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ピンポン、と短くチャイムが鳴った。
現在の時刻、午前2時。こんな時間に突然訪問してくるような知り合いは居ない。正確には一人だけ頭には浮かんでいるが、今ここにいるはずがなかった。イタズラか気のせいだと思って放っておくか迷っていると、もう一度短くピンポン、と鳴った。……誰かがいる。不気味に思いながらも玄関に向かった。不審者だったらすぐに通報してやる、とスマホを握りしめてドアの覗き穴から恐る恐る外を伺う。

「なんで、」

外にいる人物を確認すると、すぐに解鍵し玄関のドアを開けた。

「わり、寝てたか」
「……起きてた、けど」

今ここにいるはずのない男だった。
寒いから入れてくれや、と自分の家のように遠慮することなくズカズカ部屋に入っていく男を迎え入れ、再び施錠する。

「銃兎さんと理鶯さんと飲んでるのかと思った」

ソファで寛ぐ目の前の男、碧棺左馬刻は22時まで中王区にあるスタジオでラジオの生放送に出演していた。その番組内で「この後二人を誘って飲みに行きたい」と言っていたのを聴いていたので、本当に飲みに行ったのだと思っていた。ラジオで話していた「三人で朝まで飲み明かしてしまう」というのは本当で、早朝にアルコールと煙草の匂いを携えてやってくるのはよくあることだった。
この時間にやってくるということは、二人は捕まらなかったということだろうか。

「あー……飲んでたんだけどよ」
「?」
「いや、何でもねえ」

言うと左馬刻は窓を開けてベランダへ出た。煙草を吸うためだろう。自分の家や事務所では所構わず火をつける左馬刻も、恋人の家の中で煙草を吸うことは無く、必ずベランダに出て窓を閉めてから火をつける。
いつもは左馬刻が一服している時はなまえは部屋の中にいるが、どうしても先程途切れた言葉が気になって窓を開けた。

「さむっ」
「何してんだよ風邪引くぞ」

左馬刻の言葉を聞かずにベランダへ出てぴたりと身体を寄せる。左馬刻はため息をつくように煙を吐き、持っていた煙草を咥えて自分の上着を肩へかけてやった。

「臭いついても知らねえぞ」
「うん」

上着からは惜しみなく左馬刻の匂いが香り、安心感に包まれる。煙草の臭いはあまり好きでは無いが、左馬刻から漂う煙と香水が混ざったような匂いは好きだった。彼のものだと認識しているからだろう。違う人から同じ匂いがしてもきっと好きにはなれない。

「何で知ってんだよ、あいつらといたって」
「ラジオで言ってなかった?誘おうかなって」
「……聴いてたのかよ」
「そりゃ聴くよ。……良かったよ」
「ったりめーだろ俺様だぞ」

いつもの自信に溢れた返事に頬が緩む。と同時に、胸の奥がもやもやする。
先程の放送はとても良かったと思う。言葉は乱暴だがリスナーの悩みひとつひとつにしっかり応えていて、左馬刻の優しさや人の良さが滲み出ていた。パーソナリティの務めをきっちり果たしていたことは本当に良かったと思っているのだが、彼の良いところを全国民が知ってしまったのだと思うとどうも気が晴れない。ただの嫉妬である。
さらに左馬刻は言っていた。「リスナーの本当の名前を呼んでみたい」と。自分の名前に悩む彼女への素晴らしい返答だと思うし、自分が彼女の立場だったら前向きになれるだろうと思う。頭ではわかっているのだが、どうしようもなかった。もちろん本人には言えるはずもなく、自分で昇華するしかない。
左馬刻の恋人である自分が左馬刻の成功を素直に喜べないことが辛い。こうして自分のところへやってきた左馬刻に身を寄せている今でさえも、だ。

少しの沈黙が続き、左馬刻からチッと舌打ちする音が聞こえた。

「あー、その……なんだ」
「……」
「お前は……悩みとかねえのかよ」

悩み。唐突な問いにぽかんとする。

「どうしたの急に」
「……お前は何も言わねえからな」

遠くを見つめて煙草を咥える姿は美しく、どこか儚い。

「くだらねーことで悩んでんじゃねえかと思っただけだ」

左馬刻は放送後、恋人のことを思い出していた。一回の放送であれだけのメールが届くのだ。自分以外の人間は普段大小様々な悩みを抱えているということだろう。では、なまえは?普段自分に何か訴えてくることは無い。しかし、何か言いたいことがあるのではないかと。

「何もねえならいいけどよ。」

何かあったら言えよ、と再び煙草を口に運ぼうとする左馬刻腕が掴まれ、動きが止まった。代わりになまえの唇がやってくる。

「悩み、今吹っ飛んだ」
「……んだそれ」

あるのか無いのかどっちだよ。つーかそれ原因俺じゃねえのか。言葉の意味を追及したいところだが、なまえの表情を見るに「今は無い」ということで間違いないのだろう。

「へらへらしてんじゃねーよ」

なまえにつられまいと眉間に力を入れ、唇に齧り付く。先程喫煙を阻んだ手がまた力んだことに気付いた左馬刻は気を良くし、なまえもまた、左馬刻からのキスに心躍らせる。
一向に止まる気配のないそれは、二人の足りない言葉を補うように深くなっていった。


20191114