黒き羽根の下で眠る
黒き羽根の下で眠る
どうして、自分は青焔魔の子供なのだろう。
繰り返される自問自答。答えを教えてくれる者は誰もいない。
それは彼女のこれからの生き方であり、進むのは自分自身。それは本人がわかっている事。
ただ・・・時々悩むのだ。
敵討ちに祓魔師を目指し聖騎士になりたいという夢も抱いたが、己の存在意義を考える。
聖十字学園の放課後。
塾を終えて、燐は寮に帰らず橋の手すりに燐は腕を預けた。
景色は町一色。夕暮れ時で肌寒く、日差しが眩しい。
腰まで伸びた、濡れ烏のような漆黒色の髪が風でさらりと揺れた。
深い青色の瞳は憂いを帯びて、きめ細かな色白い肌は茜色の空に儚げに染まっている。
美しい少女の姿に、通りかかる男子生徒達が見惚れているなど、彼女自身は知らない。
彼らも、黄昏れる美少女があの“奥村雪男の双子の姉”だとは気づいていない。
奥村燐。
普通科に所属する聖十字学園の一年生。
奥村といえば入学式の際に生徒代表に選ばれた優等生、奥村雪男を想像するだろう。しかし、彼には双子の姉がいる。しかも優秀な弟とは違い姉は様々な意味での問題児だ。
成績は下。体育は優れているものの、はりきり過ぎて失敗する事も多々。
口が悪く日頃の乱暴な振る舞いは富裕層が大半で、幼い頃から英才教育を受けた生徒達が通う聖十字学園で彼女は様々な意味で目立っていた。
首席で特進科進む温厚な雪男とのギャップ。こんな正反対な姉弟がいていいのだろうか、と周囲は彼女を遠巻きにしていた。
だが、燐は自分が周囲とは一線を引いた存在であると自負している。
それは自分が劣等生で粗暴だからではない。
悪魔、だからだ。
それも虚無世界の頂点に君臨する魔王、青焔魔の末娘。
青焔魔は十六年前に人間の女性と恋に落ち、双子が誕生した。
それが燐と雪男だが悪魔の力を受け継いだのは姉のみで、彼女は青焔魔が現れるまで自分が悪魔の血を引いているなど全く知らなかった。
自分は他とは違う。幼い頃からそういう認識はあった。
それは正しかった。事実悪魔の血を引いていたのだから。
一度は絶望したが彼女だが義父である獅郎の親子の愛情に救われ、青焔魔を倒す為に祓魔師になるべく聖十字学園に身を置いた。
学園生活と塾の生活は波瀾万丈で充実していた。
そんなある日・・異母兄の一人であるアマイモンの登場で急変した。
焔の力を使わざるを得なくなり、塾の仲間に知られてしまった。更に祓魔師教会にまで出生は広まり、燐の環境はかつて中学時代に過ごした孤独に陥った。
やっと心から信用できた仲間が、友人が。自分を避けている。
改めて気づいた孤独に心は常に悲鳴をあげていた。
特に一番気をはっていたのが雪男だった。
焔を継いでいないとはいえ、彼もまた青焔魔の子。
天才と呼ばれる祓魔師でも実の姉が落胤であれば同僚からも影で何を言われているかわからない。
燐の前では苛立ちを見せないが優しい笑顔の裏に、苦痛と苦悩が滲み出ていたのをひしひし感じる事ができた。
燐は気づいていた。双子なのだから、察することができた。
ごめんな。
何度も心の中で謝った。
学園で燐は塾以外、友人がいない。学園で仲間達と会ってもぎこちなく、目を合わせても逸らされた。
そんな燐に話しかけてくれる人間は極限られた。
師匠であるシュラと、弟の雪男。そして、後見人であるメフィストだ。
京都の任務を終えて、仲間達の信頼を再び得られた燐は孤独ではなくなった。
以前よりも絆が深まり、皆と仲睦まじく学園生活を満喫している。
焔の力も、だんだんとコツを覚えて来た。順調、のはず。
それでも、自分の存在に彼女は迷うのだ。
燐は幾度目かのため息をついた。
「奥村くん」
「!!」
呼ばれて振り返ると、後ろには人はいない。だが、目線を降下させるといる。
白いスコティッシュ・テリア風の小型犬が。
「メフィストっ」
燐は飛び起きるように驚いた。
ここは塾ではなく校内の敷地で、彼が立場上犬に変身して散歩しているのは知っているが下校時間に燐に向かって話す姿を一般生徒に目撃されてはまずい。
だが、周囲を確認しても誰一人といない。燐だけだ。
「あ・・・もうこんな時間か」
どうやら、燐が悩んでいる間に生徒達は寮へ帰ってしまったようだ。
考えてみれば、メフィストがそんなミスをするはずがなかった。
燐は腰を下ろしてメフィストに視線を下ろすと、彼は三角の尖った耳をぴくぴくと動かして燐を見上げる。
「宜しければ、一緒に晩餐をどうです?食後に美味しいケーキを取り寄せたんですよ」
今夜、雪男は仕事で遅くまで帰らない。
夕飯は自分でできるとはいえ、一人寂しいと思っていた燐にとって好ましい誘いだった。
「・・・食うっ」
燐の応えに、メフィストは1、2、3というかけ声と共に元の姿へと戻る。
燐の目の前に現れたのはたれ目の小型犬ではなく、西洋風の姿をした男性だ。
いつものピエロ風な正装は相変わらず奇抜で、個性的。
メフィスト・フェレス。
この学園の理事長であり、聖十字騎士団日本支部長。ちなみに塾長でもある。
「さぁ、我がファウスト邸へ参りましょうか」
学園の頂上に、ヨハン・ファウスト邸はある。
この町でも数える程の立派な豪邸で、使用人は人間ではなく全て使い魔である。
初めてファウスト邸を訪れた際、屋敷の当主本人の恰好が浴衣であり、ギャップに驚いたものだ。
先月、燐は保留の祝いとして招待された晩餐で彼から衝撃の事実を告げられた。
時間と空間を掌る時の王“サマエル”。
八候王の一人であり第二権力者の地位を持つ悪魔。
青焔魔の長兄。つまりは、燐の実兄でもある。
メフィストが悪魔だった事すら驚きで、それも兄だったなんて・・燐は素直に現実を受け入れたが、未だに違和感は残っていた。
彼女にとっての兄弟は同腹の雪男だけだった。十五年間、ずっとそう思っていた。今更兄と名乗られても、実感が沸かないのは仕方のないことだった。
長いテーブルには二人の影。
一人は紳士らしく、白いスーツで。一人は淑女らしく、青いドレスで。
蒼い焔をイメージしたドレスは肩が剥き出しで、燐の肌の色白さと漆黒の髪によく映えている。髪留めと首飾りは見事な宝石があしらえていて、全て燐に合う為だけに存在しているような・・実際、メフィストの注文によって全て末妹の為だけに造らせた特注品だ。
質素な教会生活を送っていた燐が気づくはずもなく。
彼女は晩餐のメニュー、魔笛屋のカップラーメンを啜った。
「美味しいですか?」
「うん、美味いっこれどこで買ったんだよ!スーパーでも見ないぞコレ」
「コンビニでしか売られない、期間限定品なんですよ」
「へぇ・・じゃあ帰りに買おうかな」
「残念☆近辺にはもうありません。何故なら発売初日に私が全て買い占めましたから」
「ふざけんな!!」
わいわいと会話が続く。
食後、二人は鍵でメフィスト邸から理事長室へ移った。
雪男が早く任務を終えたと燐の携帯電話に連絡が入ったのだ。報告書をメフィストへ提出してから寮へ帰ると。
ならば燐は理事長室で待って、弟と共に寮へ帰ろうと思ったのだ。
テーブルの上に置かれた優雅なティーセット。
並べられたケーキやお菓子はどれも高級品。燐は尻尾を振りながら上機嫌に食す。
隣では同じソファーに座るメフィストが妹の満足げな様子を見やり、ゆっくりと紅茶を嗜む。
「これ、幾つか持って帰ってもいいか?寮で作ってみてぇんだ」
「好きなだけどうぞ」
メフィストの元へ行けば必ずだされる高級菓子。
味は一級品。この味を再現して、仕事で疲れている弟に作ってあげようと燐は考えた。
なんせ、燐の小遣いではおやつは安い駄菓子しか買うことができない。
後見人であるメフィストは富豪なくせして、どうしてお小遣いは月二千円なのか。
燐はお願いと手を合わせて、彼に強請る。
「なぁメフィスト。小遣いあげてくれよ。せめてあと千円っ」
「駄目です。三千円じゃつまりません。三千円札があれば上げてもいいですけど」
「無理!ったくケチだな。あ〜あ、早く雪男みてぇに祓魔師になって稼ぎてぇ」
では半年後が楽しみですねぇ、と呟くと燐は挑戦的な笑みを浮かべて応じて見せる。
晩餐のときと同じ、楽しい会話が続く。
理事長と生徒。兄と妹。悪魔と半魔。肉体では繋がりはないが、力に繋がりがある。
実に不思議な関係だが、燐は心地がよかった。
京都の任務前に、孤独であった燐に変わりなく声をかけた人物の一人がメフィストだった。
胡散臭い男だと、そんな認識を持っていた燐であったが人に飢えていた彼女にとって彼のティータイムの誘いは嬉しかった。
何気ない会話。
たったこれだけでも、燐の心はとても救われた。
それは、今も同じこと。
考えてみれば、この男に自分は守られている。
虚無世界を捨てた悪魔で、実兄。
雪男とは違った、別の信頼感が彼にはある。
だからとても縋りたい思いに駆られる。頼りたい。体を預けてしまいたい。そう心の奥底で思っていて・・・。
十時を回った頃、燐は眠気に襲われていた。
家事洗濯と弁当作りの為、早寝早起きの彼女。いつもならもう就寝時間だ。
更にお腹一杯で温かい暖房の効いた理事長室では催眠が増す。
視界がぼ〜っと定まらず、隣のメフィストの肩にちょくちょく顔が当たる。
その様子に彼は優しい声音で言った。
「構いませんよ。そのまま寝ても」
「・・でも」
渋る燐だが、もう限界に近かった。
雪男が戻るまで起きたいが、日頃の生活のリズムは直らない。すると揺れる燐の肩を支えるように、メフィストは自身の膝へ横にさせた。そして緩やかな動作で髪を撫でた。
「我慢せず眠りなさい。奥村先生が戻ったときは起こしますから」
幼い頃、義父の膝枕で眠った頃を思い出す。
匂いは違うが、まるで温かな義父が傍にいるような感覚に燐の口許は緩んだ。
「・・・うん」
自分の髪を撫でる手も気持ちがいい。
彼の言うままに、燐は静かに眠りについた。
「おやすみなさい・・燐」
我らの小さき、末の妹よ。
そう甘く、愛おしげにメフィストは告げた。
メフィストには三つの名前がある。
ヨハン・ファウスト。メフィスト・フェレス。そして・・時間と空間を掌る時の王“サマエル”
兄弟達は今でも虚無世界で、嫉妬に狂っている。
青焔魔の力を唯一継ぐ存在。何故、人間との混血の半魔が偉大なる青の焔を継ぎ生まれてきたのか。
この事実を虚無界の兄弟達はアマイモン曰く「聞いていない」と酷く取り乱していたらしい。
青焔魔の息子達の中で青の焔を継ぐ悪魔は今まで誰一人ともいなかった。
憧憬、羨望、嫉妬、憎悪といった感情を兄弟達は抱いただろう。
だが娘となれば別。
青焔魔の子はサマエルやアマイモンを含め男兄弟ばかり。燐は唯一の末妹だ。
燐を妻に娶り、子を孕ませれば・・・青焔魔に継ぐ力や権力を手に入れる事ができるのではないか。
そう兄弟達は考えただろう。青焔魔でさえ、愛娘をいつでも虚無世界へ引きずり込もうと機会を伺い狙っている。
だが、不可能だ。
悪魔は物質界以上の弱肉強食の理で生きる。
だから末席の地の王アマイモンは彼に従う。他の兄弟達も同じ。
長兄を超える力を持つ悪魔は父である青焔魔しかいない。
その父は物質界に憑依する物質がない為、手出しできない。
弟達は力関係でサマエルに勝てない。
燐は今、メフィストの羽根の下で守られている。
つまり、虚無世界の誰も燐を奪うことはできないのだ。
兄弟達は恨めしげに、指をくわえてただただ虚無世界から妹を独占する長兄をじっと眺めるだけだ。
あの偉大な魔神、青焔魔でさえ!!
素晴らしい構図に高揚し、メフィストはうっとりと目を細めた。
そっと、優しく髪を撫で続けていると、扉のノック音に思わず手を止めた。
「奥村です」と末妹と同腹の弟の声が響いた。メフィストは口角を吊り上げて「どうぞ」と返す。
そうだ、“虚無界だけ”ではないのだ。
扉が開くと、雪男は礼儀正しく一礼して入室。しかし、理事長の座る机に目的の人物はいない。視線を彷徨わせると目的の人物はソファーに座っていた。
「・・・っ」
一瞬だが、雪男の表情は強ばった。
「奥村先生、夜遅くまでお疲れさまです」
雪男の目前には、理事長の膝の上で無防備に寝入っている双子の姉。
とても無防備な姿で、制服のスカートから伸びる白い足が艶かしい。そしていつもは刀を握る小さくて細い手はメフィストの膝の上に置かれ、髪は撫でられている。
「あ、はい。任務の報告書を・・」
姉は制服姿だが、メフィストの姿はピエロの正装ではない別のスーツを着ている。
二人でどこかへ行ったのだろうか・・それとも、また晩餐か。
「では机の上に置いておいてください。後で書きますから」
雪男は心の奥底から沸き起こる感情を抑え込み、いつもの冷静な顔で覆う。
「・・フェレス卿すいません。ただちに姉を運びます」
「いいのですよ。暫くこのままで・・後で私が寮まで送りますから」
「ですが・・」
「奥村先生」
メフィストのペリドット色の瞳が妖しく光る。
上司の命令は絶対だ。たとえ相手が義父の友でも、後見人であっても、姉の異母兄でも。
雪男が悔しそうに去った後、メフィストは愉快げにくっくと喉を鳴らす。雪男からはすぐにでも引き離したいという、熱く黒い感情がひしひしと伝わってきた。
弟が理事長室へ来たら起こす、と約束したがあまりにも“良い感情”を晒してきたので、メフィストは優越感に浸ることにした。
彼女には「あまりにも気持ち良さそうに眠っていたから起こせませんでした」と言えばいい。
燐は気づいているだろうか。
物質世界の肉親でさえ、姉に劣情を抱いている事を。
彼は姉とは違い抑圧されて生きていたせいか、酷く我慢強い。必死に感情を押し殺しているように見える。
世間では素敵だと評される優男の裏には、禁忌の心が宿っているなど誰も知るまい。本人も自覚がないだけに、ただ真っすぐに黒い感情に呑み込まれていく。
物質世界と虚無世界。
両方の兄弟に燐は・・・。
「愛されていますねぇ・・・・」
メフィスト自身も、燐に劣情を抱いていない訳じゃない。
まだ熟していないのだ。この幼き末の妹は。
燐はもっと美しくなるだろう。蕾が開花し、可憐で美しい華へと咲く。
それまで他の男に横から盗られぬよう、今から言葉巧みに愛を囁き、兄の羽根の下から飛べぬよう縛り付ける。
相手が末妹でも悪魔に近親相姦という概念はないのだ。
神聖なる処女。燐の肢体を味わうのは極上の悦びとなるだろう。
そして、悪魔殺しの悪魔として。
同胞の血を浴び、青き焔で全てを燃やす。地上最凶の祓魔師になるのだ。
そのときこそ、メフィストが燐の身も心も手に入れるとき。
全ては我が計画の為に。
それが彼女の存在意義なのだから。
「お兄様は待っていますからね・・・燐」
黒き羽根の下で眠り続ける燐に、メフィストは甘く囁いた。
END
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