甘い罠

知らない大人からお菓子を貰って、ついて行ってはいけない。
そう義父に言われた幼少時代。
美味しい物には裏がある。だから決して貰ってはいけない。近づいてはならない。甘さを知っては、貪欲に求めてしまうから。
甘い、罠に落ちることを知らず。




甘い罠




とある、高級ホテル。スイートルームにて。
テーブルの上に並ぶ甘い、甘い、ケーキ達。燐は一口ずつ噛み締めて味わう。美味い。修道院では決して味わえない高級デザート達。ただ、残念ながら全部食べきることはできない。
仕事で週に一、二度しか会えないが毎度、会う度に持ってきてくれる土産物。
与えてくれたのは目前に座る年上の色男。今日もまたスーツ姿で目の隈の深さは相変わらずだ。

男の、触覚のようなアホ毛が揺れる。
男と目が合った。燐はどきりと頬を赤める。嗚呼、心臓が高鳴る。耳まで熱くなる。

でも、自分と一回り程年上のこの男との関係は、恋人と例えるにはほど遠い。
恋人という甘い関係じゃない。少なくとも、彼はきっと自分をそういう風には見ていないだろう。

それはそれで、割り切る。
逃げる場所がある。だから・・。

「燐・・・今日は朝からご機嫌斜めですね。何かありました?」

男の声に、燐ははっとする。
どうやら気づかれていたらしい。ほんと、この男は恐ろしいほどに鋭い。

「・・・別に、何も」

嘘だ。昨夜、郵便受けに届いた一通の封等。
それは正十字学園高等部へ進学する為の試験結果。結果は合格。
名門中の名門である正十字学園は初等部からあるが、特に高等部からの編入は難関だ。それを打ち破ったのは燐の双子の弟である雪男だった。
義父は大層喜んで、雪男を褒め讃えた。

『さすが俺の息子だ!』

壁に隠れて覗いていた燐は、その光景に密かに胸を痛めていた。
燐は目を伏せて唇を尖らせる。

「・・・どうせおれは出来の悪い娘だよ」

「あぁ、なるほど。そういうことですか」

男はすぐに察する。
燐の家庭環境を知っている彼は彼女の弟が優秀過ぎるばかりに劣等感を抱き、更に刺激されるような事が起きた、と推測する。
燐はフォークをテーブルに置いて、小さく丸くなり膝の間に顔を埋める。

「昔からそうだ・・父さんは、おれより雪男ばかり可愛がる。なのにおれには厳しい。この間だって、面接に失敗したら凄い怒られた・・だって面接官のおっちゃん、おれの胸ばっか見てくんだもん。つい殴っちゃって、でもわざとじゃなくて・・次は別の受けるけど駄目だな」

「・・・」

「おれはまともじゃないから、雪男みたいになれねぇ・・姉ちゃんのくせに、おれは駄目だ。全然駄目。役立たず・・頭も悪いし、迷惑ばかりかけてる・・・修道院の皆、何も言わねーけど。きっとおれのこと嫌ってるよ」

元々、燐の住む修道院は男専用。
双子だから引き離すのは酷だと、情けで引き取られたのだ。
弟の方は問題なく中学を卒業後は寮制の高校へ進学。対する姉の方はまともに学校を通っておらず就職は希望だが未だに見つからず。
迷惑をかけてばかりで、今でも学校にいる時間だというのに男と密会している。

「大丈夫。何もかも上手くいきますよ・・それに、燐には私がいるでしょう?頼もしい味方がいるじゃないですか」

男は甘い声で燐に歩み寄り優しく抱擁する。

「でも、おれはお前の愛人だから」

「おや、いつからそう思っていたんですか。愛人だなんて、私には妻も子もいないのですが」

「年、一回り以上離れてるし。愛人の方がぴったり合う」

それに、ここでしか会うことはない。
燐は心の中で苦笑する。

「お小遣いをあげたことはありませんがね」

「でもこの部屋も、お菓子も、ゲームも、服も、宝石も、全部お前は与えてくれる」

「貴方に必要だから与えたまで・・・」

「おれに不必要なものばかりだ・・・」

どうして赤の他人に、こんなにも尽くしてくれるんだ?
燐は惹かれるように顔を近づけて、男に問う。

「愛しているからですよ☆燐」

嘘だろ。
燐は目を細めてまた心の中で吐き捨てる。
出会った頃から、何ども紡がれる愛の告白。胡散臭い微笑みで、美辞麗句を並べて甘言までも囁く。

違う。
この男は自分を愛してはいない。
抱かれるときも、キスをするときも、男の瞳はとても美しい色をしているというのに淀み、どす黒く歪んでいる。愛する人を見つめる目ではない。
人形やペットを愛でるとも違う。もっと、何か欲を孕んだ邪悪なもの。

それでも惹かれてしまうのだから不思議だ。
もし愛に偽りがないのなら、攫って欲しい。修道院で、義父や雪男、修道者達の前で自分を連れ去って。
この男となら、どこへでも行ってもいい。何をされてもいい。子供だって産める。だから・・・自分だけを見て欲しい。

本当は、愛して欲しい。
お願いだから、離さないで。傍にいて。切ない想いが声まで漏れて、燐は男に口づける。男に習った、大人のキス。子供はしない、濃厚で危ないキス。

「・・・メフィスト」

燐は男の名を呼ぶ。彼は燐を横抱きにし、奥の寝台へ向かった。




燐は不良生徒として恐れられていた。
子供離れした力と凶暴性に悪魔と罵られ、ろくに友達もいない寂しい幼少期を過ごし、躯が弱く泣き虫な弟を虐める子供達から守る為に正義感として腕を振るっても周りに理解されることはなく。
中学に進学しても同じ。生徒も教師も彼女を悪魔として、恐怖と軽蔑の眼差しを向ける。たとえ燐が弁明しても聞いてはくれなかった。
学校に行きづらい。行くのが嫌だ。自分を見る、周りの白い目が。どうしようもなく恐い。気分が悪くなり、早退の繰り返し。学校を見るだけで躯が震えてしまう。

なので燐は義父と雪男を騙して学校に行く振りをした。
町の森深くにある、廃墟と化した古寺に隠れて時間を過ごした。このとき、中学二年で春が過ぎた頃。

思春期を迎え、芽生える弟に対しての強いコンプレックス。
姉とは違い誰からも必要とされ、どこでも褒められる優等生の雪男。
羨ましくてしょうがない。眩し過ぎる存在。彼は友人に囲まれ、教師から厚い信頼を寄せられている。義父は常に弟を褒める。

学校にいるのも、家に帰るのも憂鬱。
居場所がない。落ち着かない。自分の存在が嫌になる。
燐は泣きたくなった。時々見る、弟の哀れむような目。姉さん、今日も学校に行かなかったの?と責める。だって、しょうがないじゃないか。皆、おれのこと嫌いなんだから。おれがいたら、迷惑なんだ。

おれなんか、消えてなくなれ!!

雨が降って来た。
燐の髪も、服も、肌も濡れた。寺の中で隠れていたというのに、天井を見上げれば雨漏りが酷い。あぁ、この古寺も保たない。新たな場所を探さなくては。
傘も持っていないので、ずぶ濡れのままに燐は古寺を去る。
さて、どうしよう。どこへ行けばいいのだろう。まだ時間はある。普通は学校にいる時間だ。

でも、行きたくない。
皆は、自分を受け入れてはくれない。
俯いたまま鳥居を通ると、泥で滑り転倒する。痛い。痛い、けど。誰も助けてはくれない。

おれ、何やってんだろ・・・

自分が惨めで、情けなくて、哀しい。
零れ落ちる涙は、雨の滴と共に流れ手の甲に落ちる。

『お可哀想に。ずぶ濡れで・・・』

酷く、甘い声が降って来る。
目前に立つ、一人の男。深い森に不似合いな黒いスーツ姿だ。外国人。
背はかなり高い。端整である顔立ちに違いはないが、青白い肌に深い隈。それにピンクのドット柄の傘が森の背景と重なって異様さを漂わせている。
美しいお嬢さんと呼び、差し出されたアメ。男の微笑みに燐の胸は強く鼓動した。

『どうぞお食べなさい。私とご一緒にお茶でも如何ですか』

いかにも、怪しい男。
地元でも限られた者でしか知らないこの場所に、雨の中で二人きり。

駄目だ。
幼い頃から義父に言われているではないか。
知らない大人からお菓子を貰ってはいけない。甘い蜜を知ったら、求めてしまう。だって、その先には隠された罠が待っているのだから・・・。

『・・・うん』

だが、燐は誘惑に負けた。
不思議と男に惹かれたのだ。この出会いがきっかけで、燐はメフィスト・フェレスと名乗る男の元に身を寄せるようになった。

甘えたかった?寂しかった?慰めて欲しかった?全てを投げ出してしまいたかった?現実から逃れたかった?

全部だ。
メフィストは富豪だった。燐の居場所にと高級ホテルのスイートルームを買い取り、いつでも使っていいように鍵も与えてくれた。
都合の良過ぎる事に燐も怪しんだが、金持ちの暇つぶしとして受け取った。
彼は学校に通えと言わず、燐の話を聞いてくれる。目を見つめ、きちんと受け止めてくれるのだ。次第に、彼といる時間が心地よくなってきた。

口づけも、躯を繋げたのも、自然な成り行きだ。
早熟な体験。義務教育中で、それも修道院で暮らす娘が年上の男と密かに交じるなんて。神に背いた行為だ。

神なんて信じない。
だって、自分は悪魔なのだ。人に嫌われ、世間からも疎まれる。
メフィストと躯を重ねるとき、泣きたくなるくらい気持ち良くて全てを忘れさせてくれた。

あぁ、甘い・・・と。
彼に抱きしめられる度に思う。中二の秋だった。




時刻は、三時過ぎ。
もうすぐ下校時刻だ。帰らなければならない。
燐は上半身を起こし、既に服を纏ったメフィストを眠たそうに眺める。行為を終えて軽く睡眠をとったがまだ躯は怠い。
それでも雪男と似たような時間に帰らなければ義父が不審を抱く。ホテルに男といると知られれば、怒られるだけじゃ済まされないだろう。

修道院に帰ったらまた寝よう、と思いながら下着を身につけて制服に腕を通す。
スカートを穿いて準備は完了。
鞄の中の携帯電話を開くと、メール受信に気づく。相手は弟だ。買い物だろうか?と燐は内容を確認。

「・・・っ!?」

《古寺が壊れてたけど、どこに隠れているの?》

燐の目が大きく見開く。
嘘、何で。驚いて思わず携帯電話を床に落としてしまう。
実は燐は雪男に、古寺に隠れていた事を告げたことは一度もないのだ。
メフィストがネクタイを絞めて振り返り「どうしました?」と訊ねる。

「雪男が・・寺のこと、知ってた」

「貴方は教えたことは一度もないのでしょう?」

「うん。いつも秘密って言って・・」

きっと帰れば詰問されるだろう。
双子の姉が学校の授業や行事にろくに参加もしなければ、当然教師達は弟に訊ねる。雪男は燐がどこで時間を潰しているのか義父に内緒で幾度も訊ねた。
真面目な弟のことだ。廃れた古寺と言えば危ないと反対する。だから告げなかった。秘密の一点張りだった。

今まで、気づかれたことなど一度もなかったのに。あの弟は知っていた。
ひょっとして、後をつかれていた?あの誠実な弟に限ってまさか。あぁ、でもありえるかもしれない。

「最近、雪男が変なんだ・・」

「変、とは?」

「夜中に出かけてるみたいで。帰ってくると、おれの頬を触って・・呼ぶんだ。夢かと思ったけど、同じことが何度もあって。それに、おれを見る雪男の目が・・昔と違ってきて、なんか・・・・恐い。雪男の進学する学校が寮制だから、出て行くのは寂しいと思うけど、安心してる自分がいるんだ・・・」

悪い姉ちゃんだよな。
燐はため息をつき、携帯電話を拾って鞄の中へ戻す。家に着く前に弟を騙す嘘を考えなくてはならない。
燐の様子を見て、メフィストは彼女の両肩に触れる。

「燐、可愛い私の燐。いつでも私は貴方の味方ですよ」

「・・・ありがとメフィスト。でも、大丈夫。もし義父さんと雪男にお前と一緒にいることがバレたら、おれは二度と会えなくなるかもしれない」

「私ならば修道院を消すことも可能ですが」

「ははは・・冗談を言うならもっとましな奴にしろよ」

「・・・・」

「メフィスト、今度はいつ会える?」

「・・・来週の昼に」

「うん、わかった。じゃあな・・」

メフィストと抱擁を交わし、軽く口づけて燐はホテルを後にする。
急ぎ足で帰る燐をホテル内の窓から見つめ、メフィストは口許を歪めながら微笑んだ。

「何故尽くすのか?当たり前ですよ。妹の面倒を見るのは、兄の役目なのですから」

1、2、3、のかけ声と指を弾けば男の姿は変わる。
白いマントとピエロのような独特なスーツ。メフィストは偽りの名。本名は別にあるが、今はまだ教える必要はない。

彼は悪魔だ。
メフィスト・フェレスは悪魔でありながら正十字騎士団の日本支部長を務める男。そして奥村燐の異母兄に当たる。
彼女に優しくするのも、与えるのも。全て兄としての行動である。兄妹である事実を知らない燐は、赤の他人の男に尽くされる事に疑問に思っている。それでも離れず躯を重ねるのは、彼女に頼られている証拠。

義父でさえ、弟でさえ知らない秘密を共有している。

ただ、恋人と扱われないのが残念なこと。
彼女の言う通り、愛人に近いのかもしれないが女性として丁重に扱い愛でているのは燐だけである。
それに、いずれ悪魔として覚醒し有能な祓魔師となった暁には妻として娶ろうと企てている。

義父の藤本獅郎にも告げていない、彼の企み。
最近の、彼女の育て親である親友の嘆きを思い出す。
近頃、娘と話すのが難しい。心配のあまり、つい強い口調となって叱ってしまう。燐もまた逆らわらず黙って聞き入れるので後悔が残る、と。

最初からわかっているはずだ。悪魔を人間として育てるのは不可能な事。
悪魔で人間として育てると決めた藤元に預けたが、兄弟唯一の女で末の妹である燐を、黙って大人しく眺めている訳がない。
幼い頃から密かに見守り続け、凛々しく美しく育つ燐。彼女は二人の実父でさえ執心する程の奇跡の存在で覚醒すれば彼女を求めない悪魔などいないだろう。

そして美しさ。今はまだ子供だが、メフィストの愛撫により女として芳醇な香りを漂わせるようになった。
彼女の弟でさえ、劣情を抱く程に、あと数年もすれば青き薔薇の似合う美女となるだろう。

全ては己の計画の為、そして彼女を手に入れる為。

「燐は私の掌中にある。悪魔の力が覚醒すれば、私の思うが侭。あと少しで機は熟す。覚醒した際には誰よりも早く祝福の言葉を贈ろう我らの小さき末の妹よ」

お前は絶対に私から逃れることはできない。
心も、躯も。全て兄である私のものだ。







誘惑の甘いお菓子。
食べてしまえば・・・罠が待っている。
決して逃れはしない、悪魔の罠が。




END

う〜ん。

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