It is mine!


赤いマニキュアを買った。
機関にバレないように注意しながら、彼がモデルとして載っていた雑誌をかき集めて、同じブランドのマニキュアを買った。
鼻につく臭いに少しだけ顔をしかめ、左手の爪に塗っていく。
赤い爪。
いなくなってしまった彼と同じ色。

「江ノ島クン」

誰よりも絶望を愛し、何もかもを絶望に染めるという希望を抱きながら生き、絶望に抱かれ逝ってしまった人。
最後に、自分の命と引き換えにしてまで、ボクを絶望させようとした、最愛の人。

「……江ノ島クン……」

笑顔でオシオキを受けた彼は、死体さえまともに残らなかった。残してくれなかった。
絶望だけを植え付けて、愛情は欠片もくれなかった。
そう、思っていた。
けれど実際は違ったのだ。

「………あはっ」

彼を象徴するかのような、おどろおどろしい赤い爪……それを備えた左手。
狛枝凪斗の左手は、江ノ島クンの物に違いないのだ。
確信を抱いたものの確証はなく、ボクは既にプログラムにかけられてしまっている狛枝クンを見下ろす事しかできない。
左手に塗ったマニキュアは、乾いて不気味な輝きを放っていた。



江ノ島クンが死んだ。二度目の死。
それを手伝ってしまったのは他でもないボク自身だ。
思えばあの時もそうだった。
彼を殺したのはボク。
愛していると口にした時のように、躊躇いながらもボクは彼に刃を突き刺した。
……けれど後悔はしていない。
だってこれは、彼がボクに与えてくれた絶望なんだ。
ボクの偽者まで用意した彼がせっかくくれたものなんだ。
愛する相手をこの手で、しかも二度も殺しただなんて、なんという絶望だろう!
今回死んだのは彼のアルターエゴであり、勿論死体なんかある訳ない。……だけどまだ残っている。
一度目に殺された時に意地汚い男に盗まれた、血のように赤いマニキュアが印象的な、左手が。

「目が覚めたんだね!よかった。すごく嬉しいよ……狛枝クン」

喉が鳴りそうになるのをぐっと堪えて、ボクは狛枝クンに笑顔を向けた。



狛枝クンが目覚めてから二週間が過ぎた。
彼の希望への執着は凄まじく、ボクの事をいたく気に入っているようだ。
今ほど超高校級の希望と呼ばれた事を感謝した事はない。

施設内は勝手に出歩かないように指示されているが、ボク達の内一人でも監視としてついている場合は問題ない。
ボクは狛枝クンを呼び出し、一緒に人の来ない倉庫に向かった。
道中何度も話しかけられたけど、それを苦には思わない。
幸運の前のちょっとした不運、それだけ。
口元が緩むのを抑えられないが、何を勘違いしたのか上機嫌になるだけで悟られてはいないようだ。
霧切さんにも十神クンにも、ついでに勘の良さそうな日向クンにも見つからずに辿りついた倉庫は、施設の最北端にある。
各人に与えられた個室から離れているし、銃火器等も保管されている事からセキュリティも厳重だ。
パスワードと指紋認証、声紋に瞳孔。
有事以外誰も来ない上、もしボク達が倉庫に入った様子をカメラで見た誰かが駆けつけようにも、セキュリティの解除に手間がかかる。
左手を取り返すくらいの時間は稼げるはずだ。

「……よし。狛枝クン、入っていいよ」

狛枝クンを先に入らせ、しっかりと扉を閉める。
呼び止める声も、廊下を走るような音も聞こえてこなかった。一安心といったところだ。
壁にあったスイッチを押せば、薄暗かった室内が一気に明るくなる。
血の赤が左手で光った。

「それで……ボクみたいなゴミ虫に相談って、一体何かな?ボクごときが苗木クンのような素晴らしい才能の持ち主に相談を受けるなんて凄く幸運な事だよね。ああ……この後どんな不運が待ち受けているのかと思うとゾクゾクするよ!」
「簡単な事だよ。とってもね」

笑って差し出したのはあらかじめ用意しておいた義手に関する資料だ。
狛枝クンがつける事を想定して細かく書いてある。

「義手……」
「うん。その左手は超高校級の絶望の物だし、狛枝クンにとっては絶望時代の象徴だと思うんだよね。だったらいっそ義手にしちゃった方がいいんじゃないかと思って。……まだ上に話は通してないからこんなところで話さなきゃいけなくなっちゃったんだけどね」

彼が嫌う絶望。その象徴の左手。
きっと頷くに違いない。ボクはそう確信していた。
……していたの、だが。

「うーん……ありがたい話ではあるけどね……遠慮させてもらうよ」
「…………え?」
「せっかくの苗木クンからの厚意だし、そうしたい気持ちは勿論あるんだけどね……みんなが絶望に負けないように頑張ってるのに、ボクだけこれを捨てて絶望から逃げるなんて、やっぱり良くないと思うんだ。……ボクも、みんなの仲間だからね」

おかしい。狛枝凪斗が何を言っているのか、全然理解できない。仲間?何だそれは。
そんな訳のわからない事を言ってボクに江ノ島クンを返さないなんて。
そんな馬鹿げた言葉でボクから江ノ島クンを奪おうだなんて。

「それは、江ノ島クンの手だよ」
「……そうだね。でも、今はボクの手だ。ボクが乗り越えるべき絶望だ。だから、苗木クンの申し出は悪いけど……」
「……は?」

おかしい。

「ボクの手?ボクが乗り越えるべき絶望?……何、言ってるの?」
「な、苗木クン…?」

おかしい。

「それは江ノ島クンの手だよ?ボクに残された最後の愛情だよ?……キミが介入するなんて、許されない」

おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。
おかしい、よ。

「どうしたの?苗木クン……キミは……キミは、超高校級の希望なんだよ?そんな、まるであいつを……絶望なんかを想っているような事言って……おかしいよ」
「は?おかしいのはオマエだろ、狛枝凪斗。……江ノ島クンの左手をキミが奪ったお陰でボクの未来にも希望が見えたから、だから最後の恩情でキミに義手の話を持ちかけたんだよ?それなのに、義手を断るどころかあまつさえ江ノ島クンの手を自分の物なんて言ってさ…………ほんと、訳がわからない。頭おかしいよ、オマエ」

狛枝凪斗という邪魔な部品を繋げられてしまった江ノ島クンの左手を見る。
血を連想させる赤い爪。
江ノ島クンはあの爪でよくボクの輪郭をなぞっていた。
くすぐるように、いたぶるように、じらすように、彼はボクに触れていた。
思い出しただけで顔に熱が集まり、腰から項へゾワゾワと這い上がるような快感と震えが走る。

「……偽、苗木…?」
「ああ、知ってるんだ?あれの事。でも違うよ。あれは、江ノ島クンがボクを絶望させる為に作り出してくれた愛情の象徴なんだから。彼がボクの為に、大嫌いなボクの為に、大嫌いなボクの事を思って生み出してくれた大事なボクへのプレゼントなんだから…………一番は、その手だけどね」

床に片をついて、江ノ島クンの左手に触れた。
汚らわしい異物に汚染される事なく未だ美しく在り続ける左手は神々しささえ感じさせるというのに、一体どうしてこの世界はこんなにも不条理なのか!

「江ノ島クン」

唇を押し当てた手の甲から伝わる冷たさはいっそ恍惚としてしまうほど絶望的に死人のそれだった。
汚い体温が移っていなくて良かったと心の底から安堵する。

「アイシテル」

狛枝凪斗が何か言っているような気がしたけれど、息を飲んだだけのような気もする。
どっちでもいい。どうでもいい。
狛枝凪斗がいなくても、江ノ島クンの左手さえ残れば、後は何がどうなろうと構わない。

視界の端に捉えた覚えのある槍の柄が、暗い照明の下で鈍く光を放っていた。



(かえして、かえして)
(彼の愛を、ボクに返して!!)

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