待ち時間


吐き出した息の白さに、苗木は思わず顔をしかめた。寒い。コートのポケットに突っ込んでどうにか暖を取っている指先も上手く動かなくなってきている。
季節は冬。時刻は午後8時半を回ったところ。苗木は自宅と江ノ島宅の中間にあたる駅の構内で寒さに震えていた。
まさに冬休みが始まった今日、苗木は数ヵ月ぶりに自宅に帰った。学園の様子を細かに聞きたがる妹に捕まって散々話をさせられ、挙句「こういうのって少女マンガの学園モノでよくあるよね!超お金持ちのイケメンに気に入られて、女子生徒全員にイジメを受けるやつ!……お兄ちゃん、負けないでね」と言われた。真面目な表情で。苗木は溜め息をついて彼女の額を叩いておいた。それから間を置かず、ケータイが震えた。流れ出した曲は山田が好みそうな系統のものだった。その瞬間に家族の間に沈黙が走った。母親の悲しそうな目を、苗木はこの先忘れることはないだろう。ちなみに着メロは苗木の意思で変えたものではなく、江ノ島に無理矢理変えられた彼限定のものだと必死に弁解しておいたが、納得してもらえたかどうかはわからない。電話で「今から駅で待ち合わせな!」と一方的に告げられ、慌てて家を出たのがもう2時間以上前になる。
数十分電車に揺られてここまで来たというのに、未だに江ノ島の姿は見えない。呼びだした当人が遅刻とは一体どういう了見だ。電車が到着する度に疎らな集団の中に江ノ島を探したのだが、結局彼に似ている誰かすら見つけられなかった。待ちぼうけだ。

「……10時には帰るって言っちゃったし……あと1時間待って来なかったら帰ろう……」

苗木は自分に言い聞かせるようにそう呟いてから、寒さと手持無沙汰を誤魔化す為今日2本目になるココアを買った。しばらく缶を両手で握って暖を取り、少し冷ましてからちびちびと飲み始める。気分の問題なのだろうか、甘さに気持ち悪くなった苗木は階段に程近いベンチに場所を移した。
ホームに居る人は疎らだが、無人ではない。長いこと電車に乗り込まずホームで寒さに震える少年を見る目が、次第に訝しげなものから同情を宿したものに変じていく。動物の耳を模った可愛らしいカチューシャをつけた小さな姉弟達など、苗木に飴玉を差し出してくれたほどだ。
鳴らないケータイをここまで憎く思ったことはない。時間を確認する為と自分に言い訳をして苗木はケータイを開いたが、着信もメールも入ってはいなかった。それから10分経って20分経って30分経って、次来た電車で帰ろうと苗木が決心してベンチから移動したその時。

「――ぅひゃあっ!?」
「ははっ、苗木かっわいー!」

首筋に氷のように冷たい何かを当てられ、苗木は悲鳴を上げる。慌てて振り返ると、両手をひらひらと振る江ノ島がいた。どうやら冷たい何かは彼の手のひらだったらしい。3時間も遅刻した人間が浮かべるとは思えない満面の笑みで、もう一度、今度は正面から暖を取るように首筋に手を這わせてくる。

「ちょっ、つめたい!放してっ!」
「放せって言われると余計触りたくならない?俺はなる!」
「ドヤ顔!」

きゃんきゃん喚く苗木の頭を抑えつける江ノ島は実に楽しげだ。そのまま髪をぐしゃぐしゃに掻き回し、直すフリをして耳元に唇を寄せる。刺すような寒さの中、耳にかかる吐息の熱さに背筋を震わせた。

「3時間も待っちゃうとか、苗木俺のコト好き過ぎ」
「っ、そ、それは……だって、江ノ島クンが呼び出したから……」
「ほら。俺に呼び出されたから、ココアで寒さ誤魔化しながら全然来ない俺を待ってたんだろ?相手が葉隠あたりなら1時間で帰るじゃん、苗木」
「そんなことっ……ある、かもしれないけど……」

最初は必死に反論していた苗木だったが、次第に声が小さくなり、しまいには顔を真っ赤にして俯いてしまった。苗木が江ノ島に口で勝てるわけがない。異様な近さでじゃれる男子高生に注目する人間が1人もいないのがせめてもの救いだ。
頭を抑えつけるのに飽きたのか、耳元に唇を寄せるのに疲れたのか、江ノ島は苗木の首に腕を回し、肩に顎を置いた。自分よりだいぶ背の高い男に抱き締められている事実はなかなかに苗木の心を抉ったが、それ以上にかけられる体重がつらい。今の状況、自分はきっと人という字の2画目だ、と苗木は息を吐く。

「……そもそも、3時間も待たせるの江ノ島クンくらいだよね」
「苗木の俺への忠誠心を見ようと思ってー?」
「ボクは犬じゃないよ……。それに、もしボクがここに来たのが1時間前ならどうするの?3時間待ってたかなんてわかんないよね?」
「苗木さー、もしかして俺がついさっき着いたとか思っちゃってる?」
「え?だってついさっき着いたんじゃ……」
「ばーか。それならこんな冷たい手してないっての!」
「あ……」

江ノ島の手は、不意打ちとはいえ思わず悲鳴を上げてしまうほど冷たかった。先程まで車内にいたというならもう少しあたたかいはずだ。ということは。つまり。

「……悪趣味」
「寒さに震える恋人にそんなこと言うのはこの口かー?」
「いひゃいいひゃい!はにゃひへ!」
「んー?ごっめーん。俺日本語しかわかんないんだよね!だから放してやらなーい」
「わひゃってうひゃん!!」

3時間江ノ島を待ち続けた苗木と、3時間待ち続ける苗木を待ち続けた江ノ島。どうにも擦れ違う彼らだが、世間一般ではこれをバカップルという。



(江ノ島クン、後3分で電車来ちゃうよ)
(じゃあ後3回はキスできるな)

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