苗木こまると絶望信者
苗木こまる。私立希望ヶ峰学園第78期生、超高校級の希望、苗木誠の妹。彼女が閉じ込められてから、2週間が過ぎようとしていた。

こまるの一日は7時のアナウンスで始まる。モノクマアナウンスと呼ばれるそれは、こまるが監禁されている場所に流れているわけではない。壁の一面に設置された巨大なモニターから聞こえているのだ。映っているのはこまるにとって見覚えのない校舎内だが、映り込む人物は彼女の良く知る人物だ。

「お兄ちゃん……」

自分より年下に見える兄が暗い顔をしてシャワールームの扉を眺める姿を、こまるは叫び出したい気持ちを抑えて見ていた。数日前、苗木と同じ中学だった舞園さやかが死んだ。殺したのは桑田怜恩。こまるはトップアイドルグループのセンターとして歌って踊る、可愛くて綺麗な舞園のファンだったし、野球について興味はなかったが兄が楽しそうに桑田の話をしてきたこともある。兄を介していたとはいえ知り合いだった彼らが、友人という事実を忘れて被害者加害者の関係になってしまったのを知った時、こまるは意の中身をすべて吐き出した。とは言っても、監禁生活が始まってからのこまるはあまり食べ物を口にしていなかったので、出てきたのは胃液ばかりだったが。
モニターの画面が苗木の部屋から廊下に切り替わる。こまるの見ているモニターは苗木の行動を追い掛けて映すのだ。反対側に設置されている、こちらより小さなモニターには苗木のクラスメート達の姿も映し出されている。流れていくテロップが、BGMが、まるで不躾なドキュメンタリー番組のようだ。こまるはモニターを睨んで視線を床に落とした。
その時、背後で小さく「カチャッ」と音がした。鍵が外れたらしい。乱暴に扉が開くと、陰鬱とした空気にそぐわない明るい声が部屋に響いた。

「あれれれれ?もしかして泣いてます?健気な妹さんはあーんなクソ野郎の為に泣いちゃってやってるんですかー?」
「麗しの兄妹愛ってやつか。それとも禁断の兄妹愛?あまりにもチープ過ぎて俺も涙が出ちゃう!」
「まあ、どーでもいいんですけど。せっかく持って来てやったんだから、朝ごはん食べましょーよー!」
「おいしくてほっぺた落ちちゃう!かっこ、物理!なんてな!」
「ちょっとちょっとちょっとー、聞ーてますー?おいしーおいしーご飯ですよー?」

被り物をしたメイド姿の女と、同じく被り物をした執事姿の男。被っているのは度々モニター越しで見る憎いモノクマを模したものだ。どうやら朝食を持って来たらしい。しかしこまるは彼らに視線もやらず黙っている。
こまるが彼らと会話をしたのは閉じ込められてから6日目までだ。最初は閉じ込めた目的を訊ねたり、家に帰せと喚いたりしたしたものだが、返される言葉は一切要領を得ないものだった。度々口にするのは才能を持つ者への憎悪と、「あの方」の素晴らしさ。愛情と崇拝をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような妄執をこまるに見せつけながら、彼らは希望ヶ峰学園に携わる全てへ呪詛を紡いだ。モニターにこまるの兄をはじめとする78期生達の姿が映るようになってからはそれも一入だった。彼らとの会話が成立しないとわかってから、こまるは早々に生来持つ社交性を心の深い内に封じた。イエス、ノーといった最低限の意思表示さえ拒み、どれだけ飢えても自分から食事を取ることはしない。
そんなこまるに、世話役を任されたモノクマメイドとモノクマ執事が腹を立てるのは当然と言えば当然だ。何しろ彼らには常識というものが通用しないのだから。

「あああああもうッ!!だんまりしてんじゃねーよ!!毎日毎日アンタみたいなクソ女のエサ持って来てやってる私の身にもなれっての!!」
「マジで何様のつもりだよ!?兄貴が本科生だからってチョーシ乗ってんじゃねえぞ!!」

顔を伏せたまま何も喋らないこまるに痺れを切らした2人は大声を上げ、こまるにと持たされていた食事をトレイごと床に叩きつけた。衝撃で割れた食器の破片がこまるの足元にまで飛んでくる。いつの間にかこまると2人の間は詰められていたらしい。執事は無惨な姿になった食事を踏みつける傍ら、メイドがこまるの髪を掴んで無理矢理顔を上げさせる。

「ッ……」
「むっかつくんだよお!ただの幸運のクセに、ただ抽選で選ばれただけのクセにえらっそーにしてさぁ!!」
「才能ないのに何でそっちにいんだよ!?ふざけんな!!俺だって……俺の方が!!希望ヶ峰学園に憧れてたのにッ!!!」
「離し……ッ痛!」

喚き散らすメイドの手がこまるの頬を張り飛ばした。同調するように執事もこまるの鳩尾に拳を入れる。こまるの口から僅かに胃液が漏れた。耐え切れずに蹲る小さな背中を蹴り、頭を踏みつける2人は苛立たしげに地団太を踏む。まるで癇癪持ちの子供だ。こまるへの文句のはずが兄への文句に摩り替っているあたり分かりやすい。傲慢で自己中心的。けれど普段の統制は取れていることから、彼らを纏める人間はカリスマ性に優れているか、洗脳が得意などこかの宗教の教祖に違いない。こまるは暴力に晒されながらもどこか冷静にそう分析していた。

「ヤダヤダヤダヤダヤダ!もーヤダ!!希望だとかワケわかんねーこと言い出す前にこいつ殺しちゃおうよ!!」
「いいなそれ!どうせならさ、あいつの前で殺してやろうぜ!目の前で妹がバラバラになんの!!」
「じゃー手足もいじゃう!?肉削いでー、骨折って―、腹割いて内臓引っ張り出してやんの!!目玉も刳り抜いてやってさ、それ全部あいつに食べさせてやったら最高だよね!!あはっ、ゾクゾクしちゃうよおっ!!」

一転、物騒なことを楽しげに話し出した彼らはどうやら気づいていないらしい。足から逃げるように身動ぎしたこまるの目は開かれた扉に真っ直ぐ向けられ、そのまま視線を逸らせないでいた。

「――何、してるんですかぁ?」

背後からかかった声に、メイドと執事はぴたりと喋るのをやめた。ギギギ、と音がしそうな硬い動きで2人が振り返り、3人分の視線が声の主に向けられる。
青白い相貌に暗い双眸。清潔なエプロン白衣に反して、手足に巻かれた包帯や貼られた絆創膏はところどころ血が滲んでいる。黒い髪はざんばらに切られ、見ているだけでも少し痛々しい。ふらふらとした足取りでこちらに近寄る彼女はまるで幽鬼のようだった。隣で恐々としている2人を見る限り、どうやら彼らより上の立場らしい。

「何してるんですかって聞いてるんですけどぉ……もしかしてぇ、私に言えないようなことしてたんですかぁ?」
「ち、ちちち、違っ……くてっ、あの……」
「つ、罪木さんが気にするようなことじゃないですよ!こいつがメシ食べないから、その、し、躾を!」
「……躾、ですかぁ?」

ふぅん、と頷き、彼女――罪木は、床で蹲るこまるの傍に寄り膝をついた。ざんばらな黒実がさらりと零れ、見上げるように顔を向けていたこまるの頬を撫でる。途端、ぞわりと何かが背中を駆け上がった。

「いじめっ子ってみーんなそう言うんですよねぇ。いじめじゃなくていじりだとか、躾だとか、遊んでるだけだとか。……可哀相に。こんなに怪我しちゃってるじゃないですかぁ。頬も腫れてるし……ああ、吐いちゃったんですね?見たところ胃液しか出てないみたいですけどぉ……少しずつでいいからお水飲んでくださいねぇ。ああ、背中と頭も蹴られてましたよね?ちょっと診せてください。大丈夫ですよ。私が絶対、ぜーったい治してあげますからねぇ!うふ、うふふふふふふふふっ」

怖い。純粋に、こまるはそう思った。学校帰りに突然拉致された時も、こうして軟禁されてからも、常に恐怖はこまるに付き纏った。しかしこれは違う。どう表現すればいいのか分からないが、恐怖の種類が違うのだ。こまるは此処に来てから、状況に恐怖することはあっても人物に恐怖することはなかった。相対しただけで、意に反して身体が震えることなどなかった。

「震えてるんですかぁ?もしかすると何かの病気かもしれませんね。いけません。早く……早く早く早く早く早く早く治療してあげないとぉ!こういうのって早期の発見が大事ですもんねぇ!ちょっと待っててください、体温計とか聴診器とかぁ、うふ、注射器とかぁ、診察に必要な物持って来ますねぇ!!」
「ま、待ってください!こんなヤツに治療の必要なんて……ヒッ!?」

こまるを起き上がらせ、嬉々として部屋を出ようとした罪木をモノクマメイドが止める。しかし返ってきたのは了承ではなく首を掠めるメスだった。どうやら罪木が投げたものらしい。メイドはその場でへたり込み、執事は慌てて罪木から一歩距離を取った。

「勝手なことした上に何勝手なこと言ってるんですかぁ?……あの人がいつ、苗木こまるを殺せって言ったんです?言っていたとしたら私が知らないはずないですよねぇ?だってあの人が私に言わないわけないですもん!私を許してくれたあの人が、私を除け者にするはずないですもん!なのに私が知らないってことは……これってあなた達の独断ですよねぇ?命令違反ですよねぇ?……今度余計なことをしてあの人の計画を邪魔するようならぁ……半殺しと治療を延々繰り返しちゃいますよぉ?」
「……あ……ぁ……」
「あれあれあれぇ?お返事が聞こえないんですけどぉ……。もしかして口の中怪我しちゃったんですか?大丈夫ですか?大丈夫ですよ、あなたの怪我も私がちゃーんと治してあげますからねぇ!ほら、その頭取ってお口あーんしてくださいよぉ。診られないじゃないですかぁ!!」
「……ご、ごめん、なさ……っ、ごめんなさい……っ!!」

許しを乞うメイドはその被り物の下で涙を流しているに違いない。ミニスカートから覗くすらりとした足はガクガクと震え、立つどころか身動ぎすることも儘ならなそうだ。
今までの暴挙を思い、放っておこうかと考えたこまるだったが、さすがに哀れになってきた。それに、こうして下っ端の2人以外と関われる機会があと何度あるか分からない。こまるは思い切って罪木に声をかけることにした。

「……私を……どうするつもりなの……?」
「どうするつもりって……そんなの、あの人の命令次第ですよぉ。あの人が生かすって言えば生かすし、殺せって言えば殺します」
「あ、あの人って……」
「あの人ですかぁ?あの人は……神様なんですよぉ」
「……は……」

どうやらこまるの分析は大凡当たっていたらしい。カリスマ性に優れている、どこかの宗教の教祖。罪木曰く、教祖を通り過ぎて神様らしいが。会話が成り立たないのはメイド達と変わらないらしい。

「あの人はこんな私を許してくれたんです。いじめないでくれたんです。殴りも蹴りもしないんです。あの人は私の世界そのもので……ううん、あの人が世界なんです。それか、世界はあの人のおもちゃなんです。だから私達もあの人のおもちゃで、あの人が喜ぶようにいっぱいいっぱい、絶望を撒かなくちゃいけないんですよぉ。だから、ね?こまるさんも、一緒に絶望しましょうよぉ!」

虚ろな目を爛々と輝かせながら「あの人」について語る罪木は、本当に、どうしようもなく、これ以上ないくらい――恐ろしかった。

ああ、私はここで死ぬのかな。

楽しげな罪木の言葉の合間に兄の声を聞かなければ、こまるはここで死を選んでいたかもしれない。メイドに投げられたメスを手に取って、自分の喉を掻き切っていたことだろう。けれど、耳に届いた兄の声にはまだ力が篭っていた。まだ諦めていない。それならば……妹であるこまるが諦めるわけにはいかない。

「……たし……って……」
「はい?何か言いましたかぁ?」
「……私だって!お兄ちゃんとおんなじで、人より前向きなのが取り得なんだから!!」

己を叱咤するように声を上げるこまるを、罪木が忌々しそうな目で睨みつける。青白い幽鬼の顔は血が上ったのか赤くなり、今は般若のようだ。
しかしこまるは臆すことなく罪木と相対する。罪木が「あの人」に固執していること、メイド達の勝手に怒りを露わにしていたことを考えると、ここでこまるがどれだけ暴れても命を奪われることはないだろう。絶望が目的ならば一瞬で殺せるような攻撃は避けるはず。罪木が治療道具を取りに行こうと扉を開けておいてくれたお陰で、逃げ場がないわけでもない。後ろで震える2人は戦力としてカウントしなくても問題ないだろう。


――さあ、反撃の始まりだ!

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