悪魔の寵愛

悪魔の寵愛







暗い。狭い。寒い。
誰か、誰か助けて。おれをここから出して。
神父さん。雪男。おれはここだよ。ここにいるんだ。
もう迷惑なんかかけない。ひとを殴ったりしないから。お手伝いもいっぱいする。良い子になる。雪男みたいに勉強はできないけど、頑張る。
だから、だからお願い。ここから出して。おれを見つけて。助けて。
手ぇ、痛い。足も痛い。頭も痛い。腹も減った。
苦しい。哀しい。寂しい。一人は嫌だ。暗いよ、狭いよ、寒いよ。

あの悪魔が恐い・・・・助けて。





――――ギィィィィ。

重厚な扉がゆっくりと開く。
男が入室したことよって暗闇の室内には僅かに光が射す。部屋は狭かった。
大人一人が横になれるかなれない程の小さな空間。天井に照明はなく、壁も床も冷たいコンクリート。
まるで牢屋だ。その中で、男の足下には幼女が倒れている。
息も切れ切れで、男の存在に気づくとゆっくりと瞼を開いた。
脱出しようとしたのだろう、手の甲は扉や壁を叩いたせいで皮膚がめくれ、血が染みていて肌は青い。
痛々しい、哀れな姿だ。それでも男は幼女を心配するどころか、笑みを浮かべて訊ねた。

「・・・反省しました?」

「・・・・はら、へった」

「食事なら用意しています。でもその前に、言うことがあるでしょう?」

「・・・・・」

「ほら、言いなさい。私の気が変わらない内に」

「・・・・おれは、あく・・」

男の表情が嬉々に染まるも「ま、じゃない」と求めていた答えを否定され、機嫌は一気に急降下。それどころか、幼女は青い眼で男を睨みつけている。
男はそうですか、と呟くと幼女の頭を掴んで思い切り床に押し付ける。

「ああああっ!!!」

「・・・まだお仕置きが足りないようですね。反省なさい」

「だって・・おれは・・」

「燐、あなたは私の妹。悪魔です。自覚しなければ、一生ここからは出しませんよ」

おれは、違う。幼女の弱々しい声を無視し、男は部屋を出て行く。

雪男、神父さん・・・。
光ある方へ、力いっぱい手を伸ばす。しかし扉が閉まると同時に、幼女の意識は途切れてしまった。










十年前。燐は義父の友人と名乗る男に誘拐された。
その男は本物の悪魔で、燐は立派な屋敷に幽閉された。そして・・。

天蓋のついた豪奢な寝台に眠る美しい眠り姫。
誘拐犯である悪魔、メフィストは己の妹の美しさに惚れ惚れした。こんな美しいものがこの世に存在するのか、と妹を造り出した父に感謝を抱かずにはいられない。

「・・・美しい。燐、あなたはなんて美しいのでしょう」

兄の感嘆した言葉に、燐はパチリと目を覚ました。

「お兄様・・相変わらずお世辞が上手いな」

「いいえ、本心ですとも。虚無界や物質界を探してもあなた程美しい悪魔はいない」

そう言いながら、メフィストは燐の頬にそっと口づける。
燐はくすぐったくて軽く笑うと、兄の首に腕を回す。

「・・・・で、何の用?」

「注文したウィディングドレスの仮縫いが終わったので、一度試着をお願いします」

「じゃあ・・外に出るのか?」

「いいえ。職人達を屋敷に呼んでいますので必要はありません」

「わかった、お兄様」

「職人達の前でお兄様はおやめなさい。来月、貴方は私の妻となるのですから・・・」

「・・・・・うん。メフィ、じゃない。サマエル」

燐は笑って頷く。
メフィストの差し出された手に己の手を重ねて、寝台を降りた。
二人で手を繋ぎ、職人達の待つ客間へ向かう。
燐は隣で歩く兄の横顔を眺めながら、時の早さを実感した。

もうすぐ自分達は結婚する。兄妹なのは事実だが古くから人間でも神や悪魔の近親婚は珍しいことではない。それも虚無界の神、青焔魔の実子である二人の婚姻は大きな意味を持っている。
燐は充分に自分の立場を理解して、兄との婚姻に承諾している。彼女は末娘にして八候王さえ受け継がなかった神の力を宿して産まれたのだ。

事実、虚無界の後継者となる姫。

だが、彼女の流れる血は半分人間のもの。悪魔として覚醒したとはいえ、力は虚無界に、肉体は物質界に存在している。彼女こそ両世界を滅ぼすことのできる、虚無界の最強兵器であるが力が不安定過ぎる。それは肉体に流れる人間の血のせいか、自分自身を消してしまう程の恐ろしさを秘めていた。

そこで長年物質界を欲しがる青焔魔が下した決断は燐に新たな後継者を産ませることである。

物質界に干渉する八候王の一人である時の王、サマエルと交じることで子を成して強力な悪魔を誕生させる。四分の一は人間で四分の三は悪魔。肉体は物質界にあり、神の血を引いた子同士の間に生まれた孫に青き力が継ぐ可能性は充分にあり得る。

燐は幼い頃から、父の野望を聞いて育ってきた。
兄は優しく、尽くしてくれた。我侭も聞いてくれた。何でも買い与えてくれた。愛されていると自覚している。

でも・・・式が近づくにつれて、彼女は未知なる違和感に悩まされていた。
どうしてだろうか。幼い頃に兄に引き取られて、妹として、未来の花嫁として育てられた。それが当たり前だと、己の幸せなのだとわかっているはずなのに。

『姉さん・・・ごめんね』

さきほど夢に出て来た、あの幼い子供は誰だろう。
何故、姉と呼ぶのか。辛そうな顔で泣いて謝るのか。わからない。全然、わからない。

誰か・・教えてくれ。







仮縫いのウィディングドレスを職人達の手を借りながら身につける燐の姿に、メフィストは漸く妹を手に入れる事ができる事に胸を膨らませていた。
こんなにも美しく育った愛おしい妹。町を歩けば誰でも振り返るだろう、人形のように整った美貌としなやかな肢体。
白く滑らかな肌は純白のウィディングドレスと合い、青く輝く瞳は胸に彩られた大きな青い薔薇のコサージュと同じ色。所々に、青焔魔の後継者としての青い焔の色がドレスに装飾されている。

結婚式に参加する八候王の兄弟達は、この妹の姿を見てメフィストに嫉妬の焔を燃やすに違いない。
だが、早い者勝ちだ。そもそも燐を見つけたのは父でもなく、彼なのだから。物質界に長く身を置いていたメフィストが正十字騎士団の名誉騎士として人間の生活に干渉していなければ、妹に巡り会うことはなかっただろう。

彼は燐が産まれたときから狙っていた。この妹は私のものだ、と初めて悪魔に執着の念を抱いたあの日から。

思い出すのは、十五年前。
虚無界の神、青焔魔が祓魔師の娘との間に子を儲けてから全ては始まった。
青焔魔直々に通達され、メフィストは極秘として娘を匿い正十字騎士団の聖騎士の藤本獅朗と二人で出産に立ち会った。始めはメフィストは娘も胎児も悪魔の力に耐えきれず死ぬのだろうと思っていたが奇跡が起きた。

母親の腕に抱かれた、産まれたばかりの双子。
一人は青焔魔の力を継ぎ、一人はただの人間として誕生した。既に母親は虫の息だが、二人の双子に隔てなく愛おしげに見つめて、そして死んだ。
メフィストは驚きを隠せず、すぐに力を継いだ赤ん坊に目を向けた。
青焔魔の待望の娘。神々しい存在に目が眩み、唇から感嘆が漏れた。

『おぉ・・なんということだ。まさか父上の力を継ぐ赤ん坊が産まれるとは!まさに奇跡!しかも女!ファンタスティック!素晴らしい!』

青焔魔の子は八人。全て男。きっと今頃、虚無界でこの光景を眺めている青焔魔は歓喜に身を震わせているだろう。神の力を継ぎ、そして待望の娘でもある。
さっそくこの子は私が引き取ろう。すぐにベリアルに連絡し、子供部屋を作りじっくりと育て、焔の力をコントロールできるよう教育しなければ。己の命令に忠実に従うよう厳しく甘く・・そして妻にしよう。きっと美しく育つに違いない!!
メフィストは若紫を見つけた光源氏にでもなったような気分で、引き取りを申し出た。

『藤本。姉の方は私が・・』

しかし、藤本は双子をしっかりと抱いて拒んだ。

『いや、この子達は離れさせない。二人共俺が引き取る』

『・・・ご冗談を。姉の方は悪魔。つまり私の妹でもあるのです。兄である私が育てます』

『双子だぞ。娘の方は倶利伽羅って剣で封印すれば一緒に育てることができる』

『バカな。封印しても保って十数年が限度でしょう。やがて悪魔として覚醒する日が絶対にきます。さぁ、その子を私に渡してください!!』

珍しく、メフィストは声を荒げた。
だが、双子を引き離すのは酷だと言い張る藤本の意思に彼は折れることになる。藤本が双子の母に特別な想いがあったのだろうか・・それは興味もないが、メフィストは妹を諦めはしなかった。

それは青焔魔も同じこと。
人間と人間の作るものが大好きで、享楽としてこの世界に住んでいるメフィストにとって初めて湧き出た感情。あの妹が欲しい、と。狂気に染まった愛情が、彼の心に産まれた。

(妹は・・あの子は私のものだ。いつか必ず取り戻してみせる)

そして、メフィストは手に入れた。
燐と名付けられた妹の前に現れて、隙をつき巧妙な言葉で騙して連れ去った。喉から手が出る程、手に入れたかった愛おしい妹を。

残念なことに、獅郎と弟の雪男と五年も暮らしていたせいで人間の感情を持ってしまった。そのせいで、燐は始め自分が人間だと疑わなかった。

周りから悪魔の子と罵られ、蔑まれても彼女は人間だと思い込んでいた。
メフィストはそんな可哀想な妹に自覚を促した。自分は悪魔の神の力を継いだ娘なのだ、と。決して人ではない。最高血統種の血を引く王族の悪魔なのだと。

だから今までの思い出は捨てなさい。貴方にはもう必要ないのです。これからは兄である私に従っていればいい。ねぇ、燐?

しかし燐は首を縦に振らなかった。それどころか屋敷から逃げようとした。家に帰る!と。
メフィストは燐の為に最高級の暮らしを用意させていた。高級なドレス。たくさんの甘いお菓子。可愛い玩具。ふかふかの寝台。望めば何でも買い与えようとも言った。それでも燐はメフィストに従わなかった。反抗的な目で、彼を睨みつけた。

脱走が三回を過ぎたとき、紳士であるメフィストもさすがに堪忍の緒が切れた。
時の王は時間と空間を掌る悪魔だ。別空間を作るのは容易いこと。狭く明かりもない空間と自分以外開けない重厚な扉を作った。
その中に燐を放り投げ、閉じ込めた。彼は自分が酷なことをしていると自覚していた。しかしこれは全て妹の為。だから兄である私は鬼になって教育しているのだと彼は笑った。

青焔魔の力を継いだ娘が悪魔の自覚がなくてはどうする。この先、苦しむのは妹なのだから。扉越しに感じる妹を愛おしく想いながらメフィストは燐が更生することを願った。

だが、兄の想いとは裏腹に燐は自分が悪魔であることを拒絶した。彼は絶句した。

メフィストの調教の火に拍車がかかったのはそれからだ。

燐が仕置き部屋から解放されたのは、彼女が衰弱したからだ。このままでは埒があかないのでメフィストは方法を変えた。
まず体力の回復をさせてから、悪魔の作法を教えた。ただ言葉や教科書で指導したのではない。メフィストはまだ悪魔として覚醒しきっていない、幼い体に魔力を注ぎ込んで強引に燐を悪魔にさせた。

覚醒して生えた尻尾と尖った耳。鋭く尖った歯。さすがの燐も己の変化した姿に戸惑いを覚えた。それでも悪魔じゃないと言い張ったが、メフィストは無視をした。頭が駄目ならば体で覚えさせればいいのだ。

彼の指導は厳格だった。悪魔の作法、虚無界と物質界の歴史。人間と悪魔の違い。悪魔の存在意義。そして燐しか持たない青き焔の力の秘密。
勿論、紳士の妹だ。淑女としての養育も忘れない。間違えれば折檻を加え、逆らえれば厳しい罰を、再び仕置き部屋へ閉じ込めた。更に歯向かえばメフィストは自らの手で燐を半殺しにした。

悪魔の回復能力のお陰で、すぐに身体は元に戻る。だが、心は戻らない。傷は受けたままだ。教育ではなく、虐待まがいの調教は燐の心をボロボロにさせた。
助けを求めようにも、この屋敷にいる人間は全て悪魔。それも全員がメフィストの、サマエルの直属の配下である。
それに屋敷は結界がはられ、燐は幾度かの脱走未遂により決まった部屋にしか入れず、助けを呼ぶことすらできない。

燐は毎日が地獄だった。メフィストが恐かった。少しでも彼の機嫌を損ねてしまえば、恐ろしいことが待っているのだから。




ある日、メフィストは酷く機嫌がよかった。
燐、報告があります。先ほど、遣いにだしていた悪魔が戻ってきましてね。父上からようやく許可がおりたのです。私の案を承諾してくださった。

メフィストは妹の小さな体を抱き上げて嬉々に告げた。

燐、貴方は私の妻となり、子を産むのですよ。

そう、まだ初潮も訪れていない妹の下腹部を撫でながら言う兄の幸せそうな笑顔を見たとき、燐の心は限界に達した。

彼女はまだ幼くとも、メフィストの意向により既に早熟な知識を教わっていた。
初潮がきたら、女になってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。
答えは考えるまでもなく決まっている。犯される。燐の意思関係なく嬲られる。
もうこの悪魔から、一生逃れることはできない。

父の許しを得たメフィストは、早々燐の小さな体にさっそく悪戯を始めた。
まだ未発達すぎる体に手を這わせ、燐が悲鳴をあげても容赦なく弄ぶ。兄の卑猥に歪む顔を見て、燐は絶望しかない未来に視界が真っ暗になった。

今まで堪えていた精神は、心はとうとう壊れてしまう。
唯一の希望であった家族とは会えない。いや、会えたとしても自分は彼らに殺される。兄に嬲られながら、否定続けた兄の言葉が、鮮明に甦った。

『雪男。神父さん』

『燐、忘れなさい。貴方にはもう関係のない存在です』

『だって、おれの家族だもん』

『貴方の家族は兄である私。偉大な青焔魔が本当の父なのです。兄弟もいますよ。今度、招待しましょう』

『違う。お前はおれの家族じゃない。家族だったらこんな酷いことはしない』

『私はただ、貴方の為にしているのです。大人しく従えばいい。それだけなのに、どうして歯向かうのですか?こんなに愛しているというのに』

『おれはお前の玩具じゃない。家に帰る。だから帰してくれ』

『その必要はありませんよ。燐はもう人間ではなく悪魔となった身。藤本は聖騎士。雪男君は祓魔師となる。貴方が会いに行けば必ず殺されます』

『嘘だ・・嘘だ嘘だ!おれを殺す訳ないっ』

『殺しますよ。燐は心も躯も悪魔・・義父と弟の心を弄んだ悪魔なのです。それは貴方が一番良くしっているでしょう?』

『・・・っあ、うあ・・うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

もうやめて。信じない。おれは信じない。
絶対に義父さんと雪男はおれを助けてくれる。信じてる・・けど。
悪魔になって、悪魔の兄の花嫁として嫁ぎ、子を産まなければならない。
そんな宿命を背負った自分を、また受け入れてくれるだろうか。

もしメフィストの言う通り、雪男は祓魔師となって自分の命を狙ってきたら。幼稚園の先生のように悪魔だと罵られたら。義父も、弟と同じく・・。

記憶に残る愛した義父と、弟の顔が崩れていく。
彼女が守っていた宝物が闇の底へ沈んでいく。

こうして、大切なものを失った幼女は、まっさらな状態で生まれ変わった。
あれ、誰だっけ。おれ、何を考えていたんだっけ。

メフィストの腕に抱かれながら眠っていた燐は、生まれ変わった。

『どうしのです、燐』

『・・・・お前、だれ』





燐の心はショックで、記憶を全て失ってしまった。
誘拐されて屋敷へ閉じ込められ、厳しい調教と監禁に精神は徐々に壊れていき、心から慕っていた義父と弟の裏切りによって幼い子供の心には耐えきることはできなかったのだ。

だが、メフィストにとっては全て都合の良いことだった。

今まで教えた内容を忘れたのは面倒だったが、優しい兄の仮面をつけることで今度は己に忠実に育て上げることができると考えたのだ。
兄に対する恐怖で顔を歪ませる妹の表情も可愛かったが、いかんせん、やり方を間違えてしまった部分もある。
燐は義父と雪男を大事に思っていたし、メフィストはそれが一番許せなかった。今度こそ、兄を一番に想うように育ててみせよう。
となると、今までの調教はやめて自由にさせようか。放任とはいかないが、彼女の個性を尊重させよう。

こうして、今の燐が完成した。

記憶を持たず、誘拐された事実を知らずただ兄に引き取られ、花嫁として育てられた。
兄の欲望から始まった悲劇と彼が青焔魔に燐を自分の元へ嫁がせる為に案を吹き込んだ事すら知らず、燐はメフィストを純粋に慕い続けている。




仮縫いのウィディングドレスを身に纏い、燐は恥ずかしげに、だけど照れ臭そうにメフィストに訊ねた。

「どう、だ?」

「・・美しいですよ燐。式が待ち遠しいですね」

「花嫁様は大変お美しいですね。フェレス卿」

職人の褒め言葉に、メフィストは自慢げに応える。

「・・・・・・」

燐はドレスのスカート部分を持ち上げて、近くのソファーへ腰を下ろした。全く、ドレスというものは疲れる。
眠いな、と燐は欠伸をもらす。最近は寝不足気味で、寝てもすぐに起きてしまうのだ。
マリッジブルーなのか、だが全く違う気がする。

先ほど見た夢の件をメフィストに聞いてみようか。

でも、どうしてだろう。
聞けない。
もし話したら・・背筋がぞくっとする。

何故、こんな想いをしなければならないのか。
燐は不思議な想いで、未来の花婿を見つめた。






END


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