所有者を明かします

なるべく大浴場は使わずに、部屋のシャワーを使うようにしていた。
あそこは部屋の中で唯一彼の干渉を受けないエリアだったし、そもそも誰に見られるかもわからない場所で裸になるというのは避けたかったからだ。
そんな事情を知らない彼らが、一緒に入浴しようという誘いを頑なに拒み続けるボクを不審に思うのは、言ってしまえば当然だった。
いつも通り誘いを断って部屋に向かおうとしたボクに飛びかかり、無理矢理パーカーまで剥ぎ取った葉隠クンは、ボクの背中に刻まれた"歪み"を見て悲鳴を上げた。
それを聞き付けて全員が更衣室に集まって来てしまった。
彼らはボクの背中に気付いて一様に顔を顰め、視線を逸らした。
ひやりとした感覚は、肌を外気に晒している事だけが理由ではないとわかっていた。
背筋を這い上がるようなこれは、悪寒だ。
初めて"歪み"を目の当たりにした時と同じ、いや、心理的にはそれ以上の。

「……苗木君……?」
「どういう事だ、苗木!」

恐る恐る気遣わしげに向けられる目にも、どこか猜疑と嫌悪が見える。
それは被害者なだけの戦刃クンを見る義母の目に少しだけ似ていた。

「苗木、その背中の……一体何なの?」

直視できずに床に視線を落としていた朝日奈さんが、ボクの顔以外見ないようにして訊ねる。
全員が全員、答えを待っているようで……ボクは細く息を吐いた。
息詰まって行き詰まって生き詰まってしまいそうだった。
背中に手を伸ばす。
見なくても、指先で軽く触れただけでわかる汚い傷跡。
押し付けられた"歪み"が一体どんな形を象っているのかだなんて思い出すまでもない。
傷跡に爪を立てる。
せめて少しでもこの形を変えてくれればいいのに。
恐怖と絶望なんて跡形もなく消えてしまえばいいのに。

「それ、モノクマに殺された彼の名前よね?自己紹介もしていたし、この生活が始まって初めて会ったはずなのに……どうして苗木君の背中にそんな古傷があるの?」

モノクマに殺された。
そうだ、戦刃クンは江ノ島クンに殺された。
必死の抵抗も虚しく舞園さんが殺された、すぐ後に。
どんなに罵られても戦刃クンは江ノ島クンの求める"絶望"の為に動いてきたのに、呆気なく死んでしまった。
誰より歪な信頼した実の弟に、殺されてしまった。
ただ彼の"歪み"に巻き込まれただけなのに。

「お願い苗木君。答えて」

そう言う霧切さんの声はどことなく震えていて。
ああ、やっぱりボク、霧切さんの事好きだなぁ、なんて、この場にそぐわない馬鹿みたいな事を考えてしまった。
ボクの好意に彼の許可が下りるはずないってわかってるのに。

「……ごめんね、みんな」

この謝罪の意味を、聡い彼らなら正確に酌んでくれると信じている。
初対面な被害者との繋がりがあるボクに、裏切り者の可能性を見出だしているはずだ。
だからお願い、早く突き放して。
ボクなんかの所為で巻き込んでしまって。
好きになってしまって、本当にごめんなさい。
ここで泣く権利なんてボクは持っていない。
裏切り者という意味でも――所有物という意味でも。

「ど、どうして苗木が謝るのさ?あ、あはは、そんな冗談笑えないよー!」
「……冗談だったら……何もかも全部、冗談だったらよかったのにね……」

コロシアイ学園生活も、舞園さんが殺されたのも、戦刃クンが裏切られたのも、桑田クンが処刑されたのも、ボクが裏切り者なのも、ボクが彼と兄弟になったのも、ボクが彼の所有物なのも。
全部が全部、彼の壮大なドッキリか、ボクが見ている長い夢ならいいのに。
けれど指を這わせて触れた自分の背中がそんな楽観をすべて否定する。
あの時の痛みと恐怖、一気に押し寄せて来た歪みが、あれが現実以外有り得ないと教えている。

「そ、それってつまり、苗木っちが裏切り者だって事なんか!?」
「……そうだね。ボクは、」
「違う違う違う違う違うちっがーう!!」

裏切り者だ、と続けようとした言葉を否定したのは、紛れもなくボクに"歪み"を押し付けた彼だった。
彼らの前で、グングニルの槍に貫かれて命を絶たれた戦刃クンが必死に演じていた、江ノ島盾本人だった。

「……本当に江ノ島君ですの?」
「な、なななななんで、あ、アンタが生きてんのよ!?」
「あ、あんなに身体中穴だらけだったのに……」
「うっさいなー。俺が死んだとか死んでないとかどーでもいいんだよ。そんな事より、今は誠の話だろ?」

つまらなそうな表情を一転して愉快げに歪ませ、江ノ島クンはボクに視線を投げた。
左目を眇めてくつくつ笑いながら、恐怖を煽るようにゆっくりとボクに近付いてくる。

「誠が裏切り者なんて有り得ない。だって誠は俺の所有物だし」
「っ……」

背後に回った江ノ島クンは自分で刻んだ名前を指の腹で優しくなぞって、耳元に唇を寄せた。
かかる息の生暖かさが、吐き気と涙を誘うほど気持ち悪い。

「者なんて自我のある言葉使うなよ。これは俺の命令に従って俺の為だけに動く可愛い可愛いお人形なんだからさ」
「ッ」

体重をかけるように背中に押し当てられていた手がいきなり傷を抉った。
何年も前のものなのに、あれくらいでどうともなるはずないのに、皮膚が裂けて血が滴っているような気になる。

「……」
「ん?何見てんの?ライバルにすらなれなかったツンデレ君が俺に何か言うつもり?さっすが勝ち犬根性が染み付いた負け犬なだけあるなー」
「ッ、貴様…!!」
「落ち着け、十神!」
「きゃー、こっわーい。誠のオトモダチのクセに粗野で乱暴とか信じらんない。ほーら、だから優しい優しいお兄ちゃんが友達はちゃんと選べって忠告しといたのにさ。言う事聞かなかった結果がこれだよ。可哀想に、誠の友達だから殺されちゃうんだぜ?どう?申し訳なくて絶望したくなってきた?」

今にも殴りかかろうとする十神君を大神さんが押さえてくれたけれど、江ノ島クンはそれさえ笑い物にする。
後半は考えるまでもなくボクに向けられたものだ。
ボクが不用意に近付いた所為で、みんなが死ぬ。
本来ならこんな目に合わなくて済んだはずなのに、舞園さんは殺す決意をしなかったはずなのに、舞園さんは桑田クンに殺されなかったはずなのに、桑田クンは処刑されなかったはずなのに。
ただの物が、まるで普通の男子高生のように振る舞っていたのがそんなに許せなかったんだろうか。
これが、彼の目から逃れようと足掻いたボクへの、罰、なんだろうか。

「……どういう事か、私達にもわかるように説明してくれない?」
「知的好奇心旺盛なのは変わんないねー。でも知ってる?好奇心は猫を殺すんだぜ?」
「生憎だけど、この程度で死ぬようなおとなしい猫じゃないの」
「……あー、めんどくさいなー。誠さぁ、好きな子もちゃんと選ばないとダメだろ?」
「痛、ぁ、ぅ…っ」

僕だけに聞こえるように囁いて、背中に突き立てた爪でいっそう傷を抉ろうとする。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
悲鳴までは上げないにしろ、痛みに悶える姿を見せると江ノ島クンは心底愉しそうな顔をするからボクはなるべく堪えないといけない。
普通の顔を繕って貼り付ける。
大丈夫。痛みに慣れてないって事はつまり、ボクがまだ"歪み"に適応していない証拠だから。

「お前らと出会う前から誠は俺の物だった。お前らは誠と出会ったからコロシアイに巻き込まれた。誠はお前らの仲間じゃない。これでオッケー?」
「説明になってないわ」
「はー…じゃあとっておきな?俺は江ノ島盾で、これは江ノ島誠。可愛い可愛い弟をどう扱ったって俺の勝手だろ?だからそんな親の仇見るような目やめろって。あ、でも仇ってのは間違いないのか。特に、どこかの探偵にとっては」

どこかの探偵と言いながら、明らかに霧切さんに視線を投げる江ノ島クン。
それを横目に見ながら思い出すのは、希望を守ろうとして絶望に殺されてしまった理事長の変わり果てた姿。
ボクのような生徒さえ気遣ってくれたあの人が無惨に散る様子を眺めるしかなかったボクは、どうしようもない薄情者なんだろう。
もっとも江ノ島クンに言わせれば、者なんて自我のある言葉を使っちゃいけないんだろうけど。

「……何が言いたいの?」
「ん?別に。お前らに言いたい事とかないし。まあ、そうだな……誠はお前らの仲間じゃなくて、ただの俺の所有物でしかないって事だよ」

背中にあった手が退き、今度は後ろから首に腕を回される。
途端に息が詰まって、意図せず身体が震えてしまいそうだ。
抱き締めるようにも見えるこの動作が、実際は一挙手一投足で命なんて簡単に奪えるんだとボクに教える為のものだとわかっている。
発言を許さないという時、彼はよくこの手を使うから。

「誠を通してお前らの行動は筒抜けなワケ。監視カメラがないトコでもそりゃバーッチリ。もっとバラしちゃうと、俺が一言殺せって言えば、誠は俺の命令に従ってお前らを殺すね」

嘘だ。そんな事ない。
もし自分の命を引き合いに出されても、ボクは彼らを殺したりなんてしない。
そう言いたいのに、喉が凍り付いてしまったように声が出ない。
みんなは江ノ島クンとボクをしばらく交互に見て、口を噤んでしまった。

「あれ、不安?仕方ないよな。今まで一緒に頑張ってきた苗木誠君が実は江ノ島誠で、しかも黒幕の物だったんだから!絶望しちゃった?なあなあ、絶望しちゃった?うぷ、うぷぷぷぷぷぷ」

モノクマの声で聞き慣れた笑い声が、江ノ島クンの歪んだ声で響く。

「今日はドタバタしまくりで疲れただろ?誠をどうするかは明日決めればいーじゃん。……まあ、お前らが無事に明日を迎えられたらの話だけどさ。じゃ、またな、誠」

そう言ってボクの目尻に唇を押し当てた江ノ島クンは悠然と脱衣場を出て行く。
その背中を何も言えずに見送って、後には意地の悪い笑顔と気味の悪い沈黙だけが残された。
誰とも視線が合わないまま、一人二人とこの場を後にする。
最後に残ったのは物言いたげな大神さんと霧切さんの二人で、でも二人とも何も言わなくて。
結局ボク以外誰もいなくなった脱衣場で、ボクは自分の背中に爪を立てる事くらいしかできなかった。



(人形の傍にいていいのは、人形師、だけ)

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