EPISODE.36



――そして、現在。









『・・・・・・』


随分と長い間、シャンクスの腕の中にいた気がする。喉は枯れ、身体中の水分が無くなったのではないかというくらい泣いた。
何かシャンクスが言い残して部屋を出て行ったけど、正直何を話していたか覚えていない。頭がボーッとして働かないのだ。
広い部屋で1人になった私は丸い窓から見える海を見て、枯れたはずの涙が再び頬を濡らした。



いつだって私の中心にいたエース。そのエースはもうこの世にはいなくて、もう二度と、私にあの笑顔を向けてはくれない。


『っ、』


兄弟を失う恐怖は、すでにサボの時に嫌という程思い知った。けど、あの時はいつも隣にエースがいて、悲しみを分かち合うことでサボの死と向き合うことができた。


私は、エースの死を、どう向き合えばいいのだろう。


迫り来る闇に呑まれそうになり、居ても立っても居られなくなった私は"ナニカ"から逃げ出すように部屋を出た。

夜ということもあってか人通りは少なく、左右どちらを見ても廊下の先には暗闇が広がっている。
どちらに行けばいいのか、どこへ行こうというのか――目的も分からないまま私は無我夢中で廊下を走り抜けた。
途中、何度か船員とすれ違い、声をかけられるけど私の足は止まらない。


『エースッ・・・!』


暫く走っていると、目の前にエースの背中が見えた。ああ、ほらやっぱり。エースは生きている、あれはきっと悪夢だったんだ。

泣きながらも笑みをこぼした私はエースの名を呼びながら、目の前の広い背中に抱きつく――が、降りかかった声は、エースではなかった。


「もう体調はいいのか?」


エースだと思って抱きついた人は、ベックマンだった。さっきまでそこにいたはずのエースの姿はどこにもなくて、それが幻だと気づいた私は何度も首を左右に振りながらその場を後にする。

後ろから焦ったようなベックマンの声で、周りの仲間たちに「捕まえろ」と指示しているのが聞こえたけど私の足は一向に止まらなかった。


私は一体、何から逃げているのだろう。


『はあっ、はあ・・・』


走り続けていると、船の甲板に出た。
空を見上げれば無数に広がる星々と月が光っていて、思わず唇を噛みしめる。口内に鉄の味が広がり、けれど苛立ちは収まることはなかった。
・・・なぜあの日、雲に覆われてしまったのだろうか。月さえ出ていれば、もしかしたらエースを救えたかもしれないのに。

けれど月を憎んだところで、エースは帰ってこない。


『ッ』
「ナマエ!」


もう、精神を保つのには限界だった。

後ろからベックマンの声がするけれど私は歩みを止めず、レッド・フォース号の船首に立ち、目の前の荒れ狂う海を見つめる。

ーー悪魔の実の能力者は皆、金づちになる。

海に落ちれば最後・・・けど不思議と、怖くなかった。あと一歩進めばエースだけでなく、サボにも会えるのだから。


『っ・・・ごめんなさい』


エースのいない世界に未練はない。

何の迷いもなく、真っ暗な海へと一歩を踏み出そうとした――その瞬間。
















――ナマエ!!













『!!』


ルフィの声が、頭の中に鳴り響く。それと同時に投げ出されようとした身体は意と反して真逆の方へと引っ張られ、誰かの温もりに包まれた。


「・・・何やってんだ」


聞いたことのない、シャンクスの低い声に肩が強張る。そして次にパンッという乾いた音が甲板に鳴り響いた。――シャンクスに叩かれたと理解するのに頭の処理が追いつかず、私は叩かれた頬を触り、そして目の前で怒った様子のシャンクスを見上げた。


「エースが命賭けて守った命を粗末にするんじゃねェ!!!」
『っ』
「つれェのは分かる、だが逃げるな!!!自分だけ不幸と思うな!!!お前さんまで死んじまったら誰が一番悲しむと思ってんだ!!!!」
『!!』


――瞳が、揺らぐ。

シャンクスの言葉で真っ先に脳内に浮かんだのは、弟のルフィだった。







――お願いだからよ・・・・・・!エースとナマエは死なないでくれよ・・・・・!!!








いつも笑顔で、時に泣きながら、いつも私達の後ろを追いかけていたルフィ。


『ル・・・フィ・・・』


エースの死と直面したのは私だけじゃない――ルフィも、あの時一緒にいた。

今までなぜ忘れていたのだろうか。辛いのは私だけじゃなく、ルフィも一緒なのに。
きっと今頃どこかで泣いているに決まっている。なのに、私は、そんなルフィを置いて、1人逃げようとしてしまった。


『う・・・うわぁあああん!!!』





ごめんね、ごめんね。





ダメなお姉ちゃんで、ごめんね。






1人にしようとして、ごめんね。










   



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