EPISODE.05




――パチッ。

目を覚ますと、そこは見知らぬ天井で。鬼殺隊に保護された少年――時透無一郎は天井を見つめたまま、一体此処が何処で何が起きたのか状況が理解できず、必死に過去の記憶を辿ろうとする・・・が思い出そうとすればするほど頭の中に靄のようなものが掛かってしまい、なにも思い出す事が出来なかった。

覚えている事と言えば・・・自分の名前、ぐらいだろうか。一種の記憶喪失に陥っていた少年は、どうせ自分は死ぬのだし考える事も面倒だという結論に至り、また眠りにつこうとした――その矢先。

部屋の襖が控えめに開き、開いた隙間からひょっこりと顔を覗いてきたのは名前であった。


『あ!よかったー!目を覚ましたんだね!』
「・・・だ、れ・・・?」
『動かないでね。君、重傷なんだから』


ちょっと待っててね。そう言って名前は無一郎の布団の横に座ると、持っていた盆をゆっくりと置き、袖を捲って何やらカチャカチャと用意をし始めた。
顔を動かすのも困難だった無一郎は目だけで彼女が何をしようとしているのか確認しようとするが、名前が影になっていてよく見えなかった。けれど部屋中に香る美味しそうな匂いに、ご飯を持ってきてくれたのかと瞬時に理解する事が出来た。


『お腹空いてないかもしれないけど・・・少しでも食べればすぐ良くなるからね!』


――両親を失い、唯一の肉親であった双子の兄が鬼に目の前で殺された無一郎。その後は鬼が消滅するまでなぶり殺し、自身が重症だという事も忘れ死んで腐敗していく兄の姿を・・・ただ茫然と眺めていたという。間一髪のところで鬼殺隊に保護されたはいいものの、強い精神的ダメージからか一種の記憶喪失に陥り、両親の事も、そして兄の事も忘れてしまっていた。
・・・何もかもが思い出せなかった無一郎には、生きる意志がなかった。けれど無一郎はこれからの鬼殺隊にとって大きな存在になる事は間違いないと耀哉は睨んでおり、なんとしてでも生きる道を作ってほしかった。

――その為に名前はここに呼ばれてきた。名前ならばきっと無一郎の心を・・・生きる道を作り救ってくれるはずだと、耀哉が信頼していたからだ。


『ほら、食べて食べて』
「・・・・・・」


一方、そんな耀哉の思惑や無一郎の事情を何も知らない名前は無一郎の背中をゆっくり起こすと、片手は無一郎の背中を支えたまま、もう片方の手で蓮華で掬った粥を無一郎の口元に運んでいく。
不本意そうにしながらも、指先すら動かせない無一郎は素直に従う事しかなかった。
小さく口を開けると、そこに蓮華を通され程よい温かさになった粥が口の中に入っていく。自身では気づいていなかったが一週間以上何も口にしていなかったこともあり腹は空腹状態・・・それを口に含んだ瞬間、ほんの僅かに目を見開かせてすぐに咀嚼を始めた。食欲がある無一郎を見てホッと安堵の息を漏らした名前は「ゆっくり食べてね」と言って、次から次へと粥を口に運んでいく。

何回か往復していくうちにやがて無一郎はお腹がいっぱいになってしまったのか、半分いくかいかないかくらいのところで拒むように口を閉ざした。


『うん!半分も食べれたね!』


偉い偉い、と千寿郎にするように頭を撫でた名前は蓮華を置くと、今度はその横に置いてある薬に手を伸ばす。しのぶが用意してくれたものだ。
薬包紙に乗せた粉薬を、こぼさないよう慎重に無一郎の口元へ運ぼうとする・・・が、鼻を掠めた独特な匂いに訝しげに眉を潜めた無一郎は抵抗しようとしているのか、さっきの粥とは違い一切口を開こうとしてくれなかった。


『?安心して、ただの薬だよ』
「・・・・・・」
『あ、えっと・・・しのぶちゃんのお薬は、すごく効くんだよ』
「・・・・・・・・・」
『・・・・・・お薬・・・嫌い・・・?』


無一郎と名前の視線が至近距離で交わる。透き通るような浅葱色の瞳はあまり生気がないものの、それは何かを訴えているような目で・・・確かに薬は苦いが、飲まなければ治るものも治らなくなってしまう。
弟が生きていたらこんな感じだったのだろうか、と思いながら困ったように笑みをこぼした名前は心を鬼にして『ほら口を開ける』と少し強めに言った。

――その姿を見て、頭の中にある霧の中から一人の女性が描かれる。けれどそれは本当に一瞬で、その人が誰だったのか・・・思い出そうとした無一郎だったが案の定思い出せないまま・・・。けれど不思議と心が温まる感覚を覚え、きっと自分にとってかけがえのない人物だったのだろうとすぐに憶測はついた。

無意識だろうか、口を開けてくれた無一郎を不思議に思いながらも名前は薬を放り込む。


「うっ・・・ッゴホゴホ・・・!」


苦みが広がり思わず咽てしまう。急いで名前は吸飲みを無一郎の口につけ、こくこくと水を流してあげれば幾分か落ち着いてきたようで・・・全て薬を飲み切ったのを確認した名前はそのまま無一郎を横にさせ、上から掛け布団をかける。

絶対安静だからね、と何度か布団を軽く叩いた名前が食事の片付けを始め、カチャカチャと小さな物音を聞きながら・・・無一郎が不意に口を開く。


「・・・・・・何も、」
『ん?』
「・・・何も、覚えてないんだ・・・親の顔も。名前も。僕がどこで育ったのか・・・どうして、こうなったのかさえ・・・。自分が何者かもわからないのに、これからどうやって生きていけばいいんだろう・・・・・・」
『・・・・・・』
「・・・もう、生きるのもめんどうくさい」


まるでどうして自分を生かしたのかと問いかけられているようで。途端、静かになった名前を不穏に思った無一郎は視線だけを名前に向けて――そして、驚いたように僅かに目を見開かせた。
名前の空色の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れていたからだ。なぜ名前が泣いているのか、相手の心を理解する事が難しくなった無一郎にとってそれからどう反応をすればいいか、どう声を掛ければいいか正解が分からなかった。


『っ、そんな悲しい事、言わないで』
「!」
『大丈夫、だよ・・・君は必ず、自分を取り戻せる・・・』


包帯で包まれた小さな手を、そっと両手で握りながらそう言う名前に無一郎は言葉を失った。名前の流した涙があまりにも綺麗で、泣きながらも優しく微笑むその表情に目を奪われる。


『生きていれば、どうにかなるから・・・だから、生きる事だけ考えて。私が絶対に君を、助けてみせるから』
「っ」




混乱しているだろうが今は、とにかく生きる事だけ考えなさい。
生きてさえいればどうにかなる。

失った記憶は必ず戻る、心配いらない。きっかけを見落とさない事だ。




――無一郎の頭の奥底から、耀哉に言われた言葉が過ぎる。物事をすぐに忘れてしまう後遺症を負ってしまった無一郎にとってそれは奇跡のような出来事で、感じた事のない感情に無一郎は表情は変えないものの、内心混乱していた。

まさか二度も同じことを言われるなんて、思ってもみなかった。


「・・・・・・君の、名前・・・は?」


無意識だった。無意識にそんな事を口走ってしまい無一郎自身が一番驚いた。聞いたところで覚えていられる自信は全く無かったけれど、どうしても知りたくなったのだ。

名前も突然聞かれて驚いた素振りを見せていたがすぐに涙を拭い、そして太陽のような眩しい笑顔を向けて教えてくれる。


『そういえば自己紹介してなかったね。苗字名前っていうの。君は?』
「・・・・・・時透・・・無一郎」
『これから一緒に頑張ろうね、無一郎君!』


どうせ忘れるはず。そう思っていたのに、名前の名前を聞いた瞬間、まるで心の中にスッと溶け込むような感覚を覚えた無一郎は、忘れたくない一心からか、復唱するように何度も名前を呼んでいた。顔は相変わらず、無表情のままだが・・・。


「・・・名前」
『はーい』
「名前、名前」
『ふふっ。何度も呼ばれると照れますねぇ。無一郎君っ』


・・・なぜかは知らないけれど、自分の名前はあまり好きではなかった。けど、名前に呼ばれると不思議と悪い気はしない。


無一郎は耀哉と、そして名前のために、早く怪我を治そうとこの日、心の中で誓うのだった。






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