プールの後のお約束


食堂で優雅なティータイムを満喫していた面々と他数名は突然響いた声に目を瞠った。悲鳴とは違うものの、叫び声が上がるという事は何かあったのだろうか。
様子を見に行こうと霧切が席を立ったところで、声の主達がバタバタと駆け込んできた。

「コラー!苗木ー!待てー!!」
「絶対待たない!も、もう追いかけて来ないでよッ!!」

逃げる苗木に追う朝日奈。
後から入ってきた大神は困り顔で走り回る二人を見つめている。

「おやぁ?どうして苗木誠殿が朝日奈葵殿に追いかけられているのです?しかも二人とも濡れ髪とは……まさかこれは……リア充フラグ、だと……!?」
「苗木っち、霧切っちと舞園っちというものがありながら朝日奈っちにまで……」
「やはり貧乳より巨乳の方がいいというゴファアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「ご、誤解だっうぎゃあッ!!」

山田達の発言を否定しようと朝日奈から少し意識を外したのがいけなかった。
苗木の一瞬の隙を見逃さなかった朝日奈が苗木に飛びかかり、勢い任せに床に押し倒したのだ。
ちなみに霧切と舞園が何処からともなく取り出した謎のハンマーによって殴られた山田の悲鳴も同時に響いたのだが、彼の心配をする者は誰一人としていない。

「捕まえたよ苗木!いい加減おとなしくしなってば!」

馬乗りになられても嫌だ止めてと喚き続ける苗木を見て他の面々は目を丸くするほかなかった。
一部は嫉妬と憎悪の溢れる目で朝日奈を睨みつけているが。
一体何がどうなったらこうなるのだろう。
その疑問を晴らすべく、他称KYの風紀委員長が一歩足を踏み出し朝日奈に理由を訊ねたところ。

「だって苗木、泳いだのに目薬さしてないんだよ!?」
「……は?」

一同の気に抜けた声が食堂に響いた。
仰向けに押し倒されたままの苗木に視線が集まる。

「……ほら、目薬ってさ、なんか……怖いじゃん」
「そんな事言って!水で洗ったら終わりってもんじゃないんだよ!?」

気まずそうに顔を逸らして言う苗木に、朝日奈が噛みつく。
それが正論だと分かっているからこそ苗木も言葉に詰まっているのだろう。目が泳いでいる。
馬乗りの状態のまま長々と力説する朝日奈を大神が止めたが、苗木が目薬をさすまで離れないと言い出す始末。

「……苗木。とっとと済ませてそいつから離れろ」
「十神君の言う通りよ。少し我慢すればいいだけなんだから」
「絶対に嫌だよ……!!」

親苗木派の激励を受けても頑なに拒否する苗木。
苛立った朝日奈はついに強硬手段に出た。

「じゃあ私がさしたげる!それなら怖くないでしょ」
「ええ!?人にさしてもらう方が怖いんだけど!!」
「ぶーぶー言わない!!ほらほら、ちゃんと上向いて目開けて!」
「うぅ……」

真剣な顔で目薬を構える朝日奈についに苗木も折れた。
床に寝転んだ体勢のまま目を大きく開けて、自分を見下ろす朝日奈をまっすぐ見つめる。

「い、いいよ……」

まばたきが出来ない所為で目は潤み、瞼と睫毛がふるふると震えている。
閉じたくて仕方がないのだろう。
ゴクリ。観衆と化していた一部メンバーがそんな音を鳴らす。

「あ、朝日奈さん……はやく……」
「よーし、じゃあいくよー」
「待て」

ようやく決意した苗木と今まさに目薬をさそうとした朝日奈の邪魔をしたのは超高校級の御曹司の制止の声だった。
空気を読めないのが石丸なら、空気を読まないのが十神だ。

「何?せっかく苗木がその気になったのに邪魔しないでよ」
「俺がやってやる。その目薬をよこせ」
「ちょっと待って。目薬を使ったことがないような人にやらせるわけにはいかないわ。苗木君安心して。ちゃんと私が苗木君に優しくさしてあげるから」
「ヤラシイべ!言い方がなんかヤラシイべ!!ありゃ絶対含み持たせてんぞ!!」

邪魔されてムッとする朝日奈に役割の交代と目薬を要求する十神。
それを阻止し、ついでに自分も苗木に目薬をさそうとする霧切。
両者の間に火花が散った。

「待ってください。それなら私だって苗木君に目薬をさしたいです。私、苗木君の助手ですから!」
「な、何が助手よ……白夜様が直々にやってくださるって言ってるんだから、じゃ、邪魔するんじゃないわよ……!!」
「あら、皆様やりたいのでしたらわたくしも」
「セレス殿が目薬……?え、なにそれこわい……」
「もう!みんなうるさいよ!!」

ついに目薬をさす役を巡って大騒ぎだ。
朝日奈も十神達に対抗する為に苗木の上から退く。
――ノンストップ議論の始まりだ。

「苗木の目薬は俺がさす。異論は認めん」
「苗木君を合法的に押し倒して潤んだ瞳を満喫するのは私よ」
「いや、別に押し倒す必要はないだろう!主旨も変わってしまっているじゃないか!!」
「そもそもよォ、目薬くらい苗木本人にささせればいいだろ?」
「そんなことありません!あの体勢の苗木君に私が目薬をさすというのがポイントなんです!」
「ああもう!そーゆーのはどうでもいいよ!!目薬ささないと炎症起きちゃうかもしれないんだよ!?こんな議論してる暇があるなら私がさすからみんな黙ってて!!」

証言台代わりにしていたテーブルをバンッと叩いて憤然とする朝日奈。
しかし彼女は視界の端に、イスに腰かけた苗木と、目薬片手の大和田、不二咲の姿を捉えた。

「やってもらっちゃってごめんね、大和田クン」
「気にすんな。俺の兄貴も目薬苦手でよ、よくさしてやってたんだよ」
「へえ、そうだったんだ。不二咲クンもありがとう。あれやると本当にまばたき少なくなるんだね!」
「えへへ。苗木君の役に立ててよかったよぉ」

楽しそうに談笑する三人を見て一気に毒気が抜ける。
未だ議論を続ける面々に息を吐いて、朝日奈は傍で成り行きを見守っていた大神の手を引いた。

「苗木、次はちゃんと目薬さすこと!いいね?」
「う、うん。ありがとう、それと、なんかめんどくさい事になっちゃってごめんね……」
「んー……じゃあ後でドーナツちょうだい。そしたら全部許すよ!」
「ドーナツだね、分かったよ」
「楽しみにしてるね!じゃあ行こ、さくらちゃん」
「うむ」

もうひと泳ぎするぞー、と言って朝日奈と大神は食堂を後にした。
ノンストップ中の面々は、大神はともかくとして朝日奈が抜けた事にすら気づいてすらいない。
そして渦中の人物であるはずの苗木は大和田、不二咲と一緒に、食堂の端で一向に噛み合わない趣味の話に花を咲かせていた。


数十分後、ようやく騒ぎが収まり目薬をさす役が決まった頃には既に食堂に苗木達の姿はなかった。
その後苗木は、目薬をさしたいときは躊躇いなく大和田の部屋を訪れるようになったという。


「プールから出たら、水でよーく目を洗った後にちゃんと目薬をさしてね!」



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