隠岐が遠くに行ってしまう。
いつものように一緒に下校して、ファミレスで長居して、いつものように私の家の前で「また明日」と言おうとした時だった。隠岐の口から出た地名は電車で数駅、隣の県なんてものではなくて、ただ呆然とする。
「な、んで」真っ白になった頭の中から、どうにか言葉を発した。
「ボーダー隊員、なるねん」
ボーダー。隠岐が言った言葉を、聞こえたまま口に出す。ボーダーってたまにCMで見る、あのボーダー?
「近界民と戦うねん」
テレビの中の生き物だと思っていた、あの怪物と戦う。隠岐が?
「スカウトされてん。才能あるらしいで、おれ」
私の反応を待たずに、どんどん言葉を繋げていく。才能って何、戦いの才能ってこと? 次々と疑問が生まれるが、混乱しているためかうまく言葉に出せない。
「……ほんまに言うてる?」
「ほんまやって」
隠岐が困ったように笑う。先程から一見穏やかな顔をしているけれど、少し眉が下がっている。軽い気持ちで言っているわけではないことはわかった。そしてボーダー隊員になるという話も、残念ながら冗談ではないらしい。
「……いつから」
「来週、土曜に新幹線で」
急すぎる。もう、決まってしまったことなのか。
「なんで、何も言ってくれへんかったん」
高校生の私に、何ができるわけでもない。それでも、言ってほしかった。ボーダーにスカウトされてんけど、どう思う? って。おれ、ボーダー入りたいねんって。
「言ったら行きたなくなるやん」
目の奥がじんと痛くなった。そんなの、ずるい。何も言えなくなってしまう。こみあげるものをなんとか堪えようとするけれど、決壊してしまいそうだ。
「もう、会えへんの?」
「会えるよ」
ちゃんと帰ってくるから、と私の頭を撫でる。その手がとても優しくて、堪えていた涙がぽろぽろと溢れ出てきた。
「別れへん?」
「別れへんよ」
「あっちにかわいい子いたらどうすんの?」
「みょうじのがかわいいでって言うた方がいい?」
「なんやねん……」
ははっと笑って、抱きしめられる。大好きなこの腕も、胸も、匂いも、あと少ししたらなくなってしまうのか。考えるほど胸が痛くて、また涙がこぼれる。ぎゅっと抱きしめ返すと、子供をあやすように頭に手が回った。
「おれが三門行ったら嫌いになる?」
「……ならへん」
「ほな泣くのやめ」
「泣いてへんわ」
「ほんまかあ?」
腕の力が抜かれ、顔を覗き込まれる。「めっちゃ泣いてるやん」しゃあないなあ、みたいな顔で笑って、キスをくれた。
隠岐が好きだ。この気持ちは離れていたって変わらない。きっと、隠岐も同じだと信じたい。会えなくて寂しくて、すれ違ったとしても、こうして抱き合ってキスしたら大丈夫なんじゃないかと思えてくる。
「……ライン、ちゃんと返してな」
「いつも返してるやん」
「電話も出てな」
「うん」
「私、会いにいってもいい?」
「来てくれるん? 嬉しい」
「隠岐」体を離して、隠岐の両手を取る。明日も学校だ。そろそろ帰らなければならない。
「もっかい、」
察した隠岐が、再び唇を寄せる。ああ、離したくない。