかして、もうそういうことをしてもおかしくない時期に入っているのだろうか。もしかして、今がその時、なのだろうか。私が、生駒さんと? キスの先を想像して体が一気に熱くなる。…………いやいやいやいや話が急すぎる。生駒さんの気持ちだってあるというのに痴女か私は。早とちりして恥ずかしい思いをするのだけは嫌だ。「その時」が来たら考えればいいのだ。なんとか自分を落ち着けて、生駒さんがつけてそのままになっていたテレビに意識を向けた。

 私の恥ずかしい妄想が落ち着いてしばらくすると、生駒さんがお風呂から出てきた。私との間を少し開けた隣にどかっと座る。

「寒ない?」
「大丈夫です」
「ごめんな、うちソファとか無くて」
「全然大丈夫です、ありがとうございます」

 二人でベッドを背もたれにして、フローリングの床に座る。ローテーブルの向こうにあるテレビの中とは反対に、こちらは雨の強く打ちつける音だけが響いていた。

「全然雨やまへんな」
「そうですね……」

 雨がやんだら、すぐにここから出なければならないだろうか。もう少し二人きりでいたいと思うのは、私だけだろうか。
 生駒さんとの距離がもどかしい。せっかく誰も見ていないのに。普段は恥ずかしくて人がいるところでは手を繋いだり、生駒さんに触れることはない。こんなに近くにいるのに触れられないなんて。
 何も触れていないのに、体の右側が熱い。もっと、近付いても良いだろうか。手を伸ばせば届く距離。ちらり、生駒さんを盗み見ると、その視線はテレビへ向いている。

「……!」
「いや、ですか?」

 距離を詰め、体をぴたりとくっつけると、生駒さんが微かに強張ったように感じた。嫌だと言わないでほしいと期待を込めて伺いをたてる。

「っ、嫌な訳ない」

 言いながら私の手を絡めてぎゅっと握る。欲しかった言葉をくれたことが嬉しくて、体重をかけすぎない程度にもたれかかる。くっついたところからじわじわと生駒さんの温もりが伝わって、胸がいっぱいになっていく。

「ふふ」
「……俺、なんかおもろいこと言うた?」
「幸せだなって」

 生駒さんといると自分が自分じゃないみたいにふわふわした気持ちになって、脳内お花畑かと自分でも思うけれど、そんな自分が嫌じゃない。恋ってすごい。生駒さんならそんな私も受け入れてくれるんじゃないかって気になってしまう。すごいのは恋じゃなくて、生駒さんなのかもしれない。
 へらへら緩みっぱなしの顔で「へへ」とか「ふふ」とかよくわからない笑い方をしていると、生駒さんが「可愛いすぎんねん……」と両手で自分の顔を覆った。この「可愛い」だってそうだ。鏡を見ても自分が可愛いなんて全く思えないし、人に言われたってお世辞にしか聞こえない。でも生駒さんが言うと私って可愛いんじゃないかって気になってしまう。生駒さんはすごい。
 なんとなく視線をテレビから生駒さんの方へ移すと目が合った。自然と、どちらからともなく唇を合わせる。些細なことかもしれないけど、気持ちが通じ合ったみたいで嬉しい。重なっていたそれが離れて、見つめ合う。そしてまたキス。鼓動が早くなっていくのがわかる。緊張するのに安心して、苦しいのに、ずっとこうしていたい。言葉の代わりに生駒さんの服を掴むと、強い力で抱き寄せられた。
 ぴったりと体をくっつけて、キスを続ける。触れて、離れて、また触れたとき、何かがぬるりと口の中に入ってきて、それが舌だとすぐに理解した。初めてのことに思わず体が強張る。

「……んぅ、」

 生駒さんの舌が私のそれに絡まり、引っ張られる。初めて味わう、なんともいえない感覚。だけど嫌じゃない。舌を合わせるほど、生駒さんと混ざり合っているみたいだ。もっとほしくなって、服を掴んでいた手を生駒さんの体に回した。
 一度始まると止まらなくなって、口ごと食べられてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいに、荒々しいものになっていく。

「んっ……はあ、」

 どれだけ経ったかわからない。唇が離れ、抱き合ったまま至近距離で目が合う。見たことのない生駒さんの表情に胸がきゅう、と締めつけられる。もう一回……キス、したいな。口に出す勇気はないので、背中に回した手と視線でもう一度を求めた。

「っあかん」

 無言の主張もむなしく、もう一度どころか私の肩を掴んで体を離された。やっぱり目で訴えるだけでは伝わらなかったようだ。触れ合っていたところが急になくなり、寂しさがやってくる。

「生駒さん……?」
「あっ、いや、ちゃうねん。なまえちゃんがあかんとかやないねん、ほんまに」

 私から目を逸らし、急に「飲むもん取ってくるわ」と立ち上がろうとする。えっ、今? 良い感じじゃなかった?

「何がだめなんですか?」
「いやっ、ちゃうねん、」
「ごめんなさい。慣れてなくて……」

 もしかして何かおかしなことをしてしまっただろうか。それとも私とのキスがあまり良くなかった……とか? 経験がないからわからない。何が正解だったのだろう。生駒さんは「ほんまにちゃうねん」と言っているが、私に気を遣っているのではないか。

「私、何か変なことしたんじゃ……」
「何もしてへん! その……これ以上やったら、ほんまに我慢できひんから」
「我慢って……」
「これ以上のこと、したなるから」

 私から顔を背けているため表情はわからないが、耳が真っ赤になっている。これ以上って……もしかしてそういうこと、なのだろうか。意識した瞬間、急に恥ずかしくなって顔が一気に熱を帯びる。
 生駒さん、私とそういうことしたいって思ってくれたんだ。照れや恥ずかしさもあるが、自分を求めてくれていることが嬉しい。

「我慢、しなくていいです」
「いやそれは、」
「我慢……しないでください」

 生駒さんの言葉を遮り、首に手を回す。生駒さんが求めてくれるなら応えたいと思った。友人に言われてからいつかこうなるかもしれないとは思っていたし、こうなることを考えたことがなかった訳じゃない。行為自体全く怖くない訳ではないけれど、生駒さんとなら、きっと大丈夫。

「意味わかってる……?」
「っわたし、生駒さんならいいです」

 抱きしめる力を強める。お互いのくっついたところからまたじわじわと熱が上がって、溶けてしまいそうだ。

「ほんまに、ええの……?」
「はい」

 背中に生駒さんの大きな手が回る。ゆっくり体を離すと、またキスがやってきた。
「その時」が、始まる。



200922